自殺
自らを殺す、だから自殺と記します。
報道も最近ではそう表現しないのだなと、そこに違和感を
感じます。
僕も、何回か考えた記憶があります。
最初は小学6年生でした。
その前から仲間はずれによくなっていたので、だから
なのでしょう。
サッカー部員は同じクラスにもいましたし、そして、それが
権力を持っていたりしたので、何かいい返そうものなら、
いつもクラス全体の無視が待っていました。
だから、常に出来るだけ穏便に済まそうと努めました。
担任も、彼らに対しては友好的というよりは、クラス全体の
空気を掴もうとのことなのでしょう。
時に媚びを売っているかのように感じました。
でも、当事者からすると、大人が子供をよいしょしている
だけのように思えました。
サッカー部の顧問は実力主義的ではありましたが、それ故に、
他校の生徒を替え玉で連れてきて大会に出場する有様です。
レギュラーをようやく掴んだ6年生の夏、大会の集合場所に
他校の子供が僕の替え玉で来ていました。
その子に指示通りユニフォームを渡し、僕は帰宅しました。
その後、顧問の誕生日というその日に起こります。
練習後の校庭は真っ暗でした。
切っ掛けは覚えていません。
理由なんて何でもよく、すぐにやられたからです。
売り言葉に買い言葉、そういえばそうなのでしょう。
急にみんなが集まり、僕を殴り蹴り、羽交締めにして
顔に砂をかけ、上から唾を垂らし、殴る蹴るしました。
どのくらいだったでしょう。
自分が悪くはないので謝ることはしませんでしたが、でも、
なので、続きました。
殴られたり蹴られたり、それくらいはいつものことでしたが、
仲良くしている友人や、何事もなかった部員にされたことは
屈辱以外の何物でもありませんでした。
涙を拭いながら家路について、5階の踊り場から下を眺めて
いました。
僕だけではないと思います。
飛び降りようとする人間は、皆、考えるのだと思います。
足をかけて、その次の一瞬先をです。
跨いで踏み出して、重力に任せて、その先の刹那刹那を、です。
「あぁ、やっぱり飛び降りるんじゃなかった。」
「ちょっと待ってちょっと、いや、でも、」
でも、時間は戻ってくれません。
そんな地面に叩きつけられる直前までを幾度も幾度も
数え切れないほど想像してきました。
「意気地なし。」
その時も、かけた足を降ろして自分に呟いたものです。
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キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。