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渋沢栄一vs岩崎弥太郎(「青天を衝け」より)

大河ドラマ「青天を衝け」がいよいよクライマックスに近づいてきています。前作「麒麟がくる」がとても評判の良い戦国ものであり、今回は幕末~明治期ということもあって、事前の評判はイマイチでしたし、私もあまり期待していなかったのですが、見ると非常に引き込まれる内容で面白いですよね。脚本が大森美香さんということもあって、どこかしらか朝ドラの匂いを感じるのもまた、大河に新しい風を吹き込んだように思っています。

さて、青天を衝け。攘夷派から幕臣になり、明治維新により新政府側につき、民間へ下野と、波乱万丈な人生を歩む渋沢栄一と、同じく時代の波に揺らされながらも、狡猾な生き様で潜り抜け、三菱ブランドを立ち上げた岩崎弥太郎との対立が描かれています。この二人こそ、極めて象徴的なライバル関係。非常に面白いポイントですので、少し整理してみます。

公益(合本)の栄一vs専制主義の弥太郎

この二人の最大の違いはその理念にあります。栄一は常に日本を第一に考え、全体の富を考えた。よって、銀行も合本だし、その後彼が手掛ける事業も今でいう公益法人的な、学校、病院や社会福祉施設等も多いのが特徴です。

一方、その後一大財閥にまで発展する三菱グループ。その創始者である弥太郎は三菱の発展こそ国の発展であると考え、全てを三菱中心に考えました。専制主義、いわゆる自前主義です。

ここだけ見ると、栄一=聖人または正義、弥太郎=悪徳商人、みたいに見えますが、これはなかなか簡単に結論付けるとこはできない難問だと思います。事実、合本は常に主導権争いに明け暮れ、理想的な協力体制ではなく、足の引っ張り合いが起こりがちなのが常です。他方、専制主義、独裁体制は暴走リスクはあれど、発展期においては意思決定スピードが速く、トップの力量次第では大きな発展が望めます。事実、三菱はそうなりましたし、三菱が発展することで日本が強くなる一面も否定できません。少し前の日本であればトヨタがそうでしたし、今の時代で言えばアメリカのGAFAがそうでしょう。独占的で多大な利益を上げる企業が居ると、国として強くなる面は否定できませんし(裏側の問題、例えば貧富の差拡大も勿論無視できませんが)、特効薬的に効くのは弥太郎型だと思いますので、明治維新からの富国強兵という歴史背景から見れば、弥太郎の思想の方が適していたようにも思えます。

結果的には両者とも成功したという事実

通常、こうしたライバル関係は結果としていずれかが勝ち、いずれかが負けるのが物語の王道です。ですが、この二人の面白いところはいずれも成功を収めた勝者であるということです。

渋沢栄一は500を超える事業に関わったとされ、例えば得意の金融業では現代で言えばみずほ、三井住友は勿論、諸々の合併により三菱UFJの祖先にも関わっています。一般企業で言えば三井物産、KDDI、日本郵船、川崎重工、サッポロ、キリン、アサヒと、現代の日本有数の大企業を挙げるだけでも枚挙に暇がございません。さらにJRや各私鉄、東京ガス等いわゆる公共性の高いインフラ事業や病院や教育など公益事業も数多く手がけているのが特徴です。ごく一部ですが、上記の企業だけでも、もしこれらが日本になかったらと考えると非常に大きな経済損失がありますよね(勿論、無ければ無いで他の人がやってるのが歴史の必定ですが)。

一方、岩崎弥太郎の三菱グループは皆さんご存知の通り、三菱商事をはじめ、自動車、地所、重工業等々錚々たる顔ぶれ。ローソンも三菱商事の関係で傘下に収めています。三菱UFJ銀行や日本郵船は渋沢栄一と重なり、現代では栄一との「合本」となっている点も興味深いですね。こちらも今の日本にないとなると、大変大きなインパクトですね。財閥解体という憂き目に遭っても、なおもこうして現在まで存続しているところは弥太郎マインドのなせる業かもしれません。なお余談ですが皆さんがおそらく一度は使ったことがある「三菱鉛筆」は三菱グループと資本関係がないんですよね。

理念は大事だが、その内容より軸がぶれない事こそ肝要

さて、まとめです。別のエントリーでも書いている通り、私自身は「塞翁が馬」を座右の銘としており、全ての成功も失敗もつまるところ「運」に帰着すると考えています。栄一や弥太郎の才覚は勿論認めていますが、彼らの実力通りの結果が出たのか、それ以上だったのか、実はそれ以下で本来ならもっと大きな事業を成し遂げていたのかは「運」だと思います。二人とも、数奇な運命を辿り、結果として事業家として大成功を収めましたが、幕末から維新の過程で亡くなっていてもおかしくない人生でした。栄一で言えば、たまたま御一新のタイミングでパリに居ましたが、日本に居れば喜作と一緒に五稜郭で戦っていたかもしれません。

そうした運にも恵まれる中で、彼らは彼らのやり方でその才覚を発揮させます。先述の通り、彼らは180度違うと言っていい理念の中で、それぞれ競い合いながら事業拡大していきます。その両者とも成功を収めたという点において、実は理念の中身よりも重要なものがあることに気づかされます。そう、「軸」です。

理念の中身だけを取れば、やはり世間から褒められるべきは栄一の理念でしょう。社会道徳的な価値観として、そうあって欲しいと願うものでもあります。一方、先に記載の通り、時代に適した理念の持ち主は寧ろ弥太郎であったと思います。栄一の理念を理想論だと一蹴する場面がありました。描き方として悪役的セリフですが、事実として正しい部分はあると思います。

いずれも全く正反対の理念を持つものの、二人に完全に共通すること、それは軸がぶれないということです。栄一は合本の理想を追い続け、弥太郎は専制主義の理想のまま事業拡大させていきます。おそらく、場面場面で悩むことも多々あったと思います。ですが、彼らはブレなかった。私は最終的には運と考えますが、一方で運以外に成功要因を求めるなら、やはり「軸」だと思っています。高尚か下賤かは人の価値観によりますのであまり関係なく、ぶれるかぶれないか。

色々な経営者を見てきた中で、この軸がぶれることなく突き進むことは非常に難しいことだと実感しています。自分自身もそうですが、世間的に評価されているような人物でも、軸が揺れるような言動をみることが間々あります。順調な時は勿論、ぶれません。風向きが変わった時に経営者の真髄が現れます。大きな成功を収めているような人でも、元々栄一のような理想を掲げていたのに、背に腹は代えられぬと弥太郎になる人も居ます。また、表向きは栄一のようなことを言っておきながら、内部では弥太郎主義な人も居ます。

先に書いた通り、私はどっちが正しくてどっちが間違いとは思いません。事実、彼らは二人とも大成功を収めていますから。だけれども、その時々に応じて理念を変えたり、表と裏で言ってることを変えるような人ではダメだと思っています。なぜなら、そういう人は周りから信用されず、部下も離れてしまうからです。

「軸」を大事にしたいと、「青天を衝け」を見ながら思った次第です。

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