内田さん

月曜日は14時からの予約でしたが、13時前に
着くよう向かっていました。
内田さんと約束していたからです。


後述しますが、もう10年近くなるでしょうか。

月曜日もジムで色色と話して、そうこうしている間に会員らが
着て、それぞれロードワークに出て、待っている間に
また話して、キッズが始まり指導中に戻られました。

もう長いこと撮影されています。

再起して少しした頃、撮影の依頼を受けたのです。
元元、試合の映像関係の関わりで、その少し前から
煽りの映像の撮影で何度かジムに着ていました。


「いつまでですか?」
それの、まず終わりを訊きました。



「引退するまで。」



明日までなのかもしれないし、気が遠くなるまで先のことまで
かもしれないし、驚きました。
それから色色と話しました。



これまでのこと、些細なことまで。


「100戦やってやる。」

先月の試合、100戦は中学生の時に決めた目標の1つです。
目標は幾つも作りました。
1つでは駄目なのです。
周りと同じ必要はありません。
沢山作りました。


以前にも記しましたが「タイトルを獲る」だけでは
駄目なのです。
それだけでは誰も知りません。

なので、思い描いた将来から逆算した道を歩んできました。
大した人生ではありません。
でも、そう考えると挫折した時に軌道修正することが
楽になりますし、遠回りしないで済むと思ったのです。


8対2の法則も中学生の頃に考えたものです。
幾度も記していますが、自分のことを知らない方にも向けて
記しています。
ご容赦ください。

例えばラーメン店。
客の入らないラーメン屋があって、でもある日、雑誌に
掲載されていて行列が出来る様になります。
その中の8割は然も以前からそこの常連だった顔をします。
そして、悪い評判が流れたとして客足が遠のく様になります。
その中の8割は、然も自分は見抜いていたと口を揃えるのです。

そこで店側が起死回生の一手を打ち、もう一度注目を浴びるように
なります。
去っていった中の8割はその店のよい所を口を揃えて戻って
くるのです。

切っ掛けはそれです。
それからというもの、他のことを色色と当てはめていきます。

例えばサッカー。
Jリーグが出来る前、サッカーの人気はさっぱりでした。
テレビや新聞等、報道されるのはほぼ野球のみです。
たまの週末の昼間に空席だらけの日本リーグや何らかの試合が
放送されるのみでした。
でも、それは国内に対してのみで、日本にも根強いサッカーファンは
いるのです。
今ではクラブワールドカップと呼称を変えて美味しいところを
持っていかれた気がしますが、その昔、年末に国立競技場で行われた
欧州王者と南米王者が対戦するトヨタカップなる大会が毎年
行われていました。
国立競技場が満員になるのです。
僕は、その中の8割を考えたりしていました。

元旦に同じ国立競技場で行われる天皇杯などは空席が目立った
からです。
その癖、冬休みの終わりに行われる高校サッカー選手権では
やはり満員になるのです。
海外のそれも高校サッカーも人気もありましたが、それ故に参加賞
目当てが8割です。
そう考えると、空席だらけの国内リーグの本当のファンは
限られた少数だったと思います。

1993年には、Jリーグが開幕します。
その企画が発表された開幕数年前からサッカーが話題になり
始めました。
盛り上がる前の盛り上がりといった感じでしょうか。
僕はといえば、20歳の高校生でした。
その少し前から一般紙の取材が増えて、なので、ライターによく
その話をしました。
怪訝そうに一瞥くれる方もいましたし、熱心に耳を傾けて
くれるライターもいました。
8割が「はいはい。」といった感じだったでしょうか。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。