11月26日
付き合っている女性の誕生日なんて平気で忘れてきた
僕ですが、でも、それを忘れない人がいます。
男性ですが。
昼過ぎ、キッズクラス時代の元会員が大きくなって顔を
出してくれました。
退会したのは7年くらい前でしょうか。
「アーシー」
僕をそう呼んでくれた最後の世代です。
モンゴルと日本のハーフで、名はエレデネといいます。
今は大学生だそうです。
先日、引っ越した彼の行動範囲で通えるジムからプロでデビューして、
勝利で飾ることは出来なかったといいます。
計量で超過した選手の代理で出場が決まったといいます。
酷い話です。
僕らの時代はよくそんなことがありましたが、今も
そんなことをやっているだなんて悲しくなります。
減量もしていない準備も出来ていない会員を、試合を
壊さない為だけに出場を要請するなんてことはあっては
ならないことだと思います。
相手のみリカバリーして、対等な試合など出来る訳が
ありません。
寂しいですが、現実です。
後述します。
数年前、息子の相手が2kg超過して試合を壊しました。
その後、謝罪のメッセージと挨拶に来るというので
待っていました。
でも来ることはありませんでした。
そして、それについての一言もありません。
今日は小学校1年生の頃からの友人、名良橋晃の誕生日
です。
著書、「ざまぁみろ!」や「死にぞこない」に記した通り
6歳からの友人です。
著書にも記しましたが、いつからか友達の形は違ってしまい
ましたが、でも、彼への視線は変わらずにいます。
先日、彼のインタビューで僕の名前を見つけました。
拝読しましたが当時の視点が違ったからか、立ち止まることが
いくつかありました。
でも、それは当事者ではないからということと時間が流れて
しまったということで仕方ないことと思います。
惨たらしい事件ですら時が経てば人間は簡単に忘れます。
コンクリート事件も旭川の事件も。
僕にとっては彼はかけがえのない友人で、彼に手のひらを返されたら
もう僕は何もありませんでした。
中学時代、彼の家に誰かが遊びに来る日は僕は行けなくて家に帰りました。
誰かが着たら僕は邪魔だから帰りました。
中学を卒業してたまに会いましたが、でも、もうあの時の
それではありませんでした。
もと友達、そんな位置づけに思えてしまいました。
誰にでもそんなことはあると思いますが、そんな感じです。
たまに連絡はしていました。
今時のサッカーの話、僕にはちんぷんかんぷんで、
彼にもキックボクシングの話は同様だっでしょう。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。