雨粒 対 米粒
これまでの人生で何回晴れて何回曇りの日で、
何日が雨の日だったのでしょう。
52年間うっかりしていました。
52歳になった今だけではないのです。
随分と昔からそのことを考えるたびに敗北感に苛まれて
きました。
視界に映った雨粒はこれまで何粒で、何粒の雨が視界に映った
水溜りを弾いたことでしょう。
考え始めると、脳みそや頭蓋骨の内壁が痒くなります。
校舎3階の席から窓の外に映る校庭の水溜りを眺めている
視界を、そして自分では見ることの出来ない客観的に見た
その姿をよく、お散歩に出た際に見ています。
あの時考えていたこともそのまま蘇ります。
今の自分がある癖に、そのまま当時の自分の習慣にすり替わる
から僕はそれを「お散歩」と呼称しています。
校門から何歩で自宅の団地まで着くこと出来るかとか、
ケンケンで辿り着くことが出来るかだとか、思い出したことも
ないことをお散歩に出かけると添付して蘇ることがあります。
一度も思い出したこともない、記憶から完全に消去されて
しまったものがはっきりと記憶に映し出される瞬間は言葉に
例えようのない気持ちよさです。
そのサイズで気持ち悪さも同様に。
ドローです。
時は戻りません。
戻りたくはないからよいのですが、でも、あの日気になった
ことを解決したい想いはよくあります。
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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が
思うこと、感じたことなどを日日綴ります。
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
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100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。