興味

他人様の不幸が好きな訳ではないのです。
「事件について調べたりする話」になると、そのような
一瞥を受けることがよくあります。

僕の勝手な思い過ごしや考え過ぎでなければ、
そうに違いないであろう、中中見ることのない疑いの目つきと
いうか冷たい視線を受けるからです。

「新潮45」や「文藝春秋」から販売されている文庫などを
20代半ばからよく買っています。
集めている訳ではありません。

自伝を出版するという話がきて、読書をしたことがない自分は
何かしら読書をしなければという危機感に苛まれ、でも、
薦められた賞を受賞した幾つかの自伝には手を出すことなく
そんな本を自分で購入していました。

それらには、幾つもの事件が短編小説かのように掲載されて
いて、その中で自分が知りたかった事件が掲載されている
ものを見つけては、購入し続けました。

事件後、テレビなどの結果の報道だけではなく、その
経緯を知りたいのです。
何故そんなことが起こらねばならなかったのか、そんな
ことに興味を抱くのは自然と思いますが、でも、他人に
訊ねると、そうでもない意外な返答に驚くことが度度あります。

知ったところで何も出来やしません。
何も出来やしないなら、知ろうとしてはいけない決まりなど
ありません。
知って後悔するようなことがあったとしても、それは
自己責任です。

でも、その時に報道を目にして、その事件についての経緯などの
詳細を知り、時間を遡らせることも出来ず、結果、無力な自分を
思い知り、どんよりと心、濁らせるのです。

知ることが出来て、すっきりしたかのように思うのですが、でも、
思い出す度、どんよりと、ええ、心濁らせるのです。


そのような本を何冊か今も持っていますが、でも、1冊のうち
全ての事件について触れる訳でもなく、数件触れるものもありますが、
でも、1つの事件しか読まない本もあります。
前述した通り、他人の不孝が好きな訳ではありませんので。

その為だけに購入するのか等とのご意見も若い頃は受けたことが
ありますが、ええ、その記事を見たいが為だけに買うのです。
価値観が誰しも同じな訳ではありません。

他人様の不幸に興味がある訳ではなく、自分が知りたいことに
ついて、熟知したいというだけなのです。
熟知だなんて偉そうですが、1つでも多く知らないことを知りたいのです。
そして、そういえばこんな事件もあったな、などと概要も大雑把
程度でしか知らないだけの事件のページを捲ってしまうことも
あります。

その際、他人の不孝に興味を持ってしまった自分に罪悪感を
覚えながら読み始めます。


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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。