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なんのいみがあるんだろう



落ち込んでいる人を見ていて苦しい

自分に向いている仕事に転職をしたつもりが、結局向いていないようで、しんどいんです。と彼女は目を落とした。電話の応対や人と話すことが苦手で、そういうことの少ない仕事を選んだつもりだったのに、結局電話には出なければいけなくて。
私は彼女の話し方、たたずまいが、ほかの女性と違って落ち着いていて好きだ。そんな彼女が「皆のようにちゃんと働くことができない。変わりたい」と言っているように見えて悲しかった。彼女の雰囲気が好きで、仕事のできやなんかを関係なく、救われている人が居るはずだと思った。それを、他の人のようにぎらぎらした声で、がつがつした様子で過ごすように頑張ったら、彼女の良さが減ってしまう。

電話応対は慣れだ。最初は名前も聞き取れない。聞かれたことに答えることも難しい。聞こえてくることと目に入っている情報に乖離があれば戸惑う。当然だと思う。そんなことよりその声のトーンやテンポが、好きだと思っている電話のむこうの誰かが、同僚の誰かが、あるいは目の前の私が居ることに気がついて欲しかった。

なんと言って伝えたらわからなくて、汗をかきながら、月並みな励ましの言葉を並べた。自分はどうだった、とか、なんとかなるもんだよ、とかいうどうでもいいことばかり口にしてしまって、そのままでいいんだよと言えなかった。深いですね・・と、彼女は言った。応援してます。と私は言った。

どう話せば良かったんだろう。そのままでいいよって。変わりたいと思っている人に、どう話せばよかったんだろう。頑張らなければならないと思って頑張っている人に、頑張らなくていいよと言うことが、どんなに意味をなさないかを、私はよく知っている。だから言えなかった。

自分と彼女を交換してみる。
自分だってそのままでいいのだと。自分の何かを、いいなと思う人がどこかにいるのだと。そのことに気がついて欲しい。変わろうとしなくていい。頑張らなくていい。私自身はそれを、わかっているだろうか?人にアドバイスする前に、私はわかっていただろうか?どうして私は、と責めていたのではないだろうか?私らしさを捨てて、世間の当たり前になろうとしていなかっただろうか?

誰かの無事を祈る

朝早くから夜遅くまで、いつも忙しい人をみる。何年も何年もその様子で、はつらつとして見えるけれど。病気をしたり、事故をしたり、家族の問題を抱えたり、いつも何かを悩んでいるようにも見える。
私は彼女の、無事を祈る。健康でありますように。安全でありますように。ほっとできる時間がもてますように。疲れている自分の体に気がつけますように。

自分と彼女を置き換えてみる。
疲れているねと言われたら、きっといいえと答えるだろう。あなたも疲れていますよね。と笑うだろう。自分の無事を祈ったことがあっただろうか。自分の健康を想ったことがあっただろうか。自分が事故に遭ったりけがをしないよう、祈ったことがあっただろうか?

震災で一人になった人

18歳の時に津波で家族を失った人を知っている。暗い顔をして私のところにやってきた。遠くから来たという親戚のおじさんに連れられて。そうして何年かあとに旦那様をつれてきて、先日、赤ちゃんを連れてきた。
いつでも丁寧な人だった。けしてげらげら笑わず、静かだった。旦那様も自分を大きくみせない、優しそうな人だった。赤ちゃんは顔をみせてにこっとしては、母の胸に顔をうずめた。彼女は、自分の力で前に進んで家族を手に入れたんだと思った。強さとはこういうことを言うのだと思った。大きな声をだしたり、周りになにかをパフォーマンスをする必要などないのだ。

俺の苦しみは誰にも分けてやらない

プラネテスという漫画にこういう台詞がある。

全部オレのもんだ
孤独も苦痛も
不安も後悔も

もったいなくて
タナベなんかにやれるかってんだよ

プラネテス/幸村誠/講談社

手をさしのべようとしたタナベという人物を、否定して突き放す。おまえになんかに理解されてたまるか。この苦しみはオレだけのもので、分かち合えるほど軽いもんじゃないんだ。

20代のころの私はこの台詞に(この台詞を吐いた主人公に)陶酔した。この人こそ私の理解者だと思った。けれどたいていの物語がそうであるように、この物語も最後には愛に帰結する。それがとても嫌だった。私のように、最後まで孤独でいて欲しかった。誰かのより寄り添いなんか必要としない主人公で居て欲しかった。

死んだ人間でさえ集う

ウォーキングデッドというドラマが人気だ。世界中に感染病(ゾンビになってしまう)が蔓延し、それぞれが自分の身を守るために奔走する。その中で人間ドラマが生まれる。

作中でウォーカーと呼ばれる感染者は、亡くなった後に脳内の食欲中枢だけが再起動し、その部分が破壊されるまでこの世を歩き回る。彼らにはもう、心はなく、さっきまで愛し合っていた者の存在さえわからなくなってしまう。ウォーカーになるということは、孤独になると言うことだ。作中でふとした瞬間に、荒れただだ広い荒野の向こうを、ぼろぼろになったウォーカーがさまよい歩いているシーンが流れる。それを、生きた人間が遠くから、哀しい目で見ている。私はウォーカーの方に感情移入した。作中にも、その場から動けずに永遠にうごめいているウォーカーにとどめを刺す、彼らに対する温情を示すシーンが何度かあった。

ところが、シーズン4あたりから、ウォーカーがたびたび集団で襲ってくる描写が増えてくる。生きた人間関係に飽き飽きし、孤独に旅をする一人の女を、取り囲むようにしてウォーカーの群れが現れる。孤独なのは人間のほうだ。と言わんばかりのシーンでそのシーズンは終わる。

私はショックだった。
プラネテスの主人公どころか、死んだウォーカーまでが、仲間を欲することに。

悲しいということを伝えたから

ピクサー作品に、インサイドヘッドというアニメがある。

悲しみを表現したから、周りの人が一緒に悲しんでくれた。一緒に悲しんでくれたから、前に進めた。そんなシーンがある。何の意味があるのだろうと思っていた。そんなことをしても、伝わるわけがないのに。悲しみは私だけののものだ。


なんのいみがあるんだろう

悲しいとき、もやもやするとき、友達は言う。おいしいものでも食べに行こうよ!ぱーっと飲もうよ!話を聞くよ!
食べて、飲んで、話したからと言って、何が変わるのだろう。本当にそう思っていた。けれど、人はそうするもののようだから、黙ってそうしていた。ちっとも心は晴れなかった。家に帰って一人でいた方が、心が落ち着くような気がした。年とともにその気持は大きくなっていって、30を過ぎると人に気持を話すという気力も体力もなくなった。私は人と何か違うのだと思った。死んだウォーカーでさえわかることが私にはわからないのだと。

随分前に読んだ本を読み返した。そして、何故人とちがうのかをやっと理解した。私は虐待を受けていた。それを受け入れることが辛かった。

そこに母の愛はあった。自分がおかしいのだと思えば、苦しみからは逃れることができた。だから世間で言う母性神話を信じていたかった。そのためには自分の感情を無視することが必要だった。何をされても悲しくない。痛くない。苦しくないと。この本を初めて読んだ若い頃、私は「私には関係がない」と思った。だけど心からいつまでも離れなかった。


赤ちゃんは、親から食事を与えてもらう。一口食べて、おいしいねといって笑いかけてもらう。そうして初めて、食事とはお腹も満たされるが、同時に心も満足する嬉しいものなのだと知ることができる。
私にはそれがなかった。食べると言うことは緊張の時間だった。母の機嫌が悪ければ一言も話してはいけなかった。何かをこぼせばその時間は即座に終了する。もちろん残すことは許されなかった。急いで口へ入れて飲み込む作業を、毎日しなければならなかった。私にとって食事は苦痛であった。「おいしいものでも食べて」の意味が理解できないことが、何故なのか今なら理解ができる。

子供は両親に、心を打ち明けて受け入れてもらって安心する。外で怖いことがあっても、安全で安心な場所へ帰ることができる。そこでエネルギーをもらって、また外へ元気にでかけていける。
私にはそれがなかった。家の中は緊張の時間だった。母の機嫌が悪ければ一言も話してはいけなかった。母のうまくいかないことは、すべて私の生まれたせいだった。もちろん学校であったことを話せば叱られた。なぜなら母は私のせいで全てうまくいかず、静かにして欲しいからだ。私がいるせいで男に振られるからだ。「話したら気が楽になる」の意味が理解できないことが、何故なのか今なら理解ができる。


打ち明けるということは対相手ではない

自分の心を打ち明けることが苦手だ。それを禁止されていたからだとおもう。それから、これは本当に不思議なのだが、話しても通じない人が私の周りに多かったように思う。もちろんそうでない人もいた。けれど、私にとって怖い「話す」行為をして、理解されずに逆に攻撃をされることはとても恐ろしかった。その経験が重なって、私はどんどん心を閉ざした。

その心が、誰か他人を思いやったときに、ぱっと開いたように思う。そのままでいいのに。変わらなくていいのに。どうか安全でありますように。健康でありますように。それを自分にも向けていいようなきがした。それを一度もしたことがなかった。
だって母の愛情があったということにするならば、私の悲しみや苦しみを感じては矛盾が生じてしまうから、私が私を思いやることはできなかったのだ。今の気持ちはどんなだろうと、胸に手を当てることは危険だった。だから自分を思いやることはできなかったのだ。

自分の気持を主張することが、相手に伝わらないことが多いとして。目的はその人にわかってもらうことではないのかもしれない。それに、誰かにわかってもらった経験がないから、人一倍わかってほしい気持ちが強く、人に期待をしていたのかもしれない。
気持ちを話すほんとうの目的は、自分の心を無視しないため。それからその行為をたまたま目にした誰か、あるいは耳にした誰かが、その行為を目に留めるためなんじゃないか。5年後、10年後、何も主張をしない(あるいは嘘の表現をした)私と、3割でも主張した私とで、どれだけ人からもたれるイメージが変わるだろうか。
そうしたとき、話したら伝わる相手が周りに増えているのではないだろうか。それが心を開いて前を向いて歩いたひとの結果なのではないだろうか。震災を乗り越えて、彼女を心から信頼する家族を得た彼女は、それをしてきたのではないだろうか。プラネテスの主人公も、それに気がついて、最後には愛を受け入れたのではないだろうか。

今は私にわからないことが、もう少ししたらわかるような気がする。それは、おいしいものをひとと分かち合って、心が満たされることであったり、気持を表現して、共感してもらうことの喜びだったりする。遅すぎることなどない。ただ、さっき食べたカレーパンの、賞味期限が切れてたってことに、気がつくのが少し遅かった、ただそれだけのこと。


人が、当たり前に享受している幸せに、私はこれから気がつくことができる。お母さんの胸に、安心して顔をうずめる赤ちゃんのように。私もこれから生れるんだ。


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