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201113 「ウィズ耳鳴り」

「何とか禍」とか「ウィズ何とか」とか「こんな時だからこそ〜」とか、意味は諸々あるのでともかくとして、言葉(字面)としては割と定着した節があるような気がするけど、全くもって使った試しがない。
言う機会がないのもあるけど何かめっちゃめちゃ恥ずかしくなる。今こうして書いてても身体が痒くなる。
(あくまで個人的な感覚の話、と一応付け足しておきます)

これは流行り言葉を使いづらいのに由来してる。
ちょっと流行る言葉を平然と使える人、まあ身近にも多少いるんだけど、常々よく使えるなあと本当に感心する。その身軽さは羨ましい一方で真似できないな、と感じるレベル。

そういえば「禍」を「渦」とか「鍋」と書く人もまだいて、それはそれで感心する。

前置きが長くなった。
急に書こうと思い立った話。前にも書いた事がある話かも知れない。

右耳の真珠腫性中耳炎の手術をしてから耳鳴りが残ってる話は前から何度か書いてる。術後に聴力が落ちて高音域が聞こえづらくなり、元々半透明の壁が挟まってるような距離感の聞こえ方をしてるのと相まって、左右聞き比べをするとかなり顕著な差がある。
とは言え全く聞こえないわけではなく、左耳は問題ないので生活や音楽制作の支障はさほどない。

ただ、疲れやストレスがあると神経質になる事があって、その時に耳鳴りがやけに気に障る。物理的ではなく精神的に不快な刺さり方をするイメージ。稀に、寝落ちに時間がかかる。

あと、今回一番書きたかったのは、静かな場所で静かにならない事。目立って聴こえてくるという具合。
屋外は開放/拡散してるからかあまり気になった事がなく、屋内で音を吸うような部屋(例えば自宅の和室)は顕著。無音の状態が作れなくて、時に気に障る。

例えばちょっと心を落ち着けようと深呼吸してリラックスする時、どうしても耳鳴りに意識的になるのでちゃんとリラックスできてるのかなと疑問が湧く。
例えば睡眠への影響はないだろうか?とかも。あ、ちなみに、寝て起きて真っ先に対峙するのは当然耳鳴り。

ちなみに手術してくれた医者(今も数ヶ月おきに経過観察で診察受けてる)も耳鳴りの原因はわからないそう。そんなもんなんだなあと。

余談。耳鳴りは外から録音できる場合があるらしく、改めてモロで物理的なものだなあと感じる。

最近、腸内環境の不調で耳鳴りが起こるというのを知った。また耳の調子を整えるのにマッシュルームを食べるのが良いらしいというのも知った。どちらもまだ調べ切れてないけど、すごく驚く。

他方、この耳鳴りの要因が物理的ではなく精神的なものだったら?という線も考え出している。イメージとしては、ストレスの根本まで辿り着いて対峙できた時に無くなっていくような。ではストレスとは?

というような、調査と思考実験のひとつのような。
もしこれらが奏功して耳鳴りも無くなったり高音域の聞こえも回復したら良いなあ…いや、良いなあというより面白いなあと思ってる。
(実際、自分の耳鳴りが高音域の聞こえの悪さを埋めにかかってる周波数帯だと思うので、耳鳴りと聞こえはワンセットだろうと踏んでる。)

そんな事を少し考えつつ常駐する耳鳴りとともに過ごしている。

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耳(特に耳鳴りや難聴)に関して、洋の東西や物理面・精神面を問わない医学、ケア、過ごし方、考え方などなどを多面体的に扱っているような仕事ってあるかな。興味がある。

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この日記のタイトルは前置きからの矛盾をあえて試している。やっぱり恥ずかしい…けど、まあいいや。

さて、今日そのものは凪の日常。ちょっと意識が散漫としてて作業が鈍足気味というくらい。
この日記は翌日アップ。

長くなりました。

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電子音楽や諸々を創作しつつ、反射された記録(活動、思考、日記など)を概ねランダムに残しています。もし何かの拍子に気に入っていただけたら幸いです。