志村けん

幼稚園児の頃から今も活躍しているアイドル的な方、
そういえばいいでしょうか。
人間、図図しくも成長していくのです。
知識は勿論のこと、各各の感性も成長していくものです。
その中で切り捨てていくもの、誰にだっていくつもあると
思います。

そして、時代の流れも同様にそれに加わって、更に人様の
好き嫌いもそこに加わり天秤にかけられ、笊にかけられるのです。
そして、流行りでなくなったものは残酷に切り捨てていくのです。
人間、誰しもそうです。

見なくなる方、「そういえばそんな人いたね」、そんなことが
毎年当たり前のように行われる世界で、数十年に渡り活躍
し続けるというのはありきたりの言葉での表現では足りない
程のことだと思います。

息子も彼で育てました。
息子の時代には、息子の時代の番組で活躍していましたが、
でも、スカパーやビデオで昔の映像を見せました。
「最初はぐー」だけではなく、子供の頃に伝説のように崇めた
「志村食い」と呼称して真似をして親に怒られた西瓜のそれや
牛乳の一気飲み、他にも色色伝えたかったのです。
親子で一緒に笑いました。

その後、交通事故に遭って父子家庭になります。
アルバイトとリハビリと、そんな生活でした。
楽しみといえば競馬くらいでした。
自分の夢に賭けることが出来なくなった当時は、馬の勝ち負けに
夢中になれて楽しかったのです。
勝った日には、帰り際に好きなの買ってやると息子店に立ち寄って、
誇らし気に云いました。
喜んで息子はドリフのDVDBOXを選びます。

それを買って帰宅して一緒に見ました。
それからも、過去の映像が流されれば見て、今のそれで
面白そうな番組があれば見てきました。

日本中が悲しんでいると思います。
子供の頃からずっと見てきた人がいなくなるのはただただ
吃驚です。

ああ、人間ていうのは死ぬのだな。
ふと、思ってしまいました。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。