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アスパラに似ているヒラ教員が考える2020年の公立中学校の教師像と学校像

<ヒラ教員が考える現在の公教育の課題>

 発達障害などさまざまな障がいを持った子どもたち、アレルギーを持った子どもたち、日本語が話せない在日外国人の子どもたち。部活動に一生懸命になりたい子どもたち、学業成績を重視する子どもたち。経済的な面で見ても、家庭環境は本当に多岐にわたっており、格差はどんどんと拡がっている。貧困と教育の関係は見過ごせない。多様なニーズに答えるために、現場は毎日大混乱である。

 生徒一人ひとりに合った教育を一人の教師、一つの学校ができるであろうか。授業は1対40人。40人にはさまざまな個性を持った子どもたちがいる。「グループで学び合いましょう」と言っている教室に、音に敏感でイヤーマフをしている生徒がいる、日本語が話せない外国人生徒がいる、字が書けない生徒がいる、成績重視でもっと受験知識を教えてほしい生徒。それぞれに対応をしようにも、学習指導要領の内容はどんどんと増えていくばかりで進度のために、授業はどんどんと進まなくてはいけない。部活動も同じである。一方は、全国大会出場、進路もスポーツ推薦をねらっているバリバリの部活動を期待している生徒、一方は、少しでもスポーツを楽しんでほしいという生徒、これらを両立した部活動指導は本当に困難だ。この場合の多くは、どちらかが途中で所属しているクラブから去っていく。公教育に対するニーズは多岐にわたり、対応しなければいけないことであふれかえっている。

生徒一人ひとりに合った教育なんてできるはずがない…

こんな現状が、どの公立中学校にも起きているのではないだろうか?

 一方、現代社会に目を向けて見ると、近年、「ダイバーシティ」という言葉が日本でも注目されるようになってきた。「ダイバーシティ」は「多様性」という意味。欧米諸国ではかなり早くから注目されていた語句であるが、日本においては、少子高齢化の進展、それにともなう労働人口の減少から注目され始めた。企業は、人種・性別・障がいの有無などを越えた柔軟な採用を、そして、働き方についても、リモートワークなど柔軟な働き方が出来るようなシステムにしていこうというものである。

 それと同じくして、教育業界には、「インクルージョン」という言葉が出てきた。「障がいの有無にかかわらず、生徒一人ひとりに合った教育」のことを言い、これを目標に取り組みを進めていこうとするものである。

 僕は、この2つの言葉が、これからの教師像、学校像を考えていく上で、とても重要な考え方になると思っている。

 多様なニーズに答えることに限界を感じている現場がある。でも時代は「ダイバーシティ」。公教育も変化していかなくてはいけない。だから、どんな教師像、学校像でいれば「インクルージョン」が成立していくのか、2020年代の公教育について、今の僕の考えを述べたいと思う。

<公立中学校教師の現場の仕事とその現状>

 まず、公立中学校教師の仕事について考えていきたい。公立中学校教師の仕事としては、大きく以下の4つある。

①教科指導・・・自分の専門分野の教科指導

②学級経営・・・学級担任を通して、さまざまな学校行事を通して、子どもたちとともに集団をつくる仕事。保護者対応、生徒指導などもここに含まれる。

③部活動指導・・・放課後、土日祝の部活動指導。この存在に関しては賛否両論あるが、現場のリアルとしては全員顧問制は当たり前の世界。持たざるおえない。それに公教育が担う部活動のニーズもまだまだ大きい。

④校務分掌・・・教務部、生徒指導部、生徒会指導部、学習指導部などさまざまなテーマに分かれて、学校全体の方針などを決めていく。
 
 現在の学校現場は、これら4つの仕事をすべてバランス良くできている人が「できる教員」と言われ、学校内で力を持ってくる。つまり、求められるのは、何でも出来るオールマイティで、さらに文句も言わず長時間でも働いてくれる人材なのである。そんなスーパーマンみたいな教師はほんの一握り。このような先生方は本当にすごいと思うし、尊敬もしている。

 しかし、この体制で学校を運営していると、あるところで限界がくる。それが、多様性(=ダイバーシティ)である。多様なニーズに答えられないのである。いつの間にか、教師が回しやすい、扱いやすい集団になるように教育してしまう。高度経済成長時はこれでよかった。良い会社に就職して、大きな家を建て、外車に乗っていることが成功だとしていたからだ。だから、公教育は出来るだけ社会に順応し、決められたものを生産し続ける大人を育て上げなければならなかった。現代社会は当然これではいけない。生き方も価値観も多様化している。そして実際に、多様な子どもたちが学校に登校しているのである。これからは社会に属する大人を育ててはいけない。とてつもなく速いスピードで進化し続ける現代社会に生きる子どもたちには、社会を常に懐疑的な視点で見つめ、新たに創っていく姿勢、切り開く姿勢が必要なのである。そのためには、子どもたちに自分自身にしかないブランドを持たせることが重要だ。

<教師のブランディング ~目指すはMISSION DRIVENな教師~>

 これを解決していくポイントの1つとして、とても重要ではないかと感じていることがある。それは、教師自身による「教師のブランディング」である。これまでの公教育は、教師も子どもたちと同じで、社会の規範となるように、社会人として扱いやすい人を演じなくてはいけなかった。「文武両道」、「何事も努力」、「存在するルールは守る」、「素直な心をもつ」など挙げればきりがないが、いわゆる「良い人」を演じることが教師の必須とされてきた。これでは、学校は「社会に属する大人」を製造する工場である。

 「教師のブランディング」とは、教師自身が自分を見つめ、自分自身でしかできない教師を目指すものである。子どもたちにとって、教師は何でも出来るすごい人でなくても良い。

「あっ、この先生の○○はすごい…」

「○○」は何でも良いのである。自分自身を振り返って、自分にしかできないブランドをつくりあげる。そして、それに特化して、ひたすら追求して、研究して、行動して、失敗して、プロフェッショナルを目指す。

 そこで、重要なことが教師として多様な社会に貢献するために、自分なりのミッションを持つことである。

「僕は、〇〇な社会を目指しています。だから僕の教師としてのミッションは〇〇です」

そんな教師がたくさん出てくれば、きっと子どもたちにとって、多様な教育を与えられる機会となる。

 ちなみに、僕のミッションは、

「誰一人取り残さない社会を目指す。そのために、多様な出会い(モノ・ヒト・コト)をさせること」

例えば、僕は部活動指導で勝ち負けは気にしない。多様な出会いをさせることに重点を置く。プロフェッショナルな人のところに行って専門性を学んで競技力を向上させたりすることもあれば、逆に、支援学校の生徒たちと交流させたりすることもある。スポーツ1つとっても、活用の仕方はいろいろとあるからだ。このような感じで、教科指導や学級経営に関しても、こだわりを持っている。

 子どもたちは、一人ひとり多様なミッションを持った教師と接していくことで、「僕はどんなタイプかな…」などと考えながら、自分の価値観が確立し自尊感情が高まっていく。これが自分のブランディングのヒントとなる。

 教師が殻をやぶらなければいけない時代が、今まさに到来している。これからの教師は、MISSION DRIVENからスタートしなくてはいけない。

<MISSION DRIVENな教師がつくる公教育の未来>

 確固たるミッションを持った教師が増えてくると、公教育にも大きな可能性が広がる。それぞれの教師がミッションをオープンにし、議論していくことで、それぞれのミッションが相互に絡み合い、学校全体のミッションが出来上がってくるからだ。

 公教育は、どの学校も、どの子どもたちにも平等で均等な教育を与えなくてはいけないと言われてきた。これからの公教育は、真逆の道筋を描かくことが必要だ。公教育はもっと自由であらねばならない。多様なミッションを持った教師が、多様な教育を展開する。子どもたちは、そこから自分に合ったものを自由に学びとり、自己を見つめ直し、自分をブランディングしていく。教師にも、子どもたちにも開かれた教育を目指していく必要がある。

 時代は「ダイバーシティ」。公教育は「インクルージョン」を目指すべきだ。だからこそ、もう一度、私たち教師は何のために教師をしているのか、問い直す時期に来ているのかもしれない。その問い直しが、生徒一人ひとりに合ったそれぞれのニーズに答える教育を生み出していく。

 私たち教師が教師を問い直す。そして、導き出されたミッションにより多様な公教育を創っていく、そんな時代が2020年はやってくる。

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