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「言っても無駄」の心理

前回、子どものいない人が職場で嫌な思いをしても、そのことについて抗議したりはしないという調査結果をお伝えしました。その理由として「言っても無駄」と考えていることもわかりました。

「何もしなかった」という回答も多かったことを考えると、「不快だけれど、どうせ言っても無駄だから何もしない」と捉えている人が多い様子がうかがえます。

本当にそうなのでしょうか?もしかしたら相手に伝えることで、事態は改善されるかもしれませんが、それを確かめる前に多くの人が諦めてしまっている。これも一種の「アンコンシャスバイアス」と言えるでしょう。

ここではその良し悪しは問いません。ただ、なぜ子供のいない人がそうした心情になるかを考えたいと思います。

アンケートやヒアリングの印象から、「言っても無駄」と思う理由は主に2つ後考えられます。

(1)伝えるとかえって不快な思いをするかも、という懸念がある。

(2)子どものいない自分に引け目を感じるので言えない。

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(1)伝えるとかえって不快な思いをするかも、という懸念がある。

不快な経験は、たとえば「子どものいないことを飲み会でネタにされた」と直接的なものから、「子どもがいて一人前という言葉を聞いた」といった間接的なものまでさまざまです。

ただ、それに対して「そんなことを言われるのは不快だ。やめてほしい」と伝えた場合、それを受け取ってやめてくれる人がどのくらいいるでしょうか?例えば前述の例の後者の「子どもがいて一人前」というのも根強いアンコンシャスバイアスです。バイアスを持った人に伝えたとしても、こちらの気持ちを理解してもらうためにはかなりの労力が必要に思えます。

通じないだけであればまだマシといえます。下手をすると「冗談の通じないやつだ」「気にするほうが悪い」と、まるで不快感を感じるほうにその責任があるかのような言われ方をされかねません。

レイプされた被害者に対し、その責任は自分にあると責めることを「セカンドレイプ」と言いますが、不快感を伝えたことに対して気にするほうが悪いと責めることも「プチセカンドレイプ」と言えるのではないでしょうか。

不快を感じたことは誰かから否定されるべきものではありません。感じている本人にとってはそれが現実なのですから。

面と向かって言われなくても、そうした言説を耳にすることも少なくありません。

たとえば、「ワーキングマザーにつらく当たるのは、子どものいない女性だ。なぜなら嫉妬があるからだ」と書いてあることを目にしました。

明確な論拠を示さずに、こうした説を唱えているのを目にしたのは一度や二度ではありません。見識あるといわれる人でもこうした発言をしているのを見て驚いたこともあります。「すべての女性は子どもが欲しいはず」という無意識の偏見に基づいた発言と言えるでしょう。

そうした子どものいない人へのバイアスを聞いた当事者は、当然ながら「こんなことを言ったら嫉妬からいじめていると思われるだろう」と、言いたいことを言えない状態に陥ります。

(2)子どものいない自分に引け目を感じるので言えない。

「アンコンシャスバイアス」や「セカンドレイプ」は、ダイバーシティ&インクルージョンの文脈ではよく語られる現象です。

ただ、子どものいない人に特有なのは、被害(とあえて強い言葉を使う)を受けている自分自身に責任を帰していることです。

「子どものいない」ということに対して自分を責めたり、引け目を感じ、「だからそんなことを言われてもしかたない」と諦めてしまっている人も少なくないのです。

そうした気持ちでいると、「気にするほうが悪い」という理不尽な言葉もそのまま受け止めてしまい、思ったことを口にしないまま飲み込んでしまいます。そして「どうせ言っても無駄」という心情になり、本音を伝えないままになります。

それが高じると、アンケートでも見られたように、仕事のモチベーションが下がったり、メンタル不調に陥るといった深刻な事態も起こります。

アンコンシャスバイアスは相互作用で、職場の分断やスタッフの健康侵害などを起こしかねないのです。




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