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雨が降りました

目が覚めると音がしました。パラパラと、家の屋根を叩いていました。

この音を聞くと、憂鬱な気分に沈む方もおられるでしょう。悲しい顔で、二度寝を決め込む方もおられるでしょう。けれども私はというと、そんな方々とは少し違っていて、むしろ反対の気分になりました。じわじわと生気が溢れてくるのを感じました。

私はいそいそとベッドから降り、ガラリと窓を開けました。その瞬間、顔に冷気が押し寄せました。寝起きの皮膚が一気に緊張し、重い瞼がこじ開けられます。その冬の風に乗って、じめじめとした匂いが入ってきました。鼻の中が冷えていくのと同時に、見えない水の粒が吸い込まれるのを感じて、私は長い息を吐きました。昨日よりも白い煙となって吐き出されたそれは、そのまま空気中へ放たれて、それは世の理であるかのように、次第に冬の中に姿を消していきました。私は寒いのを我慢して、へその手前まで身体を乗り出しました。近くに水田があるからか、土と木の葉の匂いもやってきました。そこに広がるは、いつもの朝ではございません。それは少し陰鬱で、甘美な世界でありました。

雨が降っていました。

頭上を仰ぎ見れば、煌びやかな曙光の代わりに、灰色の影が降り注ぎます。雲の隙間からは、透明の粒が落ちてきます。髪の毛に、額に、頬に、冷たいものが流れていきます。

天から降り注ぐ雨粒は、そのまま地面にぶつかります。鼠色のコンクリートはそれを軽く受け止めながら、懇切丁寧に跳ね返します。ポツポツと、心地よい音が薄暗い路地裏に溶けていきます。目を閉じてその音に耳を傾けるだけで、私は無常の平穏を覚えます。

幽寂。雨の世界には、その言葉がぴったりです。ピタピタという音が鳴り響いているにもかかわらず、心には静寂が訪れます。壮大な何かに触れているような気がして、自ずと心が静まり返っていきます。それは昨今の先の見えない鬱々とした気持ちを和らげて、ついでに寂しさも拭い去ってくれます。

不思議なもので、雨は人をつないでくれます。外を歩けば、天空から舞い降りる水の小粒が人々の頭に、或いは傘に、等しく落ちていくのが見えます。それが、私を安心させます。今私の頭に落ちた雨粒は、あの人の頭にも落ちている。あの人の頭に落ちた雨粒は、私の頭にも落ちている。そう考えると何だか嬉しくなって、私は一人ではないような気がするのです。この雨はどこまで降っているのだろうかと考えると、ワクワクします。隣町の向こう、もしかすると隣の県のさらに向こうまで、この雨は降り続いているかもしれません。もっと向こう、その先に至るまで、雨は落ちているのかもしれません。そんな果てしない感慨に耽る時、私は他者と、もっと言えば、世界と一つになったような気がするのです。

雨は自然の一部です。自分と世界の間に横たわる分厚い壁が、その時だけ、やんわりと溶けてなくなったような気がします。身体の内外が不可思議な統一感に満たされた時、自分が自然の一部であるかのような陶酔に囚われて、その感覚に酔いしれるのです。

これは極めて感覚的な話です。理解されようと思ってはいませんし、理解する必要もありません。ただこんな感覚があるのだと、こんな雨の愛し方があるのだと、覚えてくだされば良いのです。

この記事を読んでくださる人の中に、雨好きな方がいらっしゃれば嬉しいです。雨が嫌いな方も、ほんの少し、ちょっとの時間でよろしいので、雨への嫌悪を隅に置いて、暫し空を見上げていただき、その音に耳を澄ませほしいのです。

灰色の空。透明な水。麗しい雨音。その世界にどっぷりと浸かって、ああ雨も悪くはないなと思っていただけるならば、その感覚を忘れないでいただけるならば、この上ない幸せであります。

ここまで主観たっぷりの駄文を読んでいただき、ありがとうございました。

次に雨の日がやってきた時、ふとこの文章を思い出していただけると嬉しいです。

失礼します。

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