死にぞこない 第6章追憶
目次
錆びついた刀
第三者による絶望
刹那
創志
蝉の鳴き声
餞別
僕らの景色
記憶
欠片
湊
存在
回帰
青
たて
背番号
チーコ
沈黙
37歳
錆びついた刀
1R、スリップ後に殴る。レフリーがカウントを数え始める。
ダウンの宣告と同時に周囲が黄色く光り、僕の目の前が真っ暗になる。
僕は背中で溜め息を吐く。それにレフリーは気付いていないようだった。
錆びた鉄の味がする。生温かい液体が唇を伝って口に入る。それを
舐める。
試合の内容も大体のジャッジも覚えていないまま回を重ねる。
左膝に電気が走って我に返る。なんてことないパンチで僕は倒れる。
立ち上がると、レフリーは両手を交差する。試合終了を告げるゴングが
鳴った。
2002年9月8日、4Rに僕の夏が終わる。
絶望感だけを背負って控室に戻る。会話もほとんどせずに控室を出る。
僕の気持ちなど知ったことなしに、残りの試合の歓声が通路に漏れている。
興業が終わる前に会場を後にする。夜風は僕の気持ち同様に寒かった。
出口で待っていたファンクラブの連中と近くのハンバーガーショップで
コーヒーを飲む。彼らは僕を慰めようとしない。それが救いだった。
携帯電話に目をやると名良橋の番号が着信履歴に入っている。
僕は、名良橋の携帯に折り返す。皆を待たせて、すぐ目の前にあるホテルのレストランに入る。
皆が嫌な顔をして僕を見る。不思議そうに、それでいて汚いものを見る
ような目で僕を見る。七分丈のジャージを履いて、
膝に氷の入った袋を巻きつけて足を引きずり、鼻血が止まることなく垂れている。
「ここ、ここ」
気付かない僕に、目の前にいる名良橋が声をかける。
僕らは席についてただ黙っている。それはいつものことで、僕らはお互いの試合の話をしない。お互いの試合を観に行くことはあっても試合後に飯を食べても試合のことはお互い話さない。
それが僕らの暗黙のルールなのかもしれない。
僕らは、試合直後のレストランでそれとは関係ない話をする。
止まらない鼻血が僕の手を赤く染めた。
「じゃ、また」
僕は席を立つ。再びハンバーガーショップに戻ってファンらとくだらない話をして、握手をして別れた。
前日から宿泊しているに戻り、地価の焼肉屋で友人たちと飯を食う。
正確には僕は食べずに見ていた。一口二口だけご飯を貰い腹一杯になって、友人の運転する車に乗って、僕は家路につく。
部屋に着いて荷物を降ろして友人を部屋に待たせて、僕はシャワーを
浴びる。
風呂から出て、僕らは共通の友人が働く店に向かう。
1人にはなりたくない。誰にも言うことの許されない自分の気持ちを殺してくだらない話をして笑っていたかった。
アイスコーヒーだけで僕らは明け方まで酒を出す店にいた。
第三者による絶望
1994年1月9日、試合前の僕は、スポーツジムで汗を流した後、
ロビーに設置されているテレビの前で足を止める。
ヴェルディ川崎と鹿島アントラーズがJリーグ初代チャンピオンシップを
争っている。
試合が近いので、最後まで見ないで出口に向かおうとしたその時、ジーコがボールに唾を吐きつけて退場になる。それまで
レフェリーに唾を吐きつけたい思いを何度も経験した僕は、ジーコの気持ちがわかるような気がした。
レフェリーの匙加減一つで、油断一つで、気持ち一つで、選手は何より
大切な白星を失い黒星を背負う羽目になる。
選手が試合に臨む気持ちを無視されたかのような気持ちになる。
レフェリーにはたった1回のミスで済んでも選手はその気持ちを一生引き
ずらなくてはならない。
5万人の大観衆の前でスーパースターが醜態を晒す。それはその試合に
対してだけではなくレフェリーに対してのジーコのメッセージに思えた。
当然、試合を投げたつもりではなく、気がついたら唾を吐いて、退場に
なっていたのだろう。
自分の存在を作った場所で、仕事を放棄する選手などいるわけがない。
敗けたのが自分の実力なら、その悔しさは正しい方向に向いてまた頑張る
ことが出来る。しかし、それが少しだろうと第三者による過失が加わると
気持ちは萎える。実力で負けたのなら全ては負けた自分が悪い、そう思う
ことが出来る。悔しかったらまた頑張ればいい。しかし、それに第三者の
過失が加わると、そう思うことは出来ない。
その絶望感はいつまでも後悔と共にその第三者のレフェリーに憎悪感と
なって深く心に刻み込まれる。自分のせいだけに出来ない煮え切らない
自分をいつまでも引きずることになる。
スリップした僕に対戦相手が向かってくる時、レフェリーが割って入ら
なかった時も、その後相手が僕の頭を蹴り上げた時も、その時に僕のダウンを宣告してカウントを数え始めた時も、スリップした時に対戦相手が僕を
殴って顔を抑えたらダウンを宣告した時も、僕を両手で突き飛ばしてキャンバスに頭を打ちつけた時も、僕はもう疑問符を投げかけることなく背中で
溜息を吐く。
目が、向上心のない初歩的なミスを犯すレフェリーに溜息を吐いて僕の
集中力は切れる。
潔く負けを認めることのできない原因を作ったレフェリーは簡単に忘れることができるのだろう、僕らはいつまでも忘れられないというのに。レフェリーのたった一瞬の油断一つで選手は一生消えない思いを背負うことに
なる。選手はレフェリーに完璧を求める。それが無理ならそれに近い努力を求める。向上心のないレフェリーは今すぐに辞めて欲しい。僕にはあの時、唾を吐いたジーコの気持ちがよくわかる。
「また、レフェリーのせいにして」
僕の気持ちを知らないもう一人の自分が頭の中で呟く。
2日後の9月10日、僕の頬の傷が疼いて赤く腫れ上がる。
試合後には何ともなっていなかったというのに、頬にある寝そべった三日月は赤くなって傷跡から血が噴き出した。
刹那
2002年9月15日、国立競技場で行われるJリーグ、セカンドステージの鹿島アントラーズ対東京ヴェルディに足を運ぶ。僕の目当てはサッカーではない。名良橋のプレーが、走る姿が見たかった。真黒な空からは天然の芝生にだけ向けて、無数の太陽が当てられている。
19時、キックオフ同時に22人の大人たちが、たった一つのボールを
必死になって追いかけ始める。僕は、それを柵の外で見守ることしか出来
ない、それを見て騒ぐことしかできない数万人の中の、ただの一人だった。
名良橋はボールを追いかけている。時にパスを出し、時に相手ゴールめがけてボールを思い切り蹴る。そしてスペースを求めて走り、新たなそれを
見つけてまた走り出す。その様子を僕は群集の中から眺めている。時に立ち上がり、時に歓声を上げて、ただ眺めていた。名良橋は当然、僕がその群れの中にいることも知らず、自分の仕事に没頭している。
所詮中学止まりのキャリアしかない僕から恐れ多くて口に出すことは出来ないけれど、小学時代に自分が守っていたポジションを名良橋がどんな気持ちでプレーしているのか気になった。
サッカー選手、名良橋のことを僕は知らない。どういう時に悔しくて、
どういうプレーがしたいのか僕にはわからない。
その彼は僕の視界に映る緑の中を右に左に忙しく長方形の中を全力で走っている。それを外からでしか見ることのできない僕は、大歓声で応援される友人を見て正方形の自分の職場に無性に戻りたくなる。
創志
2002年9月27日、昼過ぎに携帯電話が鳴った。バイブレーターに
していた携帯は、折り畳みのテーブルの上で二つ折りの携帯が上を向いて
小刻みに震えていた。
居間で横になって興味のないテレビ番組を、まるで義務かのように眺めていた僕は慌てて液晶に映った着信番号に目をやる。
名良橋からだった。わかってしまった。
「久しぶり」
携帯の中から先に彼が言う。話すのは9月8日の試合以来になる。
「久しぶり、どうしたの?」
平日の昼過ぎに彼が電話してくることはまずない。
「創志覚えてる?」
その一言で、僕は自分の予想に確信を持つ。
「田村創志、覚えてる?」
下の名前だけでは僕がわからないと思ったのか、苗字をつけて
復唱する。
「覚えてるけど、どうしたの?」
わかっている癖に確認できない自分がいた。一到してしまうことが
恐い。
「昨日、なくなったって」
やっぱり、僕は心の中でため息を吐く。その日、朝から子供頃の
ことばかり思い出していた。それを不思議に思う自分がいた。
「どうして?」
冷めた自分の中の冷えた驚きを隠せない僕が言う。
「亡くなったって」
携帯の感度が悪くてよく聞こえていないと思ったのか、彼は言葉を
返す度、3回同じ返事をした。冷静を装いながら僕に電話を回している
ものの、冷静な言葉からは動揺と落胆が覗いている。
「死んだって」
明らかにトーンを落として4度目に彼は言い切った。
田村創志は小・中学で僕らの同級生だった。小・中学では僕らで右サイドバックを守っていた。小学生の頃は僕が右サイドバックで創志はセンター
バックだった。中学に上がると創志が右サイドバックを守り僕がストッパーに就く。
中学を卒業して僕はタイへ渡る。同じ団地に住んでいたので、たまに顔を合わせたりしたけれど、それでも僕がタイから戻ると少なくなっていく。
創志の家で名良橋と落ち合ったことは一度や二度ではない。僕がタイに
行く時、創志は僕に餞別をくれる。
19歳の時、イギリスの留学から帰ってきた創志の家を名良橋と
訪ねて駅前の居酒屋へ向かった。帰る頃にはすっかり酔っぱらって
僕らは真島昌利の「うな重」を笑いながら、唄いながら家路についた。
それから11年、僕らは顔を合わすことも、同じ音楽を聴くことも
なかった。
これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。