わくわくするほうへ
表現が苦手
感情が無い、表情が無い、棒読み、とよく言われていました。自分では心から嬉しい!ありがとう!と思って言っても、思ってないでしょ!とよく言われていました。どんなにそう思っていても伝わらないなら、なにも言わない方がいいやと思うようになりました。
感情が無いととらえられる原因に、感情を否定され続けていたことがあると思います。笑っていると、親を差し置いて楽しんでいいと思っているのか、当てつけて満足かと責められました。泣いていると、それくらいで痛いわけが無いと否定されました。落ち込んでいると、そんなことくらいでそんなこと言っててこの先どうするんだと叱られました。「楽しんでいいと思っているのか」「我慢しろ」「考えすぎだ」何かを訴えるたびにそう言われているうち、感情を無かったこととする癖がつきました。
特に辛いとき、その癖は役に立ちました。かちんとスイッチが入ると、私は私の後ろから私を透かして世界を見ているのです。私はふわふわと気持がよくて、楽で、へらへらした気持ちでいることができます。そして親に責め立てられている側の私は、自動で動いているロボットになります。「はい。ごめんなさい。」と受け答えを勝手にしてくれるのです。私がそう口にしようと考えなくても、勝手にそうしてくれるのです。スイッチが入ると一日中そのままでいることができました。そのまま学校へ行き授業を受けますが、友達と話したりノートを取ったり、すべてのことは私では無い私が勝手に行います。私は後ろでそれをへらへらと見ていればよかったのです。
離人というのだそうです。
仕事
ひょんなことから、営業として働くことになってしまった私は、徹底的に接客を学びました。何度も何度も接客研修へ参加しました。鏡を見て笑顔の練習、感動や驚きを表現するための眉毛と口角と目尻の動かし方、手の先から足の方向の向け方まで、すべて頭にたたき込み、パターン化して人と話すことができるようになりました。ペットが死んだと聞けば、眉毛を八の字にして、一呼吸黙る。そうだったのですね・・と、小さく口に出す。大変でしたね、といって、「ね」のところで首を少し傾ける。その後は目を見て、相手が話し出すまで待つ。そういったことをパターンとして体に覚え込ませていきました。あらゆる感情表現に「パターン」を作り、このときはこれ。このときはこれ。と瞬時に選択しあてがっていくことができるようになりました。感情が無いねと言われることは減っていきました。けれど、やはり本心ではありませんでした。
ゲイと女の5点ラジオ
ゲイと女の5点ラジオというポッドキャストを聞くようになり、パーソナリティのヴァジャさんの体験談を聞いているうち、過去の話や失敗や、何故そうなったのかそこから何を学んだのかを、人に向けて発信することをすてきだなと思うようになりました。それまでの私の考えは真逆でした。自分の思考は人に話したらもったいないもの。どうせ分かってもらえないものだったからです。
2010年から始めていたTwitterも、鍵をかけていました。面白いからRTしたいので鍵を外して欲しいと言ってくれた人が何人もいましたが、それをして何の意味があるんだろうと思っていました。少数の人が、あるいは誰も見ていないまま、日記のように自分の過去や現在のことをつぶやいていました。
何故鍵をかけていたか。
繰り返しになりますが、「私の考えはどうせ誰にも分からない」という思いが強かったのです。感情を否定されることも怖かったのです。親にそうされたから?それもありますが、成人してからも自らをそう罰してきていたと思います。もしかしたら分かってくれるかもしれない人に対しても、どうせわからない。わかってもらわなくていい。分かりたいから教えてよと言ってくれる人に対し、自分のためにあなたが変わる必要はないと考えていました。孤独でした。
しかし、ヴァジャさんが過去の体験を話すことで、似たような思いを抱えながら人に話せずにいた多くの人が共鳴していました。私もこんなことがありました。というお便りからまた共鳴が起こり、道端ドコカさんという人物が現れました。自分の気持を外へ向けて表現することで、自分も周りも癒やされていくことがあるのだと知りました。
Twitterアカウントの鍵を外す
私もリスナーの皆さんとお話がしたいなと思うようになりました。そして私も自分の考えを表現してみたいなと思いました。それで5点フレンズ専用のアカウントも作りました。でも、私は思いました。
ここで専用のアカウントを作ることはまた鍵をかけることと同じだと。
2010年からずっと日記として続けていたTwitterを、鍵を外してそのまま使うことにしました。それが私なりの「じぶんを表現する」ということの勇気の第一歩になりました。
3コール以内に出て頂戴っ!!
5点ラジオグループとして紹介された番組も聞くようになりました。その番組内で、100日チャレンジをするという話題が上がりました。
私は、何かを表現したいと思っていましたが、きっかけをつかめずに居ました。また、それを三日坊主にしないために彼らと一緒にチャレンジをしたいと思いました。勝手に混ざる形で、私も毎日、好きなキャラクターの絵を1日1枚Instagramへ投稿することに決めました。途中サボってしまう日もありましたが、88枚の絵を描きました。たくさんの人が、このアニメ知っているよ、このキャラクター私も好きだよとコメントをくれました。こんなことは初めての経験でした。いつも一人で楽しんでいた世界は、人と共有することでもっと楽しいと言うことを知りました。
わくわくすること
5点ラジオがニッポン放送のラジオ番組「バーGOTEN」を生放送することになってから、楽しいメールを考えて送り、それを番組内で読まれることが楽しいと思うようになりました。ラジオを聞きながら、一緒に聞いている仲間とTwitter上で会話をすることも楽しいと思いました。
そしてそれは、昔から知っている感覚だと思い出しました。就職をしてから車で外回りをしているとき、ラジオを聞いていました。いつしか好きな番組が増え、メールしたり音楽のリクエストをするようになりました。パーソナリティのイベントへ出かけたこともあったことを思い出しました。
また、2chの実況中継スレにいたことを思い出しました。見えない仲間と時間を決めて集まって、わいわいふざけることが楽しいと、私は昔から知っていました。
また、5点ラジオの番組の中で、11月の何でもない月曜日を「雑草の日」としてみんなでお祝いしようというおふざけがありました。みんなでわけのわからないことをやる。こんなに楽しいことがありましょうか。
自分を表現することはファンを増やすこと
大好きだったポットキャストが休止することを告げられました。パーソナリティのヴァジャさんが、有料会員に向けたLINE LIVEで最後にこう話していました。「私はポットキャストを始めてからたくさん友達ができて楽しかった。みんなも友達が欲しいのならどんどん初めて見たらいいと思う。」
「バーGOTEN」の最終回でもこう話していました。「面白いと思うことを親や先生にかくして生きてきたけど、ポットキャストやラジオを始めたことで、それを逆に求められるようになった。初めて自分らしさを認めてもらったと思った。自分が我慢していればいいと思っていたけど、そうすることを悲しいと言ってくれる人が居ると気がついた。自分らしさ・自分を大切にするってことを、リスナーさんも思って欲しい」(下記リンク40分55秒から)
そして先日4月12日のBSS山陰放送ラジオ番組「ポッドWAVE~VAJAのThe Radio~」でもこう話していました。
「子供の頃からふざけることが好きだったからポッドキャストを始めた。よく、新しいことは若いうちしかできないというけど、自分が身をもってそんなことはないよ、何が起こるか分からないよということを経験した。だから今年度、始めてみることがすごく楽しい趣味になるかもしれないし、人に喜んでもらえる何かになるかもしれないからやってみてほしい。自分発信でなにかをできる時代になっているので、自分の可能性に限界を感じずに自ら動いてみて欲しい」
ワクワクスルホウヘ
私は今、何かこれを始めたい!ということがまだ見つかっていません。でも毎日起こる、小さな楽しいことのほうへふらふらと寄っていきたいとおもっています。それを繰り返していたら、自分が始めてみたいことが見つかるのでは無いかと思うからです。
エッセンシャルラジオ
エッセンシャルラジオというポッドキャスト番組があります。育児中の男性3人のトークがメインの番組です。
あるときTwitter上で、ドラゴンボールのカカロットの物まねの音声を上げている人がいました。それがエッセンシャルラジオのパーソナリティの一人でした。どんな番組だろうと思い、カカロットの声まねをしている回を聞いてみました。すごく似ていてわけがわからなくて面白かった。ジブリクイズや、ジブリ物まね、ジブリうんちくといったコンテンツも好みでした。
そのうち、サイコパスに関する話題が出て、サイコパスについてはこれとこれとこの過去の回を聞いてね!と話していたので聞いてみました。めちゃくちゃ面白かった。びっくりした。こんなにやさしくてまじめそうな声の人が実は、上司の目の前で書類をシュレッダにかけてしまう反骨精神を隠しているなんて。それを暖かく見守る仲間がいるなんて。ということから彼らに興味が津々になりました。
そのうち、突然3人による劇が始まりました。何度聞いても訳が分からないのに面白い。なんだかわからないという面白さ。なんだか分からないものをまじめにみんなでやるという面白さ。私はこういうのが好きなんだと思いました。
それで、ふらふらとそちらへ近寄りました。「私もやりたい」と。
すると、本当に劇に混ぜてもらえました。ものすごく楽しかったです!
きっと、表現が苦手だったころの私なら、私なんかがそこに混ざることどころか、話しかけることも感想を外に漏らすこともしなかったでしょう。
私はもう孤独ではないと思いました。
ヴァジャさんのnote
私の尊敬するヴァジャさんが新たにnoteを開設されました!鼻声は直ちになお…?
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