ジムブログ
本日は定休日です。
19時からゴールドジム本八幡店でスクール指導をやっています。
こちらのをコピーして貼り付けたジムのブログなのでこちらには
不要にも思ったのですが、でも、追記したのとなんとなく
気分的にそう思ったので逆に貼り返します。
「手前ぇが先に貼り返してきたんじゃねぇか。」
「お前ぇが先に貼り返してきたんじゃねぇか。」
「お前ぇじゃねぇ、馬鹿野郎。親でもねぇ癖にお前ぇ
とか云ってんじゃねぇ。」
「手前ぇが先に貼り返してきたんじゃねぇか。」
このnoteのテキストと、ジムブログとの口論が
始まってしまいましたが、仲裁には入らずに放置したく
思います。
そんな訳で、ジムブログです。
ことの発端はそんな過去が切っ掛けです。
いじめられっ子、自分をそう思ったことがありません。
中途半端な子供でした。
「いじめられた」だけでなく、受け身でその語彙を使うことが
嫌で、著書らではほぼ、使用していません。
「殴られた。」ではなく、「◯✕は僕を殴った。」
または、「無視された。」ではなく、「僕を無視した。」に
なっているはずです。
意識して、時間をかけてそこは拘ったのですが、最後の確認の
段階で文章が大分変わっていて、なので、昼は喫茶店で夜はカラオケ
ボックスに籠もって(ネットカフェ等ない時代です)編集者と
読み直し、訂正して最後の数日は急いで赤ペン入れまくりました。
受け身は使わない、被害者ぶっているわけではありません。
文章が下手糞な分、そこは拘りました。
そこに気づいて感想をくれた方、これまで1人だけいました。
そして、全てが体言止めに変えて自分の文章ではなくなっていた為、
それも最後の晩で全てを強引に直しました。
短時間での作業なので、「のだ。」「なのだ。」とかなり強引に、
360ページだか分、全ての文章の終わりを締めくくりました。
でも、その言い回しが身についてしまい、ブログを始めた当初は
そういったのが常になってしまった程です。
自分で描いた栞を添えたいとか、表紙のカバーに自分も描いたイラストを
添えたいとか、手書きのメッセージを表紙の裏に添えたいとか素人の癖に
実に図図しい要求をしました。
発売して、すぐに「暴露本」だの色色な批判を関係者から受けました。
受け身の表現を使っていませんし、自分に纏わること以外記していない
のに、そういった批判がネット掲示版に並びました。
ええ、8割が関係者でしょう。
世の中、何でも8対2です。
報道されて、ラーメン屋に行列が出来ようものなら、然も自分は
以前から通っていると流行る前からの常連振る方が便乗組の中の
8割でしょう。
ファッションでもそうですし、歌でも、なんでもそう。
健康に纏わるそれなんかが分かりやすいかもしれません。
「俺は前からやってるけどさ、」
一度もその拘りを見たことない方が8割、語りたがります。
きっと、不健康ブームの頃は、うんこ座りして煙草を吸って
「俺は1箱千円でも吸うよ。」
意気揚揚と煙と共に妄言も吐いていたのかもしれません。
本を出版しようが一般の方らには名前は知れ渡っていないのに、著名人の
ように掲示板の悪口は増えていくのです。
数年前にも同じようなことがありました。
関係者しか、当事者しか知らないことを然も、第三者が記したかの
様に書き込んでいるのです。
その頃、キッズ指導中に小学生会員が鉄アレイを持ったシャドーの
練習中に誤って手を離して入り口のガラス扉を割ってしまったことが
あります。
親御さんに事情を話して、でも、負担を軽くするためにしばらくは
業者を探していました。
テープで固定したガラス扉が映る背景のインタビューがYou Tubeで
流れます。
すぐに、掲示板に僕の悪口やジムの悪口、ジム生の悪口が
並ぶようになります。
ジム生に至っては第三者からという体ではなく、ジム生を装った人間が
僕やジムの悪口を書き込むまでになりました。
「誰もいない。」
「ミットも持ってくれない。」
「ジムで横になって寝ている。」
そして、女性会員への卑猥な侮辱。
などのジムの悪口。
様様なものです。
「昨日、ジムの前通ったけど、」
そんな始まりから始まる書き込みをいくつか目にしました。
「誰もいなかった。」
誰もいない時くらいはどこだって、あるでしょうから。
「iPhone弄っていた。」
だの、様様です。
手を抜いているということをいいふらしたいのでしょうが、
そりゃ弄ることくらいあります。
その程度で上に立たれても困ります。
でも、
「昨日、ジムの前通ったら、まだガラスが割れていた。」
ある日、そんな書き込みがありました。
その他、ファイトマネーの振込日や他、当事者しか知らないことを
然も第三者化のように綴っていたので核心を得ていました。
あとはこちらから反撃をする機会を伺うのみでした。
明らかに違うといえる切っ掛けを待っていました。
この時がそうです。
ガラスは、もう数ヶ月前に直っているからです。
「でも、このスレッドの書き込みは名古屋の2・3人ですよ。」
少しして、あまりの悪口の多さに管理人が割って入ってきて
くれて、少ししてそのスレッドは削除されました。
弁護士事務所等にも訪ねたりしましたが、その頃は法的措置も
取れない時代でしたので、泣き寝入りです。
悔しいけれど、そんなものです。
他のも似たようなものです。
何が、なのか、それは想う方にお任せします。
他人は他人、自分は自分。
それでも頑張らなくてはいけません。
頑張りたいのだから頑張ればよいのです。
悔しいなら頑張ればよいのです。
しつこいですが、いじめはなくなりません。
加害者は覚えてすらいないし、傍観者は新しいブーム、便乗探し
に忙しくしています。
世の中はブーム探しで回っています。
誰かを叩くブーム、同情するブーム、それらに便乗するブーム。
他にもあるそれらの繰り返しです。
散散誰かを叩いていた癖に、いざ亡くなろうものなら同情ブームが
開催されます。
芸能人であれ、政治家であれ、スポーツ選手であれ、みんな
そうです。
大切なのは自分が被害者にならないこと。
僕は自分に自信のないそんな子供だったから、そう思います。
ジムに通う子供にも、大人にも。
勿論、他の方にも。
まずは日頃のストレスを気持ちよく吐き出して欲しいと思います。
なので、そんなミット持ちです。
僕のことなんて、どう思おうがその方の自由です。
カリスマだなんて表現はやめて欲しいくらい恥ずかしくいつも
思っています。
カリスマならこんなに敗けた人生ではありません。
ただ、自分の目標は1つではないので、まだ残っている
それに向けて、そこに賭けて頑張っているだけです。
大したことではありません。
重複しますが、僕のことなんてどう思われようと自由です。
ただ、僕が僕のことをどう思おうと、それも自由です。
下記、数日前に記したnoteのテキストです。
高橋ナオト氏と連絡が取れないかという件で先日、
某テレビ局から電話をいただきました。
Facebookのタイムラインに彼が映っている指導の様子等を
見かけることがあるので、それで連絡してみたらどうかとお伝えしました。
もう、昔の携帯番号とかではないでしょうし、連絡は長いこと
取っていないからです。
誰とも特別仲よくしない代わりに、誰とも喧嘩はしない。
それが僕のルールです。
僕のことが嫌なら嫌でよいのです。
簡単です。
縁を切ればよいのです。
そういう場合、捨て台詞を吐き捨てる方が多いですが、僕はそういうのは
嫌いなのでその際は手で払いのける仕草をして、去る様急かします。
悪口というよりされて嫌だったことくらいは云いますが、それも不快な
想いをして、既に仲よくしない人間に対してのみです。
その様なことを云っておいて仲よくしたり、付き合ったりはしません。
和解したりすることが稀にありますが、その際はそれを機に
やめます。
その後、嫌なことがあっても云いません。
それとなく付き合っている癖に陰で云うのは嫌いです。
自分も陰口叩かれているでしょう。
いいのです。
そんなことは気にしません。
でも、その代わり仲よくしないで欲しいと思います。
陰口叩いておいて、仲よく声かけてくる人の気持ちが理解できません。
なので、その人との付き合いの深さにもよりますが、間接的にも
関わりたくないので周囲とすら疎遠になります。
後述に繋がります。
数日前のその日に戻ります。
ロードワーク中の電話だったので、Facebookで
こちらも探してみると簡単に説明して
「連絡ついたらこちらからまた、連絡します。」
そう云って電話を切って、再び走ろうと、でも、待てよ、
「ありました。ありました。要件伝えました。番号教えてくれた
ので、今から番号云いますね、」
Facebookのメッセージの履歴があったので、
それで要件を要約して送信すると、電話番号が送られて着たので
すぐに電話をかけ直しました。
番号を告げて、再び走りました。
9年前、2014年に遡ります。
Facebookのメッセンジャーにメッセージが届きました。
高橋直人氏からでした。
「こんにちは。久しぶりです。」
久しぶりの彼からの挨拶は、余所余所しい他人行儀な、でも、
丁寧な書き出しの文面で始まりました。
話はそこから20年程前、今から30年近く前の知り合ったばかりの
頃に遡ります。
当時、僕は22歳でした。
人気の絶頂だった頃、僕の試合になると後楽園ホールのチケットは
完売になり、ダフ屋の行列が出来る程でした。
そこまで表現しても自惚れでない程、キックボクシング人気を
上げたと自負しています。
各界から著名人が観に来てくれるようになり、ますます
広がり始めました。
それ以上の存在になれなかったのは僕の努力不足です。
仕方ありません。
「死にぞこない」の「格下」にも記しましたが、試合後にライターから
紹介されて彼と知り合いました。
試合翌日に電話がかかってきて、いきなり呼び出されたことも
打ちながら思い出します。
それを切っ掛けに仲よくなり、ジムを開くというので練習に
行くようになりました。
キックボクサーがボクシングジムに練習に行くことに否定的な
時代でした。
でも、僕はもっと強くなるための勉強がしたかったのです。
著書にも記しましたが、問題はいくつかありました。
裸足で練習することや、サンドバッグを蹴るということ。
足蹴にする、蹴るということはそうですが、でも、粗末にする
という語彙からくる印象のそれとは違います。
それを承諾してもらい、昼間はよくJBに通いました。
もう、練習場所がなかったので、次第に通う回数は増えていきます。
山田トレーナーにパンチのミットだけでなく、キックミットも
覚えてもらって、練習するようになっていきます。
そして、再び2014年に戻ります。
「突然連絡をしたのは、謝りたいからです。」
挨拶の後、そんな言葉をメーッセージの切り口にして、その時の彼の
日常が綴ってありました。
その頃、JBを辞めて日雇いで日日を送っている(当時)といいます。
そして、今から30年前のことを。
「あの時はごめんなさい。」
許してほしいからということではなく、もう一度仲よくして欲しいと
いうのでもない、という説明も添えて謝罪の言葉が最後にありました。
前述した通り、彼のボクシングジムで練習させてもらうにあたって、
蹴るということ裸足で練習すること等は問題ありませんでした。
当時、他のジムだったら駄目だったでしょう。
キックボクサーがボクシングジムで練習するなんてことはない時代でした。
それは彼の器量でそうしてくれたのだと理解しています。
でも、1つどうしても譲れないことがありました。
「お前さ、」
「すいません。僕のことを「お前」って呼ばないでください。
呼んでいいのは親だけです。」
幾度も口論になりました。
「俺にとってはさ、お前はお前だからお前って呼ぶよ。」
「やめてください。」
「やめないよ、俺は俺だから。」
彼とは、数え切れないほど言い合いました。
誰に対してもそうやってきました。
「お前。」
そう呼ばれることを、誰からも拒否してきました。
中学を卒業してからは好き嫌いが尚更はっきりして、自分よりも
上の人とも口論してきましたし、更に上の立場の人には嫌われたりも
してきました。
ジムの会長や違うジムの会長、先生も先輩も他の大人にも。
その度に面倒臭がられて、僕が嫌われて終わります。
烙印を押されて、でも、縁はこちらから切ります。
そういう上の方とは、なので、浅い付き合いにしかなりません。
他人は他人、自分は自分です。
友人の部類でも馴れ馴れしくそう呼ぶ方、よく見ますが、なので、
そのような方とは僕の場合、その手前までの関係性で留まります。
どんなに仲のよい友達だろうと呼ばれたくはありません。
僕が偉いわけではありません。
でも、嫌なものは嫌なのです。
僕は、自分の息子にですら殆ど使いませんでした。
本気で叱る時だけ使いましたが。
「そういう生活をしていると、お前呼ばわりされることが多く、
その不快な思いに悩まされています。」
彼の心中が綴られていました。
過去を思い出して、年下の人間に詫びることが出来る彼は
大人だなと思います。
色色とあったのだろうことを察します。
「僕のあなたに対しての気持ちは2冊目の本に記しました。
練習場所のない僕に練習をさせてくれたこと、サンドバッグを
蹴らせてくれたこと、今も感謝の気持で一杯です。
中略(色色と僕の彼への想い)
散散、社会で打たれて辛い思いをされたのかと思います。
でも、勝負はここからじゃないですか。
僕もまだまだ勉強です。
お互い頑張りましょう。」
そんな返事を送りました。
いつか笑って再会しようという返事に、そうですねと約束を返して。
そんなメッセージを読み直して、30年前から9年前までの
ことが一気に、夜道を走る僕の目の前にフラッシュバック
して映し出されました。
その後、幾度かキックボクシングの試合会場で見かけたので挨拶
しましたが、彼があるキックボクシングジムと携わることになりまた、
疎遠になりました。
連絡を取ろうとも思わなくなったのは彼が嫌いだからではなく、
間接的に関わる人と関わりたくないからです。
前述した例えに近いというか、そのものの感情です。
昨年夏、日本テレビから連絡が入り、幾度か取材を受けました。
当ジムのプロデビュー間近まで育てた選手が家庭の事情で退会し、
なので、自分を優先させることにして夏手前から身体を作り始めて
いました。
そんな時に連絡が入り、取材を受けることにしました。
髪の毛はまだ後ろで縛ったままです。
試合が決まるまで切らないという自分との決め事で、2年間
髪の毛を伸ばしてきました。
どうせならいい番組にして欲しいというこちらの願いもあり、
こんな自分に声をかけてくれたことが嬉しいので、協力は
惜しみません。
夜通しで朝までインタビューを受けた日もあります。
色んなものをお貸ししました。
その中で、NHK教育テレビの「マイライフ」という番組に
出演した際に高橋ナオト会長とのミット打ちの映像が使われた
映像なども含みます。
その映像を使いたいということで、NHK教育テレビに問い合わせたところ、本人の許諾が必要だというので、それが切っ掛けでのやり取りです。
僕のことなんて知らない方には知ってくれたら嬉しいし、応援して
くれている方には喜んでもらいたいと思います。
キックボクサーなんてただ消えていくだけなのです。
過去の名勝負といわれた試合らも、選手らも。
でも、こういう形で報道されることによって話題になれれば
嬉しく思います。
試合や選手らを少しでも思い出してもらえる切っ掛けを作れたら幸いです。
昭和から続けている選手は僕1人です。
だから出来ると思うのです。
あと少しだけ、僕個人が話題になれなくても構いません。
キックボクシングは次ぎ次ぎに代わり、過去のものがその度に
なかったことになって、それを繰り返します。
ですが、いつか、過去を引っ張り出す切っ掛けになれたら
なと思うのです。
今月、18日水曜日今夜20時から放送の「笑ってこらえて」←(次週予告)
という番組に出演します。
ジム生やnoteだけ教えて、ここも出さなくていいかなという思いもありましたが
お知らせします。
気が向いたら見てください。
お知らせ
電話は転送しているのでお気軽に問い合わせください。
047411ー8696
電話は転送していますので、営業時間外朝でも夜でもお気軽にお問い合わせください。
毎週水曜日はゴールドジム本八幡店でスクール指導しています。
そのため定休日です。
スクールも体験は無料です。
ビジターチケットも販売しています。
お気軽にお問い合わせください。
ゴールドジム本八幡店
047−320−2525
なお、ゴールドジム本八幡のスクール会員とASSHI-PROJECTの
併用会員はA-Pの会費半額です。
ここから先は
キックボクサーな日常と、立嶋な日常
100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。