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持論

自分の想い

人との付き合いは我慢と妥協である。
これは僕の持論だ
例え恋人や夫婦、家族や兄弟、
或いは近しい友達など相手が誰であっても
自分と相手とは違う人間なのだ。

だから人との付き合いで入り口は、
優しさを出来るだけ前面にだして
相手と接するようにしたいと思っている。

だからこそ、相手の言い分に対して
時には我慢し、そういう考え方もあるのだと
自分とは違う考え方であったとしても
その意見を尊重し妥協することが大事であり
意見が食い違ったとしても、話し合い、すり合わせて
お互いの終着点を見つけたほうが良いと思っている。

それこそが人として生きて行く上で一番正しいのだと
ずっと思ってきたし、これからも変わることは無いと思う
勿論、他の人に、これが正しいのだからと
強制するつもりはない。


自分の悩み

相手に対して自分の考えを少し抑えて
入り口から優しくする事を疑問に思うことがある。

優しさをもって接することにより
相手に勘違いをさせている可能性があることだ
僕が大丈夫だよと言うことで、相手は
自分が言っていることや行動に反対意見が
僕にはないのだと思われる時がある。

でも実際は僕は多少なりとも我慢している事もある
最初から相手の言動に対して嫌だと言うことによって
相手を傷つけてしまうかもしれないと考えるからだ。
でも、結果的にそれが悪くなる時がある。
あの時はこういったのにとか
あの時は何も言わなかったのにとか。

僕が初めに少しの我慢をすることによって
相手は大丈夫だと思い
その言動がさらに大きくなってくる
悪く言えば調子に乗るのだ。

でも、どうだろう
始めに僕がアレは嫌いコレが嫌いと言ったとしたら
それは相手が好きなことなのかもしれないのだ。
或いは僕が興味が無くて
何だそんな事か、的なことを言った場合
相手がそれを好きだった場合、そんな事と、言われたら
傷つかないだろうか?

その人と仲良くしたいが為に
入り口から優しくすることによって
結果、途中からズレが出てくるのだ。
僕の我慢が大きくなり許容範囲を超えてくる
途中でそれを相手に伝えようとしても
入り口で優しくした事によって、この人は大丈夫だと思われ
僕の言っていることが届かない時があるのだ。

性格の不一致なのかもしれない。
でも、人は皆、違うのだ。

他人の考え

人に合わせる必要はないと言う考えを持つ人がいる
少し付き合ってみて肌が合わないと思ったら
何も言わずそこから離れればいいと。

これも正しい選択の一つだと思っている

でも僕はこの考え方をもう少し深く思った時
この行動をすぐにでも出来る人は
他にも大勢の人達に囲まれていたり
強い自分を持っているのだと感じている

だからこそ、一人の他人にそれほど執着がなく
次に行けば良いだけなのだ
でも、これはそんなに言葉で言うほど
簡単な事だろうか?

勿論、この行動を起こすことが出来れば
基本的には自分も相手も傷つきにくいし
分かり合える人達のコミュニティが
出来上がっていくように思う
こんなに素晴らしいことは無いと思う。

優しさって何だ?

人と話をする事が苦手な人がいる
人と接すること自体が苦手な人もいる
引っ込み思案で人見知り
単純に話が上手や下手などもあるだろう
そういう人からすると
周りにいる人間は
数少ない人たちなのだ。

それが昔からの友達であったり
職場の人間だったりする
その少ない人たちに
多少嫌だからと感じても
直ぐに距離を取ってしまう事は
孤立や孤独でしかないのだ。

違う場所へ進めばいい
もっと努力をすればいい
勇気を振り絞って前へ進めば済むことだ
この感覚は誰にでも当てはまることではない。

出来る人と出来ない人がいるのだ
出来る人は勇気が10あれば進めるかもしれない
でも出来ない人は100無ければ進めないのだ。
ここの努力や勇気は決して同じ分量ではない。

人は違うのだ
十人十色、百人百様、千差万別
出来る人がいるならば、出来ない人も、
また存在するのだ。

だからといってこの人達は
何もしていないわけではない
出来ている人たちからすれば
何もしていないように見えたとしても
足掻き藻掻き苦しんでいるのだ

たった一歩を踏み出せず
それでも尚進みたいと思い
這いながら進んでいる。

僕はそういう人達に
もっと勇気をもって進めと
もっと出来るようになる為に
努力をしろと
言うことが出来ないのだ。

大丈夫だよと言う優しさ
厳しくとも駄目だと言う優しさ
どちらも間違いではないはずだ

人との付き合いにおいて
もっとも大事なのは
相手の事を理解し
分かり合う為にも
我慢し妥協する
これは僕の変わらない持論なのだ。




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