いじめ

初めての衝撃は小学生の頃でした。
4年生とか、そんな頃だったと思います。

地元で少女がいたたまれない姿で発見されました。
人通りのない橋で発見されました。
のちに「ダンスホール」のモデルといわれる事件です。
自転車で行ける地元の行動範囲です。

思春期を迎えて、手を合わせに幾度か足を運んだことがあります。
誰にも気づいてもらえず辛かったろうなと思います。
叫んでも助けが来ないであろう場所です。

大分時が流れて、中年になりました。
若さを求める人間が大半でしょうが、僕は戻れることが
出来たとしても戻らないでしょう。



このところ、旭川の事件ばかり見ています。
ネットであったりYouTubeであったり。
勿論、思うこともあります。
テレビや新聞や雑誌で報道されないといいますが、もう
長いこと、どれも見なくなったので知りませんでした。

報道は結果のみしか流さないので、心の目で見るものと
考えます。
その経緯等等。
これも理解出来ない、同情すら1mmも出来ない事件です。

惨たらしい事件です。

報道されてすぐに、30数年前を思い出しました。
僕は16歳でした。
以前に幾度も記しましたが、デビューしたその年、バンタム級がもう
限界でした。
バンタム級でも断ろうと思っていた矢先、会長は次の
試合を組みました。

下記に続きます。

YouTubeやiPhoneで連日、旭川の事件にまつわることを探しては
見ています。
大まかな概要だけでも惨たらしいというのに、さらに
目を塞ぎたくなるような、殺意さえ芽生える記述などを
見つけます。

被害者が通っていた中学の説明会の音声に耳を傾けます。
聞いていて、腹が立つのは僕だけでしょうか。
被害者への追悼というか、そんな言葉も本当はあったのかも
しれませんが、自分の(子供の)ことばかりで気分が悪くなりました。
本当に関わってもいない子供もいたでしょう。
でも、直接手を出していないだけで、どちらかといえば
加害者側にいたかもしれないのに、僕は聞きながらそんな
風に考えてしまいました。

被害者面して学校を攻めているけれど、本当の被害者は
亡くなった生徒と、その親御さんです。
自分の子が助けてあげられた場所にいたかもしれないのに
それを怠ったのなら我が子にも責任はあるかもしれない
とは考えないのだろうかとも感じてしまいました。
明らかに学年や行動範囲が違っていた在校生の親以外は
もしかしたら我が子が加担していたのでは、そう疑って
当然なのに、とも思いました。

でも、被害者への謝罪を求めるという訳でもなく、自分の子供の
事ばかりだったように思います。
気分悪くなって途中で見るのをやめてしまったので分かりませんが。

その親の子供だって実際には現場にいたのかもしれない、とも思って
しまいました。

色色とそんなものです。

僕がこれまで受けたことを思い出しました。
刃物もつかわれなかったし、羽交締めにされて顔に唾
かけられたり砂かけられたり、土足で踏みつけられたり、
私物に小便かけられたり程度です。
物や金を盗られたり、そんな程度です。
先生にも相談したことがあります。
でも、先生は直接その旨を伝えました。
「ちくった」
またやられます。
もし、今の世の中なら自分は生きていないだろうなとも
思います。

自殺しているか、殺されていると思います。
自殺する勇気すらなかったのでそれはないのかもしれませんが。
「自殺なんて簡単だ。」
死にたくなるほど追い詰められたこともない人間は簡単にそう
いいましたが、知りもしない人間ほど知ったかぶるのです。

あの頃が今の世の中ならば、幾人か殺していたかもしれません。
今回の事件は、すでにYouTubeなどである通りでしょう。

噓だと思うけれど、それが事実だといわれてしまったらそれが事実に
なることは過去の歴史を見ても思います。

前述しましたが、ニュースは心の目で見るものです。

このような事件がある度に思います。


神様、あんた不公平だ。
反省してくれ。


2週間と数日前にタイへ渡り、みんな裸で練習する中、減量着を
着込んで走り、練習します。
利尿剤も飲んで、水分を出します。
3日前に帰国して絶食絶飲します。

試合前夜、鷲掴みされたかのように内蔵が痛み、明け方までトイレに
籠っていました。
試合当日、父に付き添ってもらい、計量に向かう道中に裸足に気づき、振り返ると
履いていた靴が脱げていました。
口で息を吸って、胃液と嗚咽を吐きます。
舌すら乾いて切れる程でした。

試合を終えて、自分はなんて哀れなのだという想いに苛まれながら家路に
着きます。

そのままジムに行くことはありませんでした。
少しして、女子高生コンクリート詰め事件が報道されます。
僕が試合していた頃、少女は何者らかに拉致されて蹂躙されていた
ことを知ります。

引退するつもりでした。
荷物を取りに顔を出すと、数週間後に試合が決められていました。


そのまま現在に至ります。

数年前、新宿フェイスで息子と親子で出場しました。
大して話題にもなれない情けない親子です。
試合を終えて、船橋に向かって息子と走ります。

背筋に何かが走りました。
市ヶ谷駐屯地が目の前にありました。
その日は11月25日で、16歳の時にフライ級で試合した日でも
あり、少女が拉致された日でもありました。
そして、三島由紀夫の命日でもあります。

駐屯地前で足を止めて合掌し、船橋に向かってまた走りました。


いじめはなくなりません。
大事なのは自分がいじめられないためにはどうするかということだと
思います。

あれから33年が経ちますが、何も変わっていないような気がします。


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98戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれどく…

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立嶋篤史

これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。

でもね、
一、キックボクサー。史上初、親子現役キックボクサー。著書「ざまぁみろ!」ネコパブリッシング「死にぞこない」ネコパブリッシング文庫「ざまぁみろ!」幻冬舎アウトロー文庫HP asshi-project.com