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2023お盆「遊民、動きました」

春のお彼岸のお便りの続編〝お盆〟のお便りです。

■曹流寺再建計画の進捗

 3/19の「未来の曹流寺についての意見交換会」では、お檀家さまの方々への現状説明を行い、率直なご意見を頂戴しました。立地条件の良さを活かしてテナントを入れたビルを建てたいという方針にはご賛同と激励をいただきました。とはいっても、現状の雰囲気がなくなってしまうのは寂しいというご意見も頂戴し、お檀家さまの直接のお声を都度お伺いしておくのは大切だと実感しています。
 
 その後、3~4月の約2カ月間、工務店・デベロッパー・不動産会社・マンションオーナーなど計8件の専門家からお話を伺い、曹流寺の土地で実際に何ができるか/できないか、何をするのが良いか/良くないかを様々な角度で検討しました。また、宗教法人が母体となってビルを建てた場合、維持管理にどのような手間と費用がかかるかの具体例を示してくださった方もおられ、非常に参考になりました。
 
 その結果、今すぐに建て替え実現に向かって動くのではなく、得られた知見を元に、来るべきときに備えながら、理想の曹流寺のイメージをもっと明確に具体化していきたいと考えております。この結論を出した理由は大きくは2点です。
 
 まず第一に、曹流寺の土地そのものが歪なことです。このため、当初一番の目標だった、大手企業の誘致によって地代家賃を得ることは難しいとわかりました。
 次に、私1人でお檀家さまの供養をしながら坐禅修行に励み、加えてSNS活動もしている状態で、既に手一杯だとわかったことです。起業家でも経営者でもない一僧侶である不器用な私が、僧侶の本分を超えた事業に手を出すのはリスクが高いです。今の体制で再建したとしても、最大限に活かした運営ができそうにありません。様々な協力者(企業・僧侶・檀家・妻・従業員など)の力を頼りながら進める必要があります。その体制ができていない状態で見切り発車するのは良くないと考えました。
 
 この2点が、今すぐに数億円かけた大事業に踏み切るべきではないという結論を出した理由です。もっと細かな経緯や得られた情報などもお伝えしたいので、お盆の棚経などでお会いした際には、是非お声掛け下さい。土地の図面などをお見せしながら、楽しくお話致します!
 
 今回は「ついに若住職動くのか!?」と覚悟した方もおみえになったかもしれません。思い起こせば3年前、本堂が雨漏りしたときの件は、皆様の記憶にも新しいことでしょう。「数千万円かけて屋根替えをするかも!」と大風呂敷を広げましたが、結果、瓦を5枚替え、わずか22,000円で済みました。今回も、またもや「当面は現状維持」の方針となりましたが、曹流寺を今よりも少しでもよい形で興隆していくために、私の甲斐性で可能な範囲で動いていきます。
 
 新たなタイミングに備えて、情報収集は今後も続けて参ります。皆様のご意見やご提案を、引き続きお待ちしております!

■曹流寺の理念策定の経緯

 改めて、未来の曹流寺の理念です。
1.救われない思いを抱えるあらゆる人に、坐禅という選択肢を提示する
2.坐禅の実践を行う場所として、生きた仏教を継承し続けていく
3."没後供養で救われる"という仏教信仰の礎の場所とすべく勤め続ける
 
 ここでは、この理念を策定した経緯についてお話します。
 
「亡くなった方々だけではなく、生きている人をも救えるお寺にしたい」というのが私の理念のベースにあります。誰かを救うためには、様々な取り組みがありますが、社会的弱者を救うことだけが「救い」ではありません。曹流寺の坐禅会には、社会的に成功している経営者の方々も参禅されます。成果主義、物質主義の価値観で成功を収めても、人は救われないのです。例えばお釈迦様は、生まれも育ちも外見も能力もパーフェクトでしたが、それを全て捨てて出家し、坐禅(瞑想)をすることで初めて、安楽の法門と呼ばれる境地に到達しました。
 仏教の原点に立ち戻って坐禅修行を行った私は、お釈迦様がなぜ坐禅(瞑想)に重きをおいたのかという出発点を垣間見ることができたという実感を得ました。まだまだ修行中の身ではありますが、私自身が、まさに仏教に「救われた」のです。そこで、曹流寺の理念の1つ目を「救われない思いを抱えるあらゆる人に、坐禅という選択肢を提示する」に決めました。
 
 仏教の出発点でもある坐禅修行を提供し続ける曹流寺は、生きた仏教の灯をともしつづける場所であるとも言えるでしょう。他宗派の僧侶の方が参禅されることもあるほどです。今年は、曹流寺に宿泊する「摂心」を開催し、今後の展開にも手応えを感じています。そこで、2つ目の理念を「坐禅の実践を行う場所として、生きた仏教を継承し続けていく」としました。これからの坐禅会や摂心には、お檀家さまにももっと関心を持っていただけるようブラッシュアップしていきます。
 本音を申し上げますと、曹流寺を「生きた仏教を継承する場所」にすることで、私自身が救われます。曹流寺に生を受け、様々な思いに翻弄されながら僧侶を続けてきた甲斐があるというものです。ハラハラさせっぱなしだったお檀家さまの方々にも、ようやく安心していただけるかも……という思いも含まれています。
 
 また、私がここまで坐禅にこだわる理由は、元を辿れば、胸を張って先祖供養をお勤めするためです。多少の回り道はしたものの、私は「仏教の原点は坐禅(瞑想)修行である」という確信を持ちました。しかし、現代社会において、どなたにも坐禅を実践してもらうのは無理があるということも理解しています。そのような方には、没後に仏弟子としてご供養することが救いになるのだと心から信じ、お勤めできるようになりました。そのためには、仏に近づくための坐禅修行を率先して行い続けなければいけません。名実ともに「仏教徒ちゃん」となり、亡くなった方に引導を渡す役割を果たすことができていると、今は胸を張って断言できます。これが、3つ目の理念を「"没後供養で救われる"という仏教信仰の礎の場所とすべく勤め続ける」にした理由です。
 

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