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【絵本レビュー】 『旅の絵本』

作者/絵:安野光雄
出版社:福音館書店
発行日:1977年4月

『旅の絵本』のあらすじ:

旅の風景を描いた、字のない絵本です。
船で岸にたどり着いた旅人は、馬を買い、丘を越えて村から町へと向かいます。
ぶどうの収穫、引越し、学校、競走、水浴び・・・
近代ヨーロッパの町並みと日常の風景がこと細かに美しく描かれています。
よく見ると、みんながよく知っているおはなしの世界も登場しています。


『旅の絵本』を読んだ感想:

一日の終わりに息子とベッドに寝転んでヨーロッパの田舎町を眺める。
あるときはただ眺め、あるときはそこにいる人たちがしていることについて話しながらゆっくりとページを繰っていくのは、車窓から風景を眺めている感じと似ています。みたことのない家々や人々を見るのはとても興味深いけれど、なぜだか私は異次元にいるような気持ちになります。この絵本も同じ。でも同時に一日を走るようにして過ごした私の気持ちは、だんだんと地に着くように落ち着いていくのです。文字はないけれど自分の空想の世界に浸れるいい絵本だと思います。

この『旅の絵本』はシリーズだそうで全部で八巻あります。最後の八巻目が日本なので、のんびりと好きなペースで世界旅行が楽しめそうです。

二十年前の九月、私は日本を出ました。出る時に「私は世界を放浪して残りの人生を過ごす」と決めて、十年ほどは本当にそうやって過ごしていました。「各大陸にボーイフレンドを作るんでしょ」なんて冗談を言って笑う友達もいました。ビザの延長が難しくなってロンドンを出るときは、「結婚してあげるよ」と言ってくれた友達もいました。「紙上だけなら結婚してあげるよ」と言ってくれた女友達もいました。そんな申し出も相手にせず、私は海をいくつも超えて動き回っていました。

「住めば都」は実にその通りで、どこへ行ってもいい友達や居心地のいい場所を見つけることができました。でもいつも次の場所をなんとなく探しているようで、私はどこにいても本当に定着していたとは言えないように思います。

ベルリンも後六ヶ月で十年になりますが、家を出てふと顔を上げると何と無く違和感を感じます。もう六年ほど住んでいる道なのに、通りへ出るたびに「いったい私はどこにいるんだろう」と思うのです。なんだか周囲の風景に馴染めないというか。周りは金髪の人が多いので、自分が違うことを感じやすいのかもしれません。

でもその違いを身体全部で感じるのは好きなんです。自分の存在が再確認できます。なので、旅はひとり旅に限ります。一人旅の時にはカフェによく行きます。毎日同じカフェに行くと、二日目くらいにはウェイターさんに覚えられて、言葉が通じなくてもなんとなくお得意さんみたいに扱ってくれます。そしていつのまにかそこへ来る他の常連さん達と顔見知りになるのが楽しいんです。なので、なるべく地元の人が多くいるカフェに行ったほうがいいですね。

母がスペインを訪ねてきてくれたことがありました。日本から一人で飛行機に乗って、乗り換えも一人でしてやってきてくれたのです。当時私は友人の家に間借りしていたので母を泊められず、近くの小さなホテルを予約しました。午前中私はスペイン語のクラスがあったので、母は一人で近所を探索していました。当時マドリードではスリが多く少し心配だったのですが、母は問題なく過ごせたようです。

まず起きたら数キロ先にある大きな公園までジョギング。戻ってきたらシャワーを浴びて、ホテルのすぐそばにあるカフェに一人で行って朝ごはんを食べました。ちなみに母はスペイン語は全くできません。英語もほぼできません。そんな母が「あらおしゃれ」と思ってさっさとカフェに入り朝ごはんを注文したのです。

初日は注文の仕方もわからず、ウェイターさんと母はほぼジェスチャーのみで会話をしたそうです。母は手を口に近づけ、アムアム。ウェイターさんは「オオ〜、サンドウィッチ!サンドウィッチ!」メニューを持ってきたそうですが、母にはちんぷんかんぷん。そこでウェイターさんは母を店先にあるショーケースまで連れて行き、自分は中側に回って色々なハムやチーズを見せてくれたんだそうです。母が迷っていると、ウェイターさんはハムの一つを指差して、「ウウ〜ン」とうっとりした顔をしてみせました。そして今度はチーズの一つを指差し、またしても「ウウ〜ン」とうっとり。母が頷いてサンドイッチが無事注文されました。そして母は「カプチーノ!」ということも忘れませんでした。出てきたのはミルクコーヒーだったけどね、と母は言っていましたが、十年ちょっと前カプチーノはまだ主流でなくて、特にこのカフェのようにちょっとトラディショナルな場所はまだミルクコーヒーがせいぜいだったのでした。

一人で注文できてすっかり自信をつけた母は、滞在中毎朝そのカフェで朝ごはんを食べました。彼女が入って来るとウェイターさんも心得たもので、「オオ〜、サンドウィッチ?」と声をかけ、あとは毎日お任せで作ってくれたんだそうです。どれも美味しかったと、母も大喜びでした。

私がクラスを休んで母を朝食に連れ出すことは簡単です。でも母が一人でしたからこそこんな経験ができたんですよね。きっと母は、今でもあのウェイターさんのことやカフェのことを覚えていると思います。一人で旅して初めて知ることのできるその土地や人の感触は、旅の宝物になるでしょう。

この『旅の絵本』は中部ヨーロッパが舞台です。出てくる家々はドイツの田舎を思い起こさせます。今度はどこに行こうかな。コロナでなかなか旅行ができませんが、せめて想像の世界だけでもまだ行ったことのない場所に飛び立ってみたいと思います。


『旅の絵本』の作者紹介:

安野光雄
1926年島根県津和野町生まれ。東京在住。1974年芸術選奨文部大臣新人賞、サンケイ児童出版文化賞大賞、ケイト・グリナウェイ賞特別賞(イギリス)、ニューヨーク・サイエンスアカデミー賞(アメリカ)、BIBゴールデンアップル賞(チェコスロバキア)、ボローニア国際児童書展グラフィック大賞(イタリア)、国際アンデルセン賞(IBBY)などを受賞。



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