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辰吉丈一郎

一昨日、漫画を中学生会員に貸しました。
ジョジョの奇妙な冒険の話になり、僕は全然読まずに
中学生の頃からきてしまったので、未だに読んでいません。

中学1年生の時に荒木飛呂彦のデビュー作「魔少年ビーティー」は
連載から読んでいました。
単行本もずっと持っていました。
貸したら返ってきませんでしたが。
「借りパク」
「借りたままパクる」そんな語彙がありますが、好きではない為
使用しません。
借りたまま返すことを忘れることだってあるだろうし。
貸したことを貸した側がずっと忘れていることもあります。
少ないパーセンテージではありますが、なので、盗まれた
かの様に云うのは嫌いなので使いません。
「貸したまま返ってこない。」
なので、普通に長いですがそう云います。



「パク」で繋がりの余談ですが、内田博幸騎手を「ウチパク」とも
呼称しません。
我が物顔で呼称する方もよくいますが、日本人ではないみたいな
呼び方が嫌なので呼びません。
JRAの騎手になる前の大井の頃からよく、観に行っていました。
船橋競馬場、ジムからすぐ近くです。
そんな呼ばれ方はしていませんでした。
船橋開催、交流G1の「かしわ記念」に足を運ぶと、分かった面した
にわか競馬ファン
地方馬や地方の騎手を蔑んで、パドックやスタンドに徘徊していました。
「地方の意地」勝手にそんな呼称をして地方の騎手を応援していました。
中央の騎手に他意はありません。
ただ、そういった時は、著名な騎手を置き去りにしてくれる地方馬に
爽快感を感じていました。

大井といえば的場文男、内田博幸、そして戸崎圭太です。
船橋は石崎隆之、駿の親子、「ひだりうみの方の」左海(さかい)騎手が
看板だったでしょうか。
中央で中央の騎手も応援しますが、地方の騎手も応援します。

交通事故に遭ってリハビリとアルバイト生活の頃、よく足を運び
ました。
その頃は、まだ地方所属の内田騎手はアジュディミツオーに騎乗して
いました。
然も自分は分かっている風を装った競馬ファンが鼻で笑っていました。
確かに馬体もいいし、調教もいいだろうけれど、馬場は地方のものです。
リングが違えば戦いづらいのと同じです。

その時点でにわかだと思います。
にわか中央のファンが悔しがって馬券を破り捨てる姿を見て爽快でした。
ミツオーのマウスパット、今も部屋に飾っています。
子供の頃に父から貰った左馬と宝物です。
ユニオンオーナーズクラブの会報に記したエッセイ、大分遅くなって
しまいましたが近日中にプレゼントします。
「おおいた」と読まれた方、おめでとうございます。
何がおめでとうなのかは内緒です。

話し逸れたついでにもう1つ。

13年前に友人が亡くなりました。
彼は、大の競馬ファンでした。
火葬場で最後の別れをする時、僕は競馬新聞を友人の胸元に
置きました。
「おいらは戸崎が来ると思います。」
まだJRAに転向する前の安田記念だったと記憶しています。
戸崎圭太が騎乗するリアルインパクトがG1を獲りました。

そろそろそんな時期だなと、今頃の時期になる度、友人を
思い出します。
今週の土曜日はジムをキッズクラスのみにして、夕方から
彼を偲ぶ会に出席します。

今週は、横山典弘騎手が日本ダービーを獲って買ってはいない
癖に喜んでいます。
騎手そのものとしても好きですが、やはりベテラン好きな
もので、どうしても応援してしまいます。
野球は全然分からない癖に中学生の頃からパ・リーグの選手を
応援していました。
村田兆治や門田博光が好きでした。
僕がよく使う語彙でいうと、存在力でしょうか。
その存在力に惹かれました。


大分脱線しましたが、本題に戻ります。


その代わりといってはなんですが、人に物を貸すことをしない代わりに
借りることもしません。
貸す際は、返ってこないことも覚悟して貸します。
誰かを嫌いにならないで済むし、自分も嫌な思いをしないで済むからです。

誰に貸したかも思い出せませんが、貸して戻ってないことは覚えています。
でも、作品だけはどうしてももう一度読みたくて、息子が生まれた辺りの
年に手に入れました。
それを貸しました。


一昨年、小学校を卒業したばかりのその彼が入会しました。



「プロになりたいです。」


口で云うのは簡単だけど、勿論、簡単に口にしているわけではない
ことも分かっているけれど、教える順番を考えました。


覚悟とかだけではなく、必要なことは沢山あるからです。
キックボクシングは未だにキックボクシングのままです。
あの頃と本質的には変わっていません。


「ただ、それでも頑張りたいというのなら。」
この2年半、色色なことを話しました。


練習だけでなく、色色なことを。


「辰吉さんが好きです。」


その少年は、今をときめく井上尚弥ではなく、辰吉丈一郎が好きだと
いいます。
井上尚弥も好きなボクサーですが、自分の時代の選手を好きだという
ことが嬉しくて、色色と話してきました。


練習の合間や練習前後の空き時間、僕が感じてきたことなどを
話します。
歴史は正しく伝わりません。
どこかで歪曲するものです。

事、いじめに関してもそうです。

いじめに参加していた癖に、不参加していたことにして微妙に
安全側に立場を入れ替えるといったことが分かりやすいでしょうか。
そんなの日常茶飯事だと思います。

元嫁の兄が小学校の教員です。
息子が保育園児や小学校に入学したての頃、
「いじめられているからやめてください。」
「この子が自分からそう呼んでいるんだ。」
何度もそうお願いしているのに、その呼ばせ方をやめては
くれませんでした。
「この子が自分からそう呼んでいる。」
いい大人が自らを第一人称でそう呼称するから幼児は反復する
のだときうことが理解できないのです。
これまでの事件を見てみれば分かります。
「いじめはなかった。」
「気づかなかった。」
自らの不手際の際、教師はそうやって逃げればいいのです。
今もいじめがあってもそうやって他の生徒から責任逃れをしているの
でしょう。


こんな最近のことが正しく伝わっていないのなら歴史上の
数数の出来事も間違いはあるのだろうなと思います。


「ピラミッドは人間が作ったものではない。」

そういうと、

「じゃ、宇宙人が作ったとでも云うのかよ。馬鹿じゃねぇの?」

中学生の頃によく馬鹿にされました。
教科書が新しい事実に書き換えられたらそれを鵜呑みにして逆を
馬鹿にするのです。
そういう人たちは。


自分の考えを持つこと、自分自身を持つこと。
そういうことをよく話しました。


「ざまぁみろ!」にも記しましたが、16歳になったばかりの頃かなと
思います。
前年、15歳でデビューしたものの現実は何ら変わっていないと思えた
自分自身とその周りでした。


キックボクシングには専門誌などありませんでした。
発売日に書店にボクシングマガジンを買って、でも、我慢出来なくて
公園のベンチに腰掛けて開きました。
高揚しながら試合の試合を眺めてページを捲ると、夕焼け色に染まった
モノクロの見開きのページに僕の気持ちが止まりました。


「この男は上がってくるな。」

そんな予感がしました。


時が立ち、古い号を処分してもその号を含む幾つかは捨てることは
しませんでした。
僕の予感は当たりました。

数年後、辰吉丈一郎が日本中を賑わせます。

僕が知った紙面は、まだプロデビュー前の初めての紹介だったように
思います。


僕は自分の予感が当たったことが誇らしく思えました。

ずっと大事にしてきましたが、それを知らない若者に数年前に
差し上げました。
その為、僕の手元にはなくなってしまったのですが、でも、
その頃の自分の気持ちも失くしてしまったような気がして
やはり探しました。
古本を扱うその店で少し前、再び手に入れることが出来ました。

でも、


「これは、あげる。」

でも一昨日、練習に着た中学生にその号をあげました。
中学生が辰吉丈一郎が好きだというその気持ちが嬉しいでは
ないですか。


ちゃんと伝わっていない当時の世の中や僕が感じてきたことを
この2年半、よく話しました。

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。