「ドラァグクイーン No Light, No Queen」ヨシダナギ写真展
阪急うめだ本店9階の阪急うめだギャラリーで開催の、「ヨシダナギ写真展」に行ってきました。
(2022年4月25日(月)午後6時まで)
これまで少数民族ばかり撮ってきたヨシダナギさんの次の被写体は、ドラァグクイーン。
私たち日本では、最近でこそ、ドラァグクイーンがテレビ出演したりして、よく知られるようになったけど、人種のるつぼであり、自由を尊ぶアメリカですら、彼女たちがタクシーに乗ろうとすると、乗車拒否されることもあるらしい。
欧米では、差別などに抗議するスピーチを有名人がすると、賞賛されたり、メディアが取り上げたりするけど、結局それは、まだまだそういう差別があるからこそ、なんだろうなあ。
そして、私たちが知らないだけで、日本でも同様のことが起こっているのかもしれない。
この写真展のコピーに、
「人生はドラマでできている。」
とあるんだけど、
まさしく、彼女たちの人生はドラマ。
というか、私は誰であろうと、人生はドラマでしかないと思ってるんだけど、
会場で放映されている、彼女たちのインタビューDVDに、引き込まれてしまった。
両親が、超絶厳格なクリスチャンで、本人も宣教師になるつもりだったのに、ドラァグクイーンになっていた
とか
昔は、内向的だったけど、変わった。でも、それはジキルとハイド的なものではなく、すべて自分の中にあったもの
とか
いつかは、小さな甥たちに、多様性の教育をしたい
とか
自分のやりたいことを追求したら、こうなった。ここまでしないと表現しきれない
とか
悲壮感なんて微塵も感じさせない強靭さと、相反する脆さとを感じながら、
私は自分を思った。
自分の人生を真摯に生きるのなら、
まずは自分はどうしたいのか、
自分はどうありたいのか、
真剣に自分に問う必要があるし、
そして、その未来を願うのなら、
まずはそれに向かって、行動する必要がある。
それが、人と違う道であったとしても、
自分がこれぞ自分が進みたい道だと思うのなら、
誰が何と言おうと、自分が進むべきは、その道なんだと思う。
他の誰でもなく、自分を最も信じることができるのは自分なのだから。
私が尊敬するバンド「Super Beaver」のヴォーカルの渋谷さんが「東京流星群」という曲で歌っていたり、MCでもよく言ってるのだけど、
「誰かが鼻で笑ったのが 僕の宝だ」
というのは、本当にそうだと思う。
とはいえ、人生なんて、100人いれば100通りあって、
違っていい、じゃなくて、違うものだし、同じものなんてないと思う。
本当に自分の人生を生き切ろうとするなら、
人から非難されるかもしれないし、
同じくらい共感されることもあるだろう。
人と人とが共鳴し合う力が強ければ、
非難の声も小さくなっていく。
それも、きっと人生のBGMなんだろう。
そんなことを考えた。
学び多き30分間だったなあ。