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【絵本レビュー】 『おおきな木』

作者/絵:シェル・シルヴァスタイン
訳:村上春樹
出版社:あすなろ書房
発行日:2010年9月

『おおきな木』のあらすじ:

幼い男の子が成長し、老人になるまで、温かく見守り続ける1本の木。
木は自分の全てを彼に与えてしまいます。それでも木は幸せでした。


『おおきな木』を読んだ感想:

『The Giving Tree』がこの本の原題なのだそうです。「与える木」が文字通りの意味になりますね。そしてその題の通り、このおおきな木は男の子に与え続けます。何もかも。何もあげられるものがなくなっても、何かを与えようとするのです。木はそれで幸せを感じていました。

ちょうど前日に私たちは大人のグループで幸せについて考えていました。人に何かをしてあげること、与えることで満足感を得ることはできます。でもそれを永遠に続けることはできるでしょうか。一人の女性が言いました。
「見返りを求めず、自分のためにしているのならばできる。」
もう一人が言います。
「私はやっぱり見返りを求めてしまうなあ。」

私はどうなんだろうと考えました。書の作品を含め自分の時間や労力を割と提供してしまうことが多いと思います。書道を習い続けたいけどお金がないと言われると、「払えるようになるまで」と言って授業料をタダにしたりもします。旦那にはよく叱られますけどね。

「君にもね養う家族がいるんだよ。息子くんのご飯代どうするの?」

確かにそうです。他の人に与え続けることは素敵なことだけれど、それが私自身を削ってまでしているならちょっと軌道調整が必要かもしれません。この絵本が私を少し悲しい気持ちにさせたのは、木がりんごも枝も木自身全てを与えて少年に何もあげられなくなってやっと、木が求めていたもの、「少年とただ寄り添うこと」を得られたということです。

親の愛は無条件の愛だと言います。確かにそうかもしれません。でもそれは私自身を全て犠牲にするということなのでしょうか。他の人対しても同じです。困っている人は助けてあげたいと思います。でもそれは、私の家も財産も全部与えるということではありません。もしそうなら、あまり健康的とは言えませんよね。

そしていつも一方が与え続け、もう一方が受け取り続けるだけというのもあまりバランスが取れていないように思います。持ちつ持たれつという言葉もあるように、関係ってある意味相互的であったほうがいいのではないでしょうか。Win-Winな状況でみんなが満足できる。そんな関係が、私の求める関係です。そのためにはやはり一定の限界というものが必要になります。木は与えることしか術がありませんでしたが、もし話すことができたら、
「これ以上は手伝えないよ。」
と言っても良かったのではないかと思います。

少年は家を持てなかったかもしれないし、船で遠くに行かれなかったかもしれない。でももしかしたら、それはそれでいいのかもしれません。少年自身も自分の限界を知ることができたでしょう。

皆さんはどう思いますか。与え続けることは愛なのでしょうか。また、与えられ続ける人生は心地の良いものなのでしょうか。


『おおきな木』の作者紹介:

シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)
1930年、アメリカのシカゴ生まれ。作家、イラストレーター。絵本作家として有名だが、ソングライター、漫画家、詩人として、多岐にわたり活躍「歩道の終わるところ」(講談社)など作品多数。1999年没。


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