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好きと言えなかった人😭【さだまさしさん】時を感じます#366

えー、モンブランパークです。

昨日、私が、stand.fmでさだまさしさんが、吉田正美さんと組んでいたグレープ時代の曲【フレディもしくは三教街1975年作品】という歌の歌詞を朗読させていたいたと記事にさせて頂きました。

その時、stand.fm、noteのお仲間からコメント頂きました。驚いたのは、私もさだまさしさん好きでしたと答えた方が何名かいらしたこと。まあ当たり前かもしれないですが。

何で驚いたかと言うと、私がの中学、高校生さだまさしさんの事を好きというと、軟弱とか暗いとか、散々言われたから。テレビでもタモリさんとかが、そんな様なことを口していた。
1979年の【関白宣言】(軟弱、女性蔑視)1980年の【防人の歌】(暗い)の頃から言われる様になったと記憶しております。

この【フレディもしくは三教街】も、暗い歌の一つだったのではないでしょうか。

でも、さだまさしさんは、犠牲者などと、その後も、酷く言われ続けます。挙句、1981年のドキュメント映画の長江で35億円の借金を背負う事になります。

コンサートは、続け前人未到の4500回を越え、借金も30年かけて完済したとのこと。

という事は、アンチもいたが、ファンもたくさんいたという事ですね。

笑福亭鶴瓶さん、松本人志さん、立川談春さんなど、芸能人もファンが多い。

私は中学、高校とさだまさしファンと言えませんでした。仲の良い女の子がいて、その子とさだまさしのニューアルバムが出ると、ひっそりと【主人公】いいねとか話していたのを思い出しました。
肩身が狭かった。松山千春、中島みゆきファンに押されていました。

でも、この【フレディもしくは三教街】のnoteや、stand.fmのコメントみますと、同じようにその当時のさだまさしさんを好きだった方を知ることが出来て嬉しかった。

さだまさしさん、【フレディもしくは三教街】を作ったのが23歳だなんて、本当に凄い人でした。ファンで良かったと改めて思いました。
あの当時、好きと言えず、申し訳なかったです。

そして、ありがとうございます。

大好きな【主人公】の歌詞を載せます。

♪時には 思い出ゆきの
旅行案内書にまかせ
「あの頃」という名の
駅で下りて「昔通り」を歩く
いつもの喫茶には まだ
時の名残りが少し
地下鉄の 駅の前には
「62番」のバス
鈴懸並木の 古い広場と
学生だらけの街
そういえば あなたの服の
模様さえ覚えてる
あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて私はいつでも
必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんて
あなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば
欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とてもはずかしいから
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折り思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では私が主人公だと♪

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