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好きだった人(昭和)【初代貴ノ花】

えー、モンブランパークでごさいます。

唐突ですが、私が一番好きな相撲取りと言えば、初代貴の花関です。

その後、何かと世間を騒がす事になる、若貴兄弟のお父さんです😀

何故好きだったのか?というと断然、格好良ったからです😀端正な顔立ち、昔の言葉を使うと、甘いマスク。あんこ型でない、スマート体型。

そして、格好良さだけでありませんでした。強かった。小兵(身長184センチ、体重114 キロ)ながら、大関まで駆け上がり、当時の大関在位50場所の記録を作った人。

2回優勝した年は、1975年(昭和50年)でした。初優勝が3月の春場所。

私は、小学校5年生でした。勝てば優勝の一戦。本割で、当時、憎らしい程、強かった横綱北の湖関に破れ13勝2敗となり、同率となってしまい、北の湖と優勝決定戦となりました。                  テレビを見ながら、大興奮しておりました。しかし、優勝決定戦になった事で、12歳の僕は諦め感がありました。北の湖が強すぎる。

優勝決定戦。テレビにかぶりついてみておりました。接戦の末、北の湖を寄り切りで破ります。座布団が飛びまくります。この時が一番座布団が飛んたそうです。後に北の湖関は、勝負の後、花道で上を見上げると、座布団て天井が見えなかったと話しています。  

それほど、貴の花の優勝に湧き上がりました。私はうれしくてうれしくて。今なら、みんなにラインしていたでしょうね。

そして表彰式。優勝旗授与は、相撲協会の粋な計らいで、本来、審判部長が渡すところでしたが、22歳年上の兄であり、師匠である二子山親方(初代若乃花)が授与することになり、感動を大きくしました。 

私の相撲観戦の中で、一番感動した優勝でした。 

今思うと、嫌われ役となってしまった北の湖関は、気の毒であり、心の強かった人だと思います。

貴ノ花関は、9月秋場所、12勝3敗の後、  再度、優勝決定戦で、北の湖を破り2回目の優勝を果たしました。

しかし、残念ながら、横綱への昇進は、なりませんでした(泣)。

幕内通算成績578勝406敗58休(70 場所)の成績を残し、1981年(昭和56年)1月場所で引退しました。             当時の関脇千代の富士関に破れた一戦で引退を決意しました。その後、大横綱になる千代の富士関は、初代貴ノ花の息子である2代目貴乃花(当時貴花田 前頭筆頭)に破れ、引退を決意したそうです。この辺は、因果を強く感じます。

今でも、私の中では、初代貴ノ花関は、一番好きなお相撲さんです。

その後、親方としても栄華をおさめます。それは、また次の機会にお話しさせて頂きますす。

皆さんの思い出の一番、大好きなお相撲さん、思い出していただければ幸いです。

おまけ                 因みに先程引退した白鳳関は、身長192センチ、体重155 キロです。

それでは、この辺で、お開きとさせて頂きます(_ _)






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