見出し画像

満月の夜話(3) - 望月参り -


「うん、うちの実家では満月の夜はお祝いをするんだよ。それが望月参もちづきまいり」
「へぇ〜、どんなお祝いをするの?」
「お祝いっていうか、まぁ、とにかく丸い物を食べるんだよ。」
「ん? 丸いもの・・・タマゴとか?」
「いや、タマゴは出たことがないな。大抵は里芋だった。」
「へぇ〜。」

居酒屋でアユミとそんな会話をしたのは、今から丁度15年前の11月の寒い夜で、小さな器に盛られた『お通し』が里芋の煮物だった事が話のきっかけだった事を思い出す。
僕は地元を離れ、東京で大学生になった。最初の頃は自分にとっての常識が通じない事にとても戸惑っていた。しかし4年も東京にいれば東京の水温に慣れたせいか、滞りなく会話やコミュニケーションが出来るようになった。それでも時々冷や水を浴びせられるような事があり、愛知県出身のアユミに「望月参り」が通じなかった事は、その冷や水の1つだったかもしれない。


「で、その望月参りって、他にはどんな事をするの?」
「どんな?う〜ん、まずは外に出て満月を見て家族全員で手を合わせる。」
「それで?」
「その後は食卓で里芋とか、あ、あと丸いお餅とかも食べた事がある。」
「それだけ?」
「それだけ、といえばそれだけかな?」
「その日が雨とか曇りで満月が見えなかったら?」
「一応、窓の外を見て手を合わせてたよ。」
「見えないのに?」
「うん、見えないのに。」

アユミは、僕が大学2回生から付き合いだした子で、僕にとっては大学生になって初めての彼女だった。とにかくよく笑う明るい子だった。
その頃、僕は大学院へ進むことが決まっており、彼女の方は就職活動の末に地元愛知県の医療機器メーカーへ翌年4月から就職する事が決まっていた。だからお互いに大学生として過ごせる時間は残り短く、クリスマスやお正月旅行の計画は確かに楽しかったが、同時に寂しさも感じていた気がする。


「ケイタの実家では今でもやってるの?その望月参り。」
「どうかな?弟も実家を出たし、父さんと母さん2人でやってるのかな?」
「ふ〜ん。でも、私もやってみたいな、その望月参り。」
「・・・。」

明るい彼女が妙に真面目な顔をして言ったその言葉を僕は深く読んでしまったため、返す言葉に詰まった。僕の実家に行きたいという事だろうか?僕の両親に逢いたいという事だろうか?それとも、もっともっと先の事を考えてくれているんだろうか?
その頃の僕は、就職する事を先延ばしにするために大学院への進学を決めたような気持ちもあって、その先にある将来の事など考えられないくらいに消極的だったに違いない。だからやはり言葉を返す事が出来なかった。
それは彼女の勇気を受け止められなかった事と同じ事かもしれない。


「ケイタ、満月の夜は実家に電話してあげなよ。」
「え? あ、うん、そうする。次の満月っていつだろ?」
「次は・・・え〜と、11月27日だってさ。来週だね。」
「来週かぁ、来週は論文で忙しいんだよなぁ。」
「ちょっと電話するだけでしょ?」

ケラケラと笑う彼女のいつも通りの表情を見て、とても安心した。
来年から大学院生になる僕のライフステージは、今と大きくは変わらない。しかし彼女は地元に戻って社会人となる。
この違いは大きく、最近はぶつかり合わない冷めた衝突ばかりをしていた。東京と名古屋、新幹線で2時間足らずとは言え、これまで通りの距離感で会う事は出来ない。いや単に距離だけの問題ではない、大学院生と社会人では価値観や共有出来る感情を見出す事が難しく思えた。そんな漠然とした不安に焦点をあてると、とんでもない化け物が見えてしまうのではないかと、僕は怖がっていた。


「ね、27日さ。私達も望月参りしようよ。ケイタのマンションで。」
「え?別に良いけど。でも、お月見をして、里芋を食べるだけだよ。」
「いいじゃん、お月見。私が料理を持っていく。」
「分かった、いいよ。じゃあ本場の望月参りを教えてあげるよ。」
「よろしくね。」

満月の日、その日のお昼は青空、まさに晴天だった。とはいえ、いくら青空でも11月末となるとさすがに寒い。空が青ければ青い程、空気が冷たくなるように思えた寒い1日だった。部屋を片付けているうちに夕方の時刻となったら、あっという間に日が沈み夜になった。
エアコンをつけて、論文を書きながら彼女を待ったが、結局、論文は一向に進まなかった。満月には人を高揚させるチカラがある、それは迷信だと聞いた。しかし、実は本当に高揚させるのではないか?と思うほど僕はその日の夜を楽しみにしていたと思う。


「こんばんわ〜」
「いらっしゃい。寒かったでしょ?」
「自転車で来たし、寒いっていうか痛い。冷蔵庫借りるね。」
「いいよ。」
「月出てるね、来る途中に見えた。」
「出てるね、ちゃんと満月だよ。じゃあ早速だけど望月参りする?」
「する!」

アルバイトを終えた彼女が僕のマンションに来たのは21時を過ぎた頃だった。賃貸マンションのベランダに出て満月に一礼し、二人で手を合わせる。
そういえば子供の頃は願い事をしていた。テストで100点を取れますようにとか、二重跳びが出来るようになりますようにとか。
でも、思春期になって、月に願い事をする事は稚拙な気がして、いつの間にか、ただ手を合わせているだけになっていた気がする。
隣で手を合わせる彼女の姿を一瞥すると、目を閉じて何か真剣な表情をしていたので、僕も焦って目を閉じた。
僕はあの時、何を願ったのだろうか?彼女との今後の事だったか?それとも自分の未来の事だったか?


「お祈りはこれくらいかな。」
「う〜、やっぱり外は寒いね。」
「確かに。後は丸いモノを食べよう。」
「里芋、ちゃんと煮てきたよ。美味しくはないかもだけど。」

2人で里芋を食べながらビールを飲んだ。それだけでは足りなかったから結局、ゆで卵も食べる事になった。あんなに笑いながらゆで卵を作ったのは、後にも先にもあの時だけだった。『結局ゆで卵!!』と彼女はしきりに繰り返し、僕も一緒になってケラケラと笑った。
楽しい気持ちになればなるほど、皮肉にも正反対の感情と自然に焦点が合ってしまうものだ。2人が今まで通り過ごせる時間は残り4ヶ月、満月は残り何回かと考えてしまった事が辛かった。


「ねぇ。もう1つ丸いモノ、来る途中にコンビニで買ってきたんだ!!」
「え?丸いもの? 食べたじゃん、里芋。それにタマゴも。」
「だから、とっておきのモノ!!何だと思う?ヒントはデザート。」
「え〜?丸いものでデザート?大福とか?どらやきとか?」
「全然違うよ、まるで満月みたいな食べ物だよ。」
「あ、分かった。コンビニで売ってる黄色い蒸しパン?」
「もう、違うよ!!正解はコレ!!」
「あ〜、なるほど。」

彼女が見せたもの、それはバニラ味のハーゲンダッツだった。
確かに丸い。それに改めて月を見ると、満月はバニラ色をしていた。
高かったので1つしか買わなかったと彼女は照れながら話し、2人で1つのハーゲンダッツを食べた。
僕にとってハーゲンダッツは学生が食べるものではなかった。働いている人、つまりは余裕のある社会人が食べるものであって、彼女がそれを買ってきてくれた事は何かを暗示しているように思えた。
(今から思うと、考え過ぎだったと思うが。)


「ねぇ、今後も望月参りを続けていこうよ。」
「満月の夜に?いいよ。」
「必ずハーゲンダッツを食べようね。」
「食べたいだけじゃないの?」
「違うよ!!・・・4月から遠距離になっちゃうけどさ、ずっと。」
「うん」
「満月の日は一緒にハーゲンダッツね!!」
「分かった、約束する。」

『遠距離』という言葉を彼女はどんな覚悟で言ったのだろうか?どんな思いでそれに向き合ったのだろうか?きっと彼女自身もその言葉を声にする事を避けたかったはずだ。しかし彼女はその言葉を言った。勢いで言ったのか?ハーゲンダッツの魔力だったのか?それとも満月の高揚だったのか?
僕の方は『遠距離』という言葉をどうしても言えなかった。その代わりに、『約束』という言葉を使った。彼女の覚悟に対して自分なりの精一杯の言葉だったと思う。
そして、あれから15年。今も望月参りは続けている。



「パパ、なんで満月の日はアイスクリームを食べるの?」
「望月参りっていう家の決まりだからだよ。さぁお月様に手を合わせて。」
「うん」
「みんなの幸せをお祈りしようね。」

アユミとは『遠距離』を1年程続けたが、お互いの紆余曲折を経て、たくさんの話し合いの末に別れた。別れるその日、涙が滲んで声が出なかった僕に彼女は『これは、たぶんハッピーエンドだね。』と涙を浮かべながら言うと、彼女は最後の最後まで笑っていた。

彼女からその5年後に年賀状が届いた。旦那さんと小さな赤ちゃんが印刷された彼女らしい明るい年賀状を最後に、僕と彼女との接点は消えた。
望月参りのあの夜の約束だけを残して。

彼女が今、どうしているかは知らない。
彼女の方も僕がどうしているかを知らないだろう。
彼女は僕の何なんだろう?
元恋人という言葉はお互いの家族に申し訳ないし、大学の頃の友達と呼ぶには雑すぎる。ただ、僕の妻や2人の子供、そして父や母の存在と同じようにその人の幸せを満月に願える相手、きっと大切な人なんだと思う。

今夜のベランダは寒い。だから鼻の奥でジワりと熱くなった思いはすぐに消えた。家の中に戻ると、妻の作ってくれた里芋の温かい匂いがした。



長いものをお読みいただきありがとうございます。
フィクションのお話です、念のため。あと「望月参り」という言葉も無いです。正しくは「望月詣り」です、お気をつけください。
次回の満月は12月27日みたいです。寒いので風邪など引かないようにご自愛下さい☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?