死にぞこない 終章生き様

冷たい夜明け
帰郷
羨望
友達の形
仮面


冷たい夜明け

「久し振り」
 20時半、僕は名良橋に電話する。
「外?」
 彼は訊ねる。
「そう、外」
 僕が返す。
「今から走るから。往復」
 僕は続けた。名良橋は黙って聞いていた。
「怪我をしないように頑張って」
 黙っていた名良橋が口を開く。
「怪我をしてもいいから頑張るよ」
 僕の言葉に
「そうだね」
 少し間を空けて、名良橋は返した。
 2003年1月18日21時に成田山を目指して
走り始める。
だけど、今回はそこを折り返してもう一度同じ距離を
自分の足で戻ってくることが目的だった。6年前、成田への
片道も往復も走った。
6年前に走れて6年後の今、同じ距離を走れなかったら
体力面で致命的かもしれない。
走りきることが出来たらそれは必ず自信になる、そう思う。 
 6年前に走ったのは夏だった。真冬に走ることに意味がある。
より辛い状況で走った方が必ず自信になって自分に帰ってくる、
そう思うと嬉しかった。
 前回と同じく見えない段差に膝を痛め、溝しかない歩道で
蓋に指先がはまって足首を痛める。冷たいアスファルトは硬く、
暗い風はただ痛い。
 僕は口から白い息を小刻みに吐く。真暗な夜道と、冷たく
固まった空気は今の自分の心を表しているかのようで気持ちに
馴染み易かった。
 上着の首元の隙間から湯気が漏れる。かいた汗が冷えて、
走りながら寒さを感じる。着替えを積んだ伴走車を停めて裸になる。
溜まった湯気が一気に溢れる。湯気を立ち上らせて僕はシャツを絞る。
 体内にあった水滴が一斉に垂れ落ちる。肩から、背中から
立ち昇る湯気が気持ちいい。時折、着替えるたびに見ることの
出来るそれが、自分は冷めていないことを感じさせてくれて、
それを見るたび僕は嬉しかった。
 汗の染み込んだシャツを替え、減量着を替え、ニット帽を替え、
上着までも頻繁に替える。日付が変わって午前1時に成田山に着く。
お参りしてから蜂蜜の塗ったバナナを1本食べてまた走る。
 往路の走り始めと復路のそれは全く違うものだった。
国道51号に出ると、暴走族のバイクが激しい擬音を立てて僕を
追い越していく。
 伴走車を止めて裸になって汗を拭いている僕の傍に知らない
車が寄せてくる。後部座席の窓が開くと、女が笑いながら罵声を
浴びせる。僕は腹を立てる。
 暴走族にでもなく、女にでもなく、思い通りにいかない自分の
身体に、焦る気持ちを抑え切れずにいた。
 目印になるはずのコンビニが中々、視界に入らない。
国道296号に入る目印の本屋も見えない。真暗な道は真直ぐに
伸びていた。その冷たい夜道はどこまで走っても目印すらなく
続いていそうで、余計に疲れを感じる。

 少し前すら確認できない道は、まるで今の自分を象徴している
かのようだった。辛いのは自分の勝手、苦しいのも痛いのも
自分の勝手、それでも走らないと前は見えてこない。頑張ればいい
というものではない。でも、頑張らないと先はない。頑張れば
報われるとは限らない。でも、頑張らないと報われることはない。
かいた汗が冷えて、走りながら寒かった。
 僕は自信が欲しい。自分の夜明けは自分の力で迎えるもの、
走りながら自分を諭す。目印にしていたコンビニを抜けて、本屋を
曲がって国道296号に入る。
「信号4つ先を右折です」
 伴走車からの掛け声が聞える。だけど、中々見えない信号に
僕は腹を立てる。
 残り30kmを切ってから辺りが薄らと明るくなって、夜明けを
迎える。残りの距離よりも、走った距離の方が多くなる。目印の
場所を見つけるたびに、その場所を通過した往路の自分の身体が
羨ましく、恨めしい。
 残り20kmを切って僕は、目印から残りの道のりを逆算して
苛立つ。
 たった1cmほど浮いた溝の蓋に躓いて、蓋についている小さな
穴や網の蓋などの足場に中中前へ進めない責任を押し付ける。
頭の中でゴールから逆算した景色と、疲れ切った足で進んでいる
景色の違いに、溜息をつく。残り10kmの目印である習志野
自衛隊入り口を通り抜け、焦る気持ちが重い。伴走車を頻繁に
止めて地図を見て、何回も現在地を確認しながら、次の目印である
新京成線の踏み切りをようやく越えて、国道296号の頭まできて
右折すると、船橋まであと少しという所まで来る。
 いつも走っている馴染みのコースがちっぽけなものに見える。    
 最後、伴走車は先に回って、疲れ切った僕を待っていてくれた。
2003年1月19日11時26分、仲間らに迎えられて無事
ゴールする。伴走車の中で着替え、みんなでファミレスに場所を移し、
僕は温かい紅茶とスープを飲む。
 14時間以上走ったというのに不思議と腹は減っていない。
それよりも眠気が襲ってきてたまらなく眠い。
 体脂肪が落ちたからか、風呂に長いこと浸かっても寒かった。
14時、僕は靴下を履いて眠った。目を覚ましたのは翌日の同じ
時間だった。
 僕の夜はまだ明けていない。明けないのなら自力で抉じ開けたい。

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2003年にネコパブリッシング社から出版した 2冊目の書籍を訂正加筆しました。 全く別のもの、というわけでもなく、でも、 同じという訳でも…

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。