トーキョーを語る

新卒で入社した会社に勤めていた二年間程という短い期間ではあるが、東京で働いてたことがある。

東京という街は確かに多くのものや人の集まる街なのだ、ということを体感できたことはとても大きなことだったように思う。僕自身、東京で初めて経験したことや、元々好きだったものをより洗練する機会に巡り会うことができた。初めてバーを体験したのも、東京で勤務し始めて1ヶ月か2ヶ月かが経ったころだった。ファッションに強く興味を持ち始めたのもこのころだったし、何より大学院に行こうと決意を固めたのも東京だった。その意味では、東京にいた経験はしっかりと僕の中に息づいている。

何分社会人として働き始めて可処分所得が増えたものだから、それを使って消費できるものが多い東京という街と当時の僕は親和性があったんだろう。多くのものが集まる街だからこそ、僕はそこである意味では自分の幅を広げることができたわけだ。

でも自分の人生をそこで終えるのか、と聞かれるとその答え自体はずっとノーだった。僕にとって、今の東京は過ぎて行く街だ。大きな可能性と多くのものが集積された、だからこそ流動的な街が僕にとっての東京だった。流動的な街だからこそ、僕は自分の幅を広げることができたし、そこに留まり続けることに少しばかり疲れてしまったのだと思う。

河毛俊作氏によれば、東京は再開発が進んでしまい個性を失ってしまったという。いわゆる街場というものがなくなり、段々と画一化された商業的な街に変わっていったのだと。その一面は、僕らのような若い世代にとってはむしろ個性的に見える。だからこそ今でも東京に人が集まりつづけるんじゃないだろうか。


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