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印刷所へ行ってきた

 着々と進む幡野広志さんの新作『ラブレター』の制作である。

Vol.1 ひょんなことから幡野広志さんの本をつくることになったのである。
Vol.2 幡野広志『ラブレター』制作中

 表紙のデザインも紙選びも確定し、展開図もできあがったところで、ホッとしていたのだけれども、実は展開図で僕たちは密かにミスをしていた。このミスに、ふと気づいたのは“とんでもない印刷ならお任せ”の藤原印刷の通称「弟」藤原章次さんである。とんでもないけど、ちゃんと気づくところには気づいてくれるのだ。「これって文字を隠すんでしたっけ?」ふと気づいたものの、弟の質問はやっぱりとんでもなかった。さすがは藤原印刷である。聞き方がおかしいのだ。
「いやいや、隠しませんよ! そんな変なことするわけないでしょ!」と言ってみたけれども、藤原印刷ならそんな変なことだってやりかねない。

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 上の写真が封筒表紙版の展開図なんだけれども、これを見るとわかるように、紙を折り返してポケットをつくると印刷した文字が隠れてしまうのだ。折り返したときにちゃんと文字が正面に来るようにするためには、下の絵のように裏側に印刷しておかなければならないのだ。いやまあ、隠し文字にするという粋な造本もありなんだけど、これはデザイナーの意図とは違うので、やっぱりちゃんと折り返した状態で文字が見えるようになっていなきゃならない。
 経験があれば、どこかで誰かが気づくのだろうけれども、今まで誰もやったことのない前代未聞の造本だから、いろいろとほかにも気を取られることが多くて、気づけずにいたのだ。よくぞ気づいてくれたよ、弟よ。

 さて、もともと僕は表紙のタイトルなどは印刷+型押し、もしくは箔押しにすることを想定していた。要するに、文字の部分がちょっと凹んでいる感じだ。これはもうあくまでも僕のイメージでしかないんだけれども、旅先のホテルから手紙を出すときに、ホテルの部屋に備え付けのボールペンで重ねた便箋に文字を書くと、下の紙に少しだけ凹みができるじゃないですか。あの感じが出ればいいなと思っていたのである。もちろん本は印刷してつくるものだから、手書きの手紙とはまるで違うのだけれども、少しでも手触り感や手書きの風合いをつけて、未来への、あるいは誰かへの手紙にしたいと考えていた。
 ところがである。
 ここに来て、気鋭のデザイナー吉田さんから「表紙は活版印刷にしたいんですけど、どうでしょう?」と次なるアイデアが提起されたのだった。

 活版印刷とは、誤解を恐れず簡単に言うとハンコである。亜鉛板でハンコをつくり、インクを乗せてグイッと押しつけていくので、これは凹む。しかも結構な力をかけて押し込むので、わりと凹む。

「箔押しだと細かい文字が潰れてしまうし、今回の本は箔による光沢感を出す雰囲気でもないから活版がいいと思うんですよね」吉田さんは言う。
「なるほど活版印刷か。繊細な線が出せるから、幡野さんの今回の書かれている文章の微妙な心象とはかなりマッチしますね」
「ですです」
「でもこれ、活版印刷じゃなくて普通のオフセット印刷をしたところに型押しするってのじゃダメですか?」
「それだとコンマ数ミリ以下で版がずれる可能性があるので、細かい文字だと変になる可能性があると思うんです」
「ふむ。たしかに」

 ただし問題がいくつかあった。活版印刷をするには、まず版を、つまり亜鉛板のハンコをつくる必要があるのだが、これがそこそこ高いのだ。さらに活版で印刷できる印刷会社はあまり多くない上に、今やほとんどの会社では一枚ずつ手動で印刷しているから、それほど大量に刷るわけではないにしても、やっぱり時間がかかるのだ。納期に間に合わせようとすれば、機械で活版印刷のできる会社に依頼するしかないが、これはもう絶滅危惧種に近い。
「機械で活版印刷のできる会社を一社だけ知っています。すぐにスケジュールと見積りを確認します!」弟はそう言って、すばやく連絡を取り始めた。

「う~む」藤原印刷から届いた見積りを見て、僕は唸った。
「う~~~~む」僕の隣で、社長がもっと大きな声で唸った。
「でもほら、普通にオフセット印刷したものに型押し加工することを考えれば、あまり変わらないよね?」
「変わらない……だと?」社長の眉間に皺が寄る。
「いや、あの、だから、ちょっとしか変わらないって意味で」
「じゃあ、この活版代は? 封筒表紙版とフランス装版、それに封筒表紙版は表と裏で別の活版が要るわけでしょ?」
「まあ、そこだけはけっこうかかるんだけど」
「う~~~~む」社長は再び唸った。
「断っていた広告の仕事もぜんぶ受けるし、自社から出す本の原稿も書き下ろすし、あれこれ渋っていた長編もぜんぶやるから!」
「ちょっと待て! それ、この間も言ったやつでしょ!!」

 そんなやりとりを経て、最終的に活版で行こうということになった。さらに、せっかくなので印刷するところも見学させていただくことになった。
 僕たちが訪れたのは浅草。食器の街、かっぱ橋商店街からほど近いところにある小さな印刷会社である。親子二人だけで切り盛りしているこの会社で『ラブレター』の表紙を印刷してもらうのだ。

 ああ、やっぱりきれいだよ、活版印刷。凹んでるよ活版印刷。オフセットでの印刷が無いので、位置合わせのためのトンボもぜんぶ活版で刷るのだ。

でこぼこ

フランス装版も表紙は活版印刷なのだ。

トンボ

位置合わせのためのトンボも活版で印刷。凹んでます。

 ところで「表紙を印刷してもらう」、この言葉を見て、賢明な読者のみなさんは既に気づいていることであろう。そう、ついに僕は印刷部数を決めたのである。あたりまえだが、部数が決まらなければ、印刷の発注はできないし、紙だって確保できないのだ。
 フランス装版はいわゆる普通の本づくりの工程なので、もしもこの本が大ヒットすれば増刷することも可能だ。けれども封筒表紙仕様はコストの問題もあって増刷することができない。今までにご予約いただいた数と、ほぼ日曜日や、一部の協力書店で販売してもらえそうな数を足した上に、もう少しだけご予約をいただけそうな数を見極めて部数を決定した。
 もう決まっちゃったので、これ以上はつくれないし、つくらない。なので、封筒表紙版に関しては、いまサイトで募集している予約の数が予定の部数に達したところで終了する。たぶんあと30部くらいなので、ご興味のある方はお早めに。


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