人はフィードバックを得られないときに失望する

人は何か力を加えて、フィードバックが得られなかったときに失望します。

例えば釘を打つとき。自分の力の加減からどれくらいの手応え、つまりフィードバックがあるかを無意識に計算し、釘を打ち始めます。

打ってみて思った通り、またはほぼ近いフィードバックが得られると脳は密かに快感を覚えています。これは「人は予測不可能なものが苦手である」逆に言うと「予想通りにことが運ぶと快感を覚える」という性質に起因しています。

例え自分が想定した通りの手応えでなくとも、「フィードバックが
得られる」ということはとても重要で、その実際に得られたフィードバックの値を基に予測を修正し、少しずつ差異を縮め、快感を覚えられるポイントに予測を導きます。

例えが長くなりましたが、本題はここから。端的に言えば、「誰かに質問または提案をしそのフィードバックが返ってこないとき、人はそれを不安に思い、不快に思い、それが繰り返されると失望する」ということを言いたいのです。

業務で何か質問をしたとき。あるいは何か提案をしたとき。どちらかといえば提案の方がイメージしやすいでしょう。その場では「上に掛け合ってみる」や「検討する」といったん受け入れられても、その後回答が何も得られないと、人は大いに失望します。「ダメだった」という回答が得られるのではなく、「何も回答が得られない」というのがポイントです。

木の板に釘を打ち付けたとき、何もフィードバックがなく、でも釘は刺さっていく状況だったらどうでしょう。予測したものが全く返ってこないので、人は言いようのない不安を覚えます。

この不安は対人関係においても同じように発生し、人の社会の中でそれは「自分が蔑ろにされている」と思い始めるまでに昇華します。ふつう人は誰しもが無意識に自分で自分の存在を重要視したがっています。もともと自分の存在を軽視されること自体あまり得意ではありませんが、これが「自分はここに必要だ、自分はここに貢献している」と感じている組織の中であれば、その失望の落差は一層大きいものとなります。

これが繰り返されると、人はその人を信頼しなくなり、組織を信頼しなくなり、自分は重要視されていないと思い始め、無力感を覚え、やがてそれはそこを離れる理由の一つとなります。

つまり、相手から何か聞かれたとき、特に提案の形をしたものに対しては、きちんとフィードバックをしようということです。例え結果がダメであっても、それを伝えるのと伝えないのとでは相手の心理に与える信頼感がまるで違います。

細かいことではありますが、そういう小さいところから信頼関係は成り立つものです。

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