富士山往復 復路3
復路は2日で済ませる予定でした。
初日に御殿場から本厚木、2日めに本厚木から船橋まで。
前回がそうでしたし、普通に行けるかなと。
幾度も記していますが、疲れていようと関係ありません。
富士山から船橋までは全て下りなのです。
「自宅から富士登山。」
遊び半分で口にするのではなく、本当にそうなのです。
海抜2mの船橋から日本一の3776mの富士山頂まで。
行きはほぼ登りですし、帰りはほぼ下りです。
それまで逆はあっても、基本その通りです。
4年前の前回、復路1日目は4時間くらい早く着きました。
2日目は幾度か立ち止まったので同じくらいでしたが。
今回も圧倒的に短縮して帰って来ようと目論んでいました。
でも、今回色色とあったので、そしてそれが体調や身体に見事に
出てしまった為、少し自分に余裕を持たせるため、都内に入って
仮眠することにしました。
仮眠の有効性はこれまでの幾度も経験しているので
理解しています。
著名なことですが、30分ですらそうですし、なんなら5分ですら
そうです。
そんなことくらいこれまでの減量中などで知っていますが、
それを敢えて無視することがあるのも事実で、そこを
無視して行かなければならない時もあるのですが、でも、
試合前でもないですし、今回は色色あったし、なので、少し自分に
余裕をあげたくてもう一晩ネットカフェで休息することにしました。
なので、変更して急がず渋谷を目指します。
23時20分頃にネットカフェに入り、シャワーを待ちます。
渋谷なので何時間も待つのではないかと思ったのですが
すぐでした。
とにかく水を頭から全身に被りたかったのです。
床に腰を下ろし座り込んで、しばらく頭から水を被ります。
火照りが取れ始めたころ、足の指の間1本ずつ指先で洗い、
水圧を落として流します。
2本爪が剥がれかけて駄目になっているので水圧が強いと
痛いため優しく流します。
長時間走ると汗で皮がふやけて剥けてしまいます。
更に長距離となると爪も死に、指と指の間の皮も剥けてしまいます。
小さな痛みですが、これで走り続けるというのはとても鬱陶しい
痛さです。
踵の皮やハーフパンツの股ずれ、Tシャツの首やランニング用の
リュックの首の付け根や肩あたりの皮の痛みなども。
30分制限のシャワーですが、そんなに時間はいりません。
前述した通り、富士山から船橋はほぼ下りなのです。
下りは楽ではありますが、でも、1歩1歩歩く度に爪先の
内側に爪先が突っかかります。
生爪が剥がれかけた状態でのそれは本当に嫌な痛みで、
無理して1晩かけて進まなくても、シャワー浴びて休憩したい
となったのです。
さっぱりしてシャワーから出ると、
「下にコンビニあるよ。」
出て、ドリンクバー近くでカップラーメンに湯を注ぐ僕より上の
中年に教わって着替えて買い出しに出ます。
でも、食欲も大してなく、なのでカップヌードルを購入して
戻ります。
カップヌードルがどうしても食べたい時でもなく、腹が減って
いる訳でもなく、なので普通に食べてしまいました。
感動的な旨さは求めていないので普通に食べて普通に眠りました。
翌朝、7時にネットカフェの前で監督の内田さんと落ち合いました。
足の裏の皮膚と爪とが酷いことになっていたのでのんびりと
向かうつもりでした。
今回のこと、色色と話しながらの道のりでした。
靖国神社で参拝して、靖国通りを通り両国方面へ。
そして錦糸町・亀戸と、その先一度14号線を外れ駅向こうへ
出て蔵前橋通りへ出ます。
平井駅前を通り抜け、平井大橋を渡ります。
今回富士山に一緒に登った映像の野田さんと合流し、千葉方面へ。
行きも帰りも時に交互に落ち合って撮影をしていました。
「あれ?」
前方から会員の小川さんが見えたので、驚きます。
スカイツリーまで走る道中、偶然に遭遇したのだとばかり
思って吃驚していました。
でも違いました。
僕を迎えに来てくれたといいます。
小川さんの娘さんが息子の同級生です。
息子が小学生の頃から父兄の催しなどでよく顔を合わせました。
保育園時代から息子の同級生の父兄はあまりよい印象を抱いて
おらず、なので、記憶に留めないできた出来事が数多くあります。
運動会の父兄参加競技で一緒に競争した時のことなどをよく
話してくれます。
ダンボールで円を作り、親子で「はいはい」をして進む
という競争がありました。
僕があまりにも早くて息子を回転させながら進んでいたというのは
ごく僅かな地元民の伝説です。
小川さんとはコンビニなどで顔を合わせたことが数回あるだけ
と思います。
1・2年前くらい、当ジムに入会して、笑顔を多く見せてくれる
ようになりました。
入会した当時は表情が思い詰めたように暗い雰囲気を持っていました。
人間は気持ちで生きています。
些細なストレスや悩み、抱えて生きていてはいけません。
消費期限のないそれは、心身ともに蝕ませる原因となります。
病気ではないですが、病気のきっかけにもなると思います。
ジムに来ることを、ジムなどの集まりを楽しみにしてくれて
います。
小川さんは消防士をしています。
仕事の内側での出来事、よく教えてくれます。
僕の好奇心のそこ以外でもストレスは相当あると思います。
面白いことに僕の真似して彼も遠くへ走るようになりました。
僕が銚子まで走ったら、先に電車で行った銚子から走って帰ってきたり。
小川さん、いい笑顔を見せてくれるようになりました。
この日も15km程の先の新小岩近くまで迎えに着て、船橋まで
一緒に同じ距離を、なので、30km程の道のりなので、消防士の
その体力に感心します。
話しながら船橋へと向かいます。
江戸川で野田さんとそうう遇して市川まで一緒に進み、そこからまた
野田さんのみ電車で数駅先回りして僕を待ちます。
朝から急いで進んだのですが2駅手前の下総中山駅前で
16時40分でした。
キッズ指導、ギリギリまで中止の連絡をせずに辿り着ける方向で
急ぎました。
「会長今、船橋から富士山まで走って行って、登って走って帰って
来たんだ。」
「会長、凄ぇ。」
子供らを楽しませることが出来るかなと思い、僕もそれを楽しみにして
なのでギリギリまで連絡しないで急ぎました。
間に合う気はしましたが、待たせるのが忍びないので中止の連絡を
入れました。
急ぐわけでもなく淡淡と船橋へ向かいます。
16時45分頃、船橋駅に着きました。
自宅についたのは55分でした。
数分待たせたけれど間に合ったな、などと子供らの吃驚する
顔を見たかった後悔をしながら、洗濯の準備を兼ねて
シャワーで水を被ります。
シャンプーなんて後後。
水だけで十分です。
ある程度さっぱりしたら足の指の間から順に洗っていきます。
頭を数回洗って、身体も以下同文。
15歳の頃のタイを思い出します。
垢擦りの存在をタイ人は知らず、なので、僕が持参した
自分用のそれをとても珍しがったのです。
それだけではなく、無断で使うようになり、最後は
なくなりました。
泡を沢山立てて垢擦りで身体中をごしごしするのが大好きです。
風呂から出て体重を量ったら6kg程度しか落ちていませんでした。
理由は分かっていますので大丈夫です。
体重を落とすことが毎回の富士山走の目的ではありませんし、
そこはどうでもよいのです。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。