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ウタバ・ブン・ラビーア( 西暦624年3月13日歿)しかいないのに:《クルアーン》ファジュル章14-16節をめぐって

クルアーンにおける人間

人や人々の多様性の大切さがことあるごとに唱えられるようになっている。SDGsの17のゴールの第4番目「質の高い教育をみんなに」の7番目のターゲットにこうある。

「2030 年までに、すべての学習者が、とりわけ持続可能な開発のための教育と、持続可能なライフスタイル、人権、ジェンダー平等、平和と非暴力文化の推進、グローバル・シチズンシップ(=地球市民の精神)、文化多様性の尊重、持続可能な開発に文化が貢献することの価値認識、などの教育を通して、持続可能な開発を促進するために必要な知識とスキルを確実に習得できるようにする。」

https://sdgs.city.sagamihara.kanagawa.jp/169-target/

 「文化の多様性の尊重」。この表現に違和感を覚える人は少ないかもしれない。イスラーム教徒の側から言っても、家父長的な家族の在り方、女子教育の軽視、宗教的行事への参加の強制なども、イスラームの文化なのだから、それが他と違っていたとしても、多様性の尊重の名のもとに認められるべきだという主張がまかり通らないとも限らない。

文化と文明という言葉を対比的に用いることがある。文明をcivilization だとするならば、少なくともそこには、皆が civil つまり、市民になる動きととらえることができそうだ。これに対して文化 culture には、耕すというニュアンスが付いて回る。耕した結果、つまり人間の精神的活動の所産という定義にもつながるのだ。

イスラーム共同体という人々の連帯の中に、そのメンバーシップたる「信者」を増やしていく、つまり、いいか悪いかはともかくも、実は、イスラームは、信者としての生活様式を広げていく文明化の動きであり、その文明の絶え間ない刷新こそがあって、はじめてイスラーム文明足りえる。したがって、文化として定着してしまうこと、あるいは淀んでしまうことは、イスラームの本旨から外れると個人的には考えている。であるにもかかわらず、現在のイスラームの信仰は、すっかりそれぞれの国、民族、種族、あるいは家族などの慣行の中に取り込まれて、「○○的イスラーム」の乱立する多様性の宝庫だ。

調子に乗ったかと思うとすぐ落ち込む

文明としてのイスラームがお座なりにされ、文化としてのイスラームこそがイスラーム的なるものという認識があったとするならば、イスラームが文明として、あるいは地球を救う文明として復活することはいよいよ難しい。文明としての在り方自体ですら、それこそドラスティックに変えていくことが求められている、人新世のこの惑星である。○○人はこんな人たちというレベルを超え、人間とはそもそもこんな人というところに踏み込んで、そこから議論を建てることによって、文化という慣行によって固められた個をとりあえず、その膠から解放してあげられれば、人を個としてとらえる視点も得られるというものだ。イスラームの教えが、万有の主からの教えだとするならば、そこで、想定されている、教えが降る以前の人間の姿というのは、万有の主からの教えを必要とする人間の普遍的な姿ということができる。

クルアーンにおける言及をもとに、イスラームにおいて人間がどのようにとらえられているのかをざっくりとまとめれば、「人間は、弱くて、性急で、吝嗇で、自分勝手で、議論好きで、独り善がりで、不信心で、恩知らず。さらにすぐ「自分が一番だと言い張り、法から外れる」(凝血章)。(奥田『イスラームの人権』第2章)」となる。体も弱ければ、心も弱い。強欲で何でもかんでもほしくなる。気が短くてすぐに結果を欲しがる。出し惜しむのはお金だけではない。自分自身の労力も。周りのことなどどこ吹く風で、自分勝手を貫き通す。他人を言い負かしては悦に入り、正義は常にわれにある。たくさんの神に祈るか、一つの神にも祈らぬか。成功はすべて自分が偉いから。失敗すれば今度はすべて人のせい。自分より大きいものも偉いものもすごいものも認めない。常に自分がいちばんでルールも自分が決めていく。

そうした描写の中で、ファジュル章では、《さて人間は主が試みに厚遇し、恵みもふんだんに与えると、「わが主は、私にこんなに好くしてくれた」と言い、逆に糧を少しにしてしまうと「わが主は私を貶めた」と言う》(暁章14-15節)とされている。好いことがあるとすぐ有頂天、ちょっとでも困難に見舞われるとすぐ絶望する。このわかりやすい浮き沈みが、まさに人間なのだ。よくわかる。

誰だ?それって

アッラーズィーは『大注釈』の中で、この聖句が向けられたという具体的な個人名に言及している。イブン・アッバースの伝えるハディースによれば、それは、ウタバ・ブン・ラビーアと、アブー・ホザイファ・ブン・アルムギーファであるとされ、アルカルビーによれば、それはウバイイ・ブン・ハラフだとされ、ムカーティルによれば、それはウマイヤ・ブン・ハラフだとされる。

これら4人の人物は、マッカの多神教徒でそれぞれにムハンマドに対する弾圧勢力の中心的存在であったが、イブン・イスハークのムハンマド伝を筆者が読む限りでは、ウタバ・ブン・ラビーアと、他の3名の間にはスタンスの違いがあるようだ。まずは、他の3名について簡単に見ておこう。 

①     アブー・フザイファ・ブン・アルムギーファ

彼は、最初の女性殉教者スマイヤを生み出した張本人と言ってよい。スマイヤは、彼の女奴隷で、主人の盟友ヤーシルと結婚させられる。二人は息子のアンマールとともに改宗するが、アブー・フザイファは、彼らに対して厳しい迫害・拷問を行なった。スマイヤは、アブー・ジャハルに(or彼にけしかけられた人々に)殺され、夫も拷問で死んだ。アンマールは、のちにアブー・フザイファにより解放されるが、その時期については諸説があるようだ。アブー・フザイファがマッカ開城時(西暦630年)に改宗し、その後は、ムハンマドの強力な支援者になったとされるが、本節が念頭に置いていたとすれば、改宗を表明した奴隷たちを散々に拷問していたころの彼であろう。 

②     ウバイイ・ブン・ハラフ

彼は、クライシュ族の長老の一人で指導者でもあった。ビラールに対する拷問で知られた人物。ヒジュラ暦3年のウフドの戦いでムハンマドの手によって殺害された。ムハンマドが殺した唯一の人物でもある。

(https://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%A3%D8%A8%D9%8A_%D8%A8%D9%86_%D8%AE%D9%84%D9%81)

彼は朋友、ウクバ・ブン・アブー・ムアイトにムハンマドにあったら顔に唾を吐きつけ、二度と同席などするな。さもなければ絶縁だと言い、実際に唾を吐きつけたところ、啓示が降る《悪人が両手を噛んで、「使徒と道を同じくすればよかった。ああ、某を友人にしなければよかった」という日・・・悪魔は人間をすぐに見捨てる》(識別章27‐29節)という啓示も下されている。(イブン・イスハーク著、イブン・ヒシャーム編『預言者ムハンマド伝』第1巻369頁)

 ③     ウマイヤ・ブン・ハラフ

 彼は、クライシュ族の統治者の一人。ムハンマドの布教活動に真っ向から反対し、彼の同調者を容赦なく迫害した。当時奴隷身分だったビラールに対する拷問は激烈を極めたが、ビラールは決して屈することがなかった。なおも続く非道な拷問を見かねたアブー・バクルが別の奴隷と交換することによって解放した。また、《クルアーン》の「中傷者章」[1]が、彼に対してくだされたことでも有名(イブン・イスハーク著、イブン・ヒシャーム編『預言者ムハンマド伝』第1巻362頁)。

 ④     ウタバ・ブン・ラビーア[2]

彼は、クライシュ族の長として長くトップに名前の挙がる人物で、バドルの戦で命を落とすまでその地位を保った。公式的な話し合いの場では必ず筆頭で名前が挙げられている。個人的な話し合いについても、後述するように言い伝えが残っている。バドルの戦いの戦果を称揚するムスリム側の数多くの詩の中でもアブー・ジャハルとともに取り沙汰され「邪悪なウタバ」は定型的な言い回しになっている。その意味では、メッカの多神教徒として、死後も含め、イスラームの宿敵であり、本節が念頭に置いていたとしても不思議はない。しかし、ムハンマドとの初期のやり取りで既に、ムハンマドの伝えた神の言葉の衝撃を受け、その将来を言い当てたような発言を残しており、邪悪な多神教徒として切り捨てられるべき人物であるとは言い切れない面もある。

次号に続く


脚注


[1] 《1.災いなるかな、凡ての悪口を言って中傷する者。2.財を集めて計算する(のに余念のない)者。3.本当にその財が、かれを永久に生かすと考えている。4.断じてそうではない。かれは必ず業火の中に、投げ込まれる。5.業火が、何であるかをあなたに理解させるものは何か。6.(それは)ぼうぼうと燃えているアッラーの火、7.心臓を焼き尽し、8.かれらの頭上に完全に覆い被さり、9.(逃れることの出来ない)列柱の中に9.(逃れることの出来ない)列柱の中に。9.(逃れることの出来ない)列柱の中に。》(中傷者章)

{وَيْلٌ لِّكُلِّ هُمَزَةٍ لُّمَزَةٍ 1 الَّذِي جَمَعَ مَالًا وَعَدَّدَهُ 2 يَحْسَبُ أَنَّ مَالَهُ أَخْلَدَهُ 3 كَلَّا لَيُنبَذَنَّ فِي الْحُطَمَةِ 4 وَمَا أَدْرَاكَ مَا الْحُطَمَةُ 5 نَارُ اللَّهِ الْمُوقَدَةُ 6 الَّتِي تَطَّلِعُ عَلَى الْأَفْئِدَةِ 7 إِنَّهَا عَلَيْهِم مُّؤْصَدَةٌ 8 فِي عَمَدٍ مُّمَدَّدَةٍ 9}(سورة الهمزة)

[2] عتبة بن ربيعة https://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%B9%D8%AA%D8%A8%D8%A9_%D8%A8%D9%86_%D8%B1%D8%A8%D9%8A%D8%B9%D8%A9

「ウタバ」あるいは「ウタバ」の読みの可能性がある。『預言者ムハンマド伝』の訳語も含め、「ウタバ」と読まれているが、ここでは、アラビア語のウィキペディアでわざわざ「ター」の上に「ファトハ」が振ってあることに鑑みて、「ウタバ」としている。

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Siyer-i_Nebi_-_Gabriel_-dschabrail-_und_weitere_Engel_unterst%C3%BCtzen_die_Muslime_w%C3%A4hrend_der_Schlacht_von_Badr_(cropped).jpg#/media/%D9%85%D9%84%D9%81:Siyer-i_Nebi_-_Gabriel_-dschabrail-_und_weitere_Engel_unterst%C3%BCtzen_die_Muslime_w%C3%A4hrend_der_Schlacht_von_Badr_(cropped).jpg

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