16戦目 1990年11月23日

1991年タイ人との連戦4試合目、うち3ヶ月連続の
最終戦、年内最後と思われる試合になります。
当時、このペースで試合するのは異常です。
誰も、何もいってくれないので、従うだけです。
高校、全然行けていません。

「またタイ人?」もう、いい加減そう思うこともなく、
日本人との対戦感覚を懐かしむかのような感じに
なっていました。

高校の出席日数、分かりません。
この年、6戦目です。
多くても4戦程度のペースが平均と思います。

全カード決定してからの発表等が当たり前だった
当時では珍しいと思います。
1月の試合は1年生でしたが、2年生になって
春から5戦目です。
前年の苦しみがあったので減量中は登校する回数が
減ります。
留年は着着と近づいています。

1Rから前に出ます。
毎回1Rから5Rまで、体力が続く限り前へという
気持ちでした。

淡淡とRを重ねます。
4R、コーナーで左ミドルを右脇腹に蹴られました。
その後すぐにローを蹴り返して、でも、次の瞬間に
コーナーに着地で足を滑らせます。

すぐにリングに手をついて、相手とレフェリーの
位置を横目で確認します。
レフェリーは、でも観戦に夢中で、割って入って
くる様子はありません。
でも、相手は走ってくるのです。
次の瞬間、対戦相手は左手をリングに着いたままの
僕の左側頭部を左足で蹴り上げました。

その衝撃は今も頭にこびりついて剥がれることは
ありません。
左から右に視界と共に脳がずれる感覚、濁った悲鳴、 
それらを滲んだ効果音になり、濁ったBGMが流れます。 
「あ、走馬灯」
そして、走馬燈が左から右に流れるのを見つめながら
それを自覚している自分がいるのです。
バンテージを初めて巻いて嬉しかった中学生の頃の
ことや、卒業後にタイに行った時のこと、それらが
映像になって流れるのです。

耳元で騒ぐアルンサックの声で眼を覚まします。
慌てて立ち上がります。
「何?何?」
立ち上がったけれど、分からなくて、理解するのに
少し時間がかかりました。
すぐに試合は再開します。
最終Rのゴングが鳴って判定で敗けます。
不思議なもので、蹴られるこの瞬間と走馬燈は
覚えているのですが、他の記憶がありません。

それ以降、セコンドにつく際は必ずコーナーを拭いて
からリングを降りるようにしています。
全盛期を迎えても後輩のセコンドに着く際はやるように
しています。

「恰好つけるな」
心無い野次を受けたことは数え切れません。
どう思われたって、事故さえなければ構いません。

そのことをインタビューで触れる度、
「それは書かないでください」
傍にいる広報は、そういって掌で抑えるような仕草で
その度、ライターに口止めしました。
でも、発言をやめませんでした。
連盟にも直接云い続けました。
疎ましがられました。

18歳の若手、それも一選手が云ったところで相手にも
されません。
「それは云うな」と釘も刺されました。
お前如きが云うなということでしょう。

大切なのはリングのマットの貼り換えにかかる費用分の
お金ではなく選手の命です。
でも、いつも連盟側はお金の方に傾いて、僕のいい分は
通りませんでした。
なので、続けました。

全盛期を迎える辺りで、ようやくリングのペイントは
なくなりました。
そしてインターバル、コーナーに水受けの鉄板を
敷くことを義務付けられるようになりました。
けれど、セコンドに着く際は拭き続けました。
それでも濡れている場合があるからです。
そして、あってはいけないことだと思うからです。
濡れていなくても拭くそれは、事故が起こらない
よう祈る、一選手の願いです。
少し話を逸らします。

最近の選手はこの競技に対してどう思っているのか
わかりませんが、競技に対し云いたいことを発言して
内側から変えようとしないような気がして、勿体ないなと
思います。
ルールのことについてだったり、色色と競技について
思うことはあるはずです。

今の僕が発言しても効果はないし、相手にもされない
でしょう。
それは競技を背負った全盛期の選手が発言するから
意味があるし、競技や世間は注目してくれるのです。
もしかしたら、その発言によって自らを脅かす
ことになるかもしれません。
でも、それは必要な勇気だと思うのです。

人気のある選手らが内側から変えないとこの競技は
変わらないと30年思い続けています。
この一件だけではありません。
「ルールブックを作るべきだ」
それすらない癖に人気が出てきた90年頭に、
そう発言してボクシングライターに同行してもらい、
場を作ってもらったことがあります。
嫌な思いもしましたが。

今の競技の代表格的選手には、勇気を出して一歩前に
踏み込んで欲しいなと思います。
その方がファンの心に、歴史に存在が残ると思うのです。
本当のキックボクシングファンは、そういう選手の出現を
待っているとも思います。
昔も、今も。
戻します。

試合終了後、セコンドは無事に試合を終えることが
出来て安心してしまうものです。
気を張って集中しているからでしょうか、セコンドに
着いた後、急に肩が凝ったり背中が痛くなったりするのです。
 なので、試合終了直後は気を抜いてしまうのものです。

なので、自軍コーナーだけではなく、相手コーナーの水も
気になったので、そっちも拭くようになりました。
「恰好つけるな」
その際、幾度も罵声を浴びてきました。

誰の、どの試合とはいいません。
少し前、リングサイドの客から同様の罵声を
いただきました。
今のキックボクシングの会場には、ほとんど一般客はいないから
相手選手のそれか、もしくは他の選手のお友達でしょう。
恰好つけているつもりは微塵もありませんが、
だとしても、事故がなければそれでいいでは
ないでしょうか。

あれから30年の時間が流れました。
もしかしたら真似してくれている人はいるのかも
しれませんが、見たことがありません。

この場を借りて、全てのセコンドにお願いします。
その次の試合を想って、自軍コーナーを拭いてリングを
降りてみては如何でしょうか。

勿論、コーナーの水浸しは、前座からの積み重ねだと
いうことくらい重重分かっています。
でも、その次の試合に出場する選手にそれが関係ない
のも事実です。
リングで必要なのは最大限の敵意と、最小限の敬意だと
僕は思っています。
最小限の敬意の中にはそれ以降の試合への思いやりが
あって然るべきだと思うのです。

試合終了後、お互いのコーナーに挨拶に行くだけでなく
その際にお互いのセコンドがお互い相手コーナーを
拭いてからリングを降りるということが当たり前の
礼儀になったとしたら、海外の選手やセコンドや報道陣が
それを見た時に、日本という国はなんて素晴らしい国なんだと
思ってくれるのではないでしょうか。
そんな素敵な話題を日本のキックボクシング界から
発信することが出来ると思うのです。

そうはならなかっとしても、日本国内で自軍のコーナーを
拭いてリングを降りることが当たり前になる日が
来ることを願います。
他の競技には真似できない素晴らしさだと思うのです。
そして、もし、そんな時がくることが出来たら僕があの時
痛い思いをした価値はあると思のです。

価値なんて、ないよりあった方がよいに決まっています。
当たり前です。
吃驚する程、痛かったのですから。

長長とご精読ありがとうございました。

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。