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“無償の愛”の致死量【映画『母性』を観て】

注意 このnoteはネタバレを含みます。

映画『母性』

2か月前にポスターを見かけて、絶対に観に行きたいと思った映画だった。

最後に映画を観たのは確か妊娠8か月頃(頻尿に苦しめられながらのスターウォーズ)。
約3年ぶりに何故だかどうしても映画館で観たくなったのだ。


私は大学生の頃にうつ病になったのだけれど、そのときに初めて自分には「母親にダメな私のまま愛してほしい」という思いがあると気づいた。
少しずつその思いと向き合えるようになり、その後子どもが生まれ息子を愛することで癒えていくのを感じていた。

だからこそ“母性”というものに強い関心があった。
そして湊かなえさん原作、戸田恵梨香さんと永野芽郁さん主演という、、心が震える作品になっているとしか思えなかった。


今日行こうと決めたのは昨日の布団の中。
夫には朝伝えた。
ありがたいことに夫が良いよと言ってくれたため、すぐに準備して小走りで映画館へ向かった。



映画館は床でポップコーンを食べている学生であふれかえっていた。
まさかみんな『母性』を観るわけではないだろう。そう言えば今は他にどんな映画が公開されているのか、全く知らなかったな。

それどころか『母性』の予告すら目にしたことがなかったな。



トイレを済ませて、中央の席に着く。感染対策のため横は空席だった。CMが流れ、映画館が暗くなり、永野芽郁さんのナレーションで始まった(確か)。


冒頭から胸が苦しい。
目頭が熱くなって、両手を握らずにはいられなくなった。

中盤、終盤と何度も何度も泣いた。
ここまで泣いている人は多くなかったけど、きっとこの映画に共感できない人生の方が幸せなんだろうな、とも思った。




至るところにある伏線も全て予想通りなのに、予想通りに進むことが悲しくてつらくて。
「あなたの手はぬるぬるしていて気持ち悪いのよ」で、それまで我慢していた気持ちが溢れた。

「あ、この涙、知ってる」

いっぱいいっぱいの母、母の役に立ちたかった娘。拒絶されて無意味に手を洗い続けるしかなかった。


一番鳥肌が立ったのは、娘が死にかけたシーンで初めて登場した名前。
あれ?サヤカって誰?他の子の名前を呼んだ?
とパニックになってようやく、ここまでこの子の名前が一度も呼ばれたことがなかったと気がついた。

「この子」「あなた」「お前」
誰も名前を呼んでくれていなかった。



映画を観終わった後もモヤモヤと動悸がして、帰宅後に息子を抱きしめても映画が頭から離れなかった。
どうして“無償の愛”を一身に受けたルミ子が母親から自立できなかったのだろう。

そしてハッと気づいた。
ルミ子の母が注いでいたのは“無償の愛”ではなかったんだ。


褒めるという行為は、叱るのと同様、子どもをコントロールする。
さらに、ルミ子は常に「こうしたらママが喜んでくれるかな」と考えていたけれど、裏を返すと「喜んでもらわないと愛してもらえない」という不安を抱いていたのかもしれない。

フロム著『愛するということ』に母性と父性について書かれていた。
母性とは、無条件の愛。父性とは、条件付きの愛。どちらか一方では健康な精神は育たないのだ。

ルミ子の母は確かに“無償の愛(見返りを求めない愛)”を与えていたのかもしれないけど、それはあくまで“条件付きの愛”だったのではないか。

自分が完璧な母親でいられるための、娘。
娘に合わせて自分を変えたりはしない、母。

ルミ子の母は田所の絵を「死ぬ直前の美しさを知っている」と評したけど、炎の中ハサミで自殺したのも結局「娘と孫のために命を投げ打つ自分」に酔いしれていたんだろう。

そして娘の記憶の中に一番美しい自分を閉じ込める呪いをかけて死んでいったんだ。



登場人物の誰もが“悪”ではない。
ただ、“愛”にも致死量があると思った。
毒というのは量次第だけれど、それは愛に関しても同じなのかもしれない。

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