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法とは何か:寅子の定義がシャリーアを連想させる件

水源としての法律

主人公「寅子(ともこ)」(演:伊藤沙莉:いとう さいり)のセリフが、シャリーア(イスラーム法)を連想させると、NHK連続テレビ小説ウォッチャーから教えてもらった。

それは、「法律とは何か」に対する、寅子なりの答えの中にあった。

法律とは、きれいなお水が湧き出ている場所というか、(「水源」みたいなもので)、私たちはきれいなお水に変な色を混ぜられたり、汚されたりしないように守らなきゃいけない。きれいな水を正しい場所に導かなきゃいけない。

NHK連続テレビ小説『虎と翼』第25回(第5週)全文は[1]

父親の汚職疑惑が法廷で晴れた際、事実上その判決文を書いた桂場判事へお礼をと、甘味処へ押しかけた際のやり取りの一部である。引用文の中でカッコ書きを施した(「水源」は、桂場判事がそれまでの説明を聴いて発した言葉「水源のことか?」から補足している)
それまでは、法律を「道具」として捉え、「(弱者を)守るための盾や毛布のようなものだ」と考えていた寅子なのだから、法律を、いわばきれいな水の水源として、それ自体を守るべきものとしたこの考えには、法律自体の持つ価値への気づきを見てとることができる。桂場をして「君は裁判官になりたいのか」とつぶやかせたのも頷ける。

法と法律の間

寅子は、「法」とは言わず「法律」と言っている。「法」と「法律」。いずれも強制力を伴う社会規範。それを法規範と呼ぶのであれば、「法」とはは、一般的な法規範を、「法律」とは成文化された法規範をそれぞれ指すことになる。「法律」にあたる言葉が何になるのかをいくつかの言語に尋ねてみると、英語では、「Law」 ドイツ語では、「Gezetz」 、フランス語では、「loi」、スペイン語では 「ley」 となる。
語源をさかのぼると、英語の 「law」 が印欧祖語 「*legh-」 (横たわる、置く)。(アステリスクは、それを付された単語が再建されたものであることを示す印欧祖語の記号)
ドイツ語の 「Gesetz」は動詞「setzen」(置く、設定する)の過去分詞形にあたる。「Gesetz」は「置かれたもの」「設定されたもの」。
フランス語「 loi」 とスペイン語 「lay」 が、ラテン語の 「lex」、そして印欧祖語 「*leg-」に遡る。「*leg-」は「寄せ集める」。あるいは、「law」と同じ、「 *legh-」(横たわる、置く)に遡る。
ちなみに、英語の legal は、フランス語やスペイン語と同じ語源に遡ることのできる言葉である。
いずれにしても、これらの中には、「水」という要素はまったく見当たらない。

アラビア語における法と法律

法と、法律という話で言うと、アラビア語には、かなり明確な、しかし一筋縄ではいかない違いがある。
法律、つまり、ここ具体的な法規定を「カーヌーン」と呼ぶ。カーヌーンは、キリスト教世界において「カノン法」とも称された教会法と同根のギリシア語起源の言葉である。たとえば、民法典「カーヌーン・マダニー」という。国家によって定められた法であるから、その上位法には、憲法(ドゥストゥール)が位置する。
これは、国民あるいは市民としての法規範のお話。イスラーム教徒たちの世界には、それとは別次元にイスラーム教徒として守るべき法がある。聖典クルアーンと、預言者ムハンマドの言行を法と法解釈の正当性の淵源とする「シャリーア」という法体系だ。
カーヌーンは、国家によって定められた法規範を指すことが多いが、シャリーアは、理論的には、万有の主アッラーによって下された聖典に基づく法であるため、国家も、民族も、さらに言えば信仰も超えて、すべての人々をカバーするはずの法である。

シャリーアにおける「水」

「シャリーア」と言えば、「水場に至る道」、あるいは、「そこから水場に至る場所」。イスラーム法学者たちも注釈学者たちも一致した見解である。
この「シャリーア」という言葉は、「شَرَعَ シャラア」という動詞から派生してものとみなすことができる。シャラアとは「定める、決める」。「立法、法の制定」を示す言葉「تشريع」も「シャラア」から引き出せる。
「シャラア」をさらに先行する古代語に遡って、たとえば、メソポタミアの古代国際共通語、アッカド語にたどり着けたとしても、その地は古代文明を育んだ二つの大河に抱かれて水には恵まれていたはずだ。
またアラビア語「シャラア」は、実に一般的、現実的な言葉で、信仰や宗教に特化した言葉ではない。もちろん、「シャラア」自体にも、水はかかわらない。
つまり、シャリーアと言う言葉の説明がむしろ例外的に「水」を湛えているのだ。
遊牧民の世界で水と言えば、砂漠の中のオアシス。まさに命をつなぐ水。まれに降るわずかな天水は、まさに命の源泉。そして、ムスリムたちのとって「水」と言えば、楽園の下を潺々と尽きることなく流れる水。そして、その楽園へ至る道が、信仰のまっすぐな道。スィラートゥ・ムスタクィーム。信者たちは祈りのたびに、このまっすぐな道に導き給うよう万有の主に願うのだ(聖典クルアーン開端章第6節)。

漢字も「さんずい」だ!

近代的な法律は、戦前はドイツ法、フランス法、イギリス法、戦後は、アメリカ法の影響かに制定されたとはいえ、「~法」という呼称で漢字を使って「法律」を表している日本語の世界である。
ここでは、「法」という漢字について、その成り立ちと、もともとの意味を振り返っておこう。「法」という漢字は、「+廌+」の会意文字だという。「流れる水」の象形と、「古代裁判に用いた神獣」の象形と「人の象形と口の象形」(二つが合わさっているのが「去」の字。「祈って人のけがれを除去する」の意味から、裁判に敗れてけがれた神獣を水に投じて消し去ることを意味し、それが、転じて「おきて・法律」を意味する「法」という漢字が成り立ったとする。つまり、「法」は「古代裁判に用いた神獣」を省いた略字だとされる[2]。

あるいは、「さんずい」が付いていることの意味について、
①「水」が「水平」の意味で基準、標準を表している。これに善悪を判断できる霊獣「カイチ」をくみあわせて世の中の善悪の標準を示す
②周りをぐるりと水で取り囲まれた小島に霊獣カイチを閉じ込めた図で、霊獣といえども自由に動き回れないさまを示す
③古代中国では霊獣カイチを2匹用いて争わせ、敗れ傷ついた霊獣を流すのが水である
と3つの説があるとの紹介もある[3]。

つまり、漢字が教えるさんずいに去ると書く漢字の「水」、それは、社会の、基準・標準として、神獣、霊獣であってもしばりつけ、場合によっては、神獣、霊獣を押し流すためのものとまとめられる。そうであれば、なるほど、「法律」は、汚れからも腐敗からも守られるべき、「きれいな水」と言える。
西洋法の概念をベースに「法」を捉えても「水」は出てこないが、漢字の「法」にフォーカスすれば、そこには、確かに守るべき水が湧き上がる。

2つの水脈

オアシスあるいは天国への道が閉鎖され(イジュティハードの門の閉鎖)、あるいは、色からも汚れからも守られるべき水源の水自体が濁ってしまっているというのが、シャリーアと日本法のそれぞれをめぐる昨今の状況とはいえないであろうか。
ところで、ドラマではこれから「法の下の平等」が語られる。


すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法第14条第1項

「すべての国民」の平等規定が「すべての人間」の平等に拡張できないかと常々思う。すべての人間の創造主たるアッラーの教えを法の根幹に据えるシャリーアは、その1つの展開の仕方なのではとも考えられる。
シャリーアにいう、永遠の泉の水に近づくためには、この世の泉の水が濁流や汚染に飲み込まれないようにすることも同時に求められる。となれば、イスラームの「シャリーア」と寅子の「法律」、二つの水脈が実は繋がっているのかもしれないし、あるいは、繋がりあってはじめて相互に機能するのかもしれないとも言えるのではないか。
「水」の入らない法体系は、言葉が示すとおり、権力者が「据えたもの、そうと決めたもの」を、水が持つ、公平や水準といったもの――最後の審判の裁きは寸分たがわぬ完全に公平な清算だとされる――とは一切無関係に、法として人々を抑えつける道具にするかもしれない。世界の至る所できれいな水は枯渇状態ではないか?水源の確保は、地球環境だけの問題ではないのだ。
冒頭の連ドラウォッチャー氏は、法律学で知っているのは、日本国憲法でも国際法でもなく、イスラーム法学だとおっしゃる新しいタイプの法学的知見の持ち主である。それだからこそ、寅子の「水」にアンテナが反応したのだ。二つの水脈をつないで、人間としての平等の規定を具体的に示せるのは、きっとより大きな視点から「法律」を眺めることのできるウォッチャー氏のような探究の徒なのであろう。アッラーフ・アアラム。


脚注

[1]全文は以下の通り(筆者書き下し)

寅子:私はずっと、それこそここで桂場さんとお話をしたあと、女子部に入ってから考え続けてきたんです。法律とは何なのかって。私は、法律って、守るための盾や毛布のようなものだと考えていて、私の仲間は戦う武器だと考えていて、でも今回の件で、どれも違うなって。
桂場:続けて
寅子:法律は道具のように使うものじゃなくて、何というか、法律自体が守るものというか、たとえるならば、きれいなお水が湧き出ている場所というか、
桂場:水源のことか?
寅子:あ、はい。私たちは、きれいなお水に変な色を混ぜられたり、汚されたりしないように守らなきゃいけない。きれいな水を正しい場所に導かなきゃいけない。その場合、法律改正をどうとらえるかが微妙なところではありますが、まぁ、今のところは、私の中では、法律の定義が、それがしっくりくると言いますか」
桂場:なんだ、君は裁判官になりたいのか?
『虎に翼』第5週(25回)

[2] https://okjiten.jp/kanji587.html

[3] https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0342/

参考URL:


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