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私が完璧主義の鎧を脱いだとき

子どもに対して「聞き分けがいい」って、あまり褒め言葉ではないと思う。

私は幼少期、「聞き分けがいいねえ」と言われて育ってきた。その言葉はけっこうな効力の呪いで、聞き分けが良くなければいけないんだ、という強迫観念になった。

小中学生の頃の私はTHE優等生で、学級委員やら、生徒会やら、合唱祭の委員長やら、臨時でお願いされる掃除当番までこなした。
それらの役割を果たすことで、自分はいていいんだ、という実感を持ちたかったんだと思う。

自宅が安心できる家だったのは小2、小3くらいまで。
それ以降は、不穏な空気とか、両親の喧嘩の声とか、弟が壁を壊す音とか、そんな記憶しかない。

安心感を求めた私がたどり着いたのは、八方美人で優等生な自分。
そんな自分でいれば、自分に仇なす人はいなくなると、無意識に思っていたから。
でも、全然そんなことはなくて、むしろ八方美人でいることに不信感を抱いた相手は私から離れていった。

そんな環境を自分で作り上げて、失敗することが怖いことだと思った私は、ピタゴラスイッチのように、成人する頃には完璧主義の鎧をまとっていた。

失敗するのが怖いから、新しいことに挑戦するにも莫大なエネルギーを要する。
相手に嫌われることや、迷惑をかけることを極端に恐れているから、仕事でわからなくても聞けない。自己流でやって結果ミスをする。
自分の発言が相手に不快な思いをさせるかもしれないと思い、不用意に発言できない。
まさに、がんじがらめの鎧だ。

変わるきっかけになったのは3つ。

1つめはある男性との出会い。
初めてお付き合いした彼には、けっこう色んな指摘をもらった。
(元カレって思ってるけど、向こうはそう思ってるか微妙かもしれない)
特に、コミュニケーション面で指摘を受けることが多くて、なんとかしなきゃ!と行動に移せたのはとても感謝している。

2つめはある職場で働いたこと。
そこは人間関係があまりよくなくて、私は板挟みにあった。
ほんとにやりたい仕事だったけど、心理的安全性が担保されない環境に対して、私のストレスはカンストした。
その経験から、私は安心できる環境じゃないとだめなんだ、と気付かされた。

3つめは家族と縁を切ったこと。
私にとって、家族というのは安心感をもたらす場所ではなく、自分の心の脅威だった。
育ててもらったことはとても感謝してるけど、繋がりを持っていることで安心して暮らせないのであれば、縁を切る以外の選択肢は無かった。

私は私の幸せを追求したい。

そう思えることで、完璧主義の鎧を脱ぎ捨てることができたのだ。

完璧主義だったことを後悔してるかと言われると、そうではない。
他者承認ほしさではあるけど、結果的に色々なことを経験できたし、同じように苦しんでる人に少しでも寄り添えるから。

脱いだ鎧は、心のタンスに大事にしまってあるよ。

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