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「ゲーム依存症」と「医療×ゲーム」

おはこんばんにちは!現在Lv.22のゲーミフィケーションくんです。

今日の研究日誌は『「ゲーム依存症」と「医療×ゲーム」』ということを書こうと思います。

「ゲーム依存症」という言葉の微妙さ

まず医療とゲームという文脈でよく出てくるのが、「ゲーム依存症」という言葉です。

この言葉があるように、ゲームしすぎるのは病気だみたいなイメージを持っている方は根強くいらっしゃいます。

このあたり、「ゲーム」が何を指しているのかをよく考えないといけないのですよね。

ゲームはざっくり「インタラクティブなメディア」ということが言われています。漫画は操作できないことに対して、ゲームは操作できる(インタラクティブ)だよね、という感じです。

で、「ゲーム依存症」という言葉の微妙なところは、このゲームという言葉の括りが雑なところにあります。

たとえば、漫画を読んで勉強しない子を見て、「紙依存症」と言ったり、テレビを見て家から出ない子に「映像依存症」と言ってしまっているのと同じ微妙さがあります。

歴史漫画もあれば、教育番組もある。要はコンテンツ次第です。そんな中で、メディアを指して「ゲーム依存症」というのは、なんともいえないのです。

「世間に知られるべきコンテンツ」を「ゲームというメディアに載せる」という理解が重要です。

とはいえ、直感的に「テレビを見るな!」「スマホを触るな!」みたいな視覚優位な反応は自然なのですよね。

スマホ導入当時は僕も視覚を頼りに、kindleを読んでる人もいればメールをしている人もいるのに「みんなスマホを見てる、、!」と思ったものです。

視覚優位な反応は自然だから、コンテンツとメディアという分け方はなかなかしないので、「ゲーム依存症」と言ってしまうということです。

なぜ依存症といわれるか

これは、一言でいうと「めちゃめちゃ気持ちいいから」です。

事実、ビデオゲームはドラッグの静脈注射と同程度の心地よく強い恍惚感を脳に感じさせます。ドーパミンがめちゃめちゃ出るということです。

この「めちゃめちゃ気持ちいい」に至る過程をざっくり説明します。

まず「ドーパミンが出る」って何なのかというと、おおよそ「モチベーションと精神力が高まったというサイン」です。そしてこのドーパミンは「うまくいったとき」に出てきます。

脳は未来のことを考えたとき、「うまくいきそうか」のコスパを分析して挑戦するかを決めるのですが、そのときドーパミン濃度で分析します。

で、ゲームをしているとゲーミフィケーションの要素でもある「即時フィードバック」が返ってきて、すぐに「これは失敗か」「あ、うまくいったぞ!」と思えます。

すると、「うまくいった」ときにドーパミンが出て、「自己効力感」という、「やればできる感」が高まり、次の挑戦の時にドーパミンが濃いから脳が「いける!」と判断して突き進んでいくという感じです。

この「うまくいく」→「挑戦のハードルが下がる」というループを繰り返して、プレイヤーはゲームに夢中になっていきます。

ただこれって、別にゲームだけの話ではなくて、課題のレベル設定が秀逸な問題集とか、教えたことが少しでもできたら「できるじゃん!」とかいうのが上手い先生にあたったりして「勉強中毒」になったりするのを実現しただけなのですよね。

サッカーが上手くて何をしても大活躍の子とかは、もう「サッカー中毒」です。

このあたり、なぜゲームが区別されるのかという部分の仮説なのですが・・・。

「インターネット依存症」と同ジャンルだと思っています。

というのも、インターネット初期というのは、「世間が居心地悪い人の居場所」だったりしたのですよね。で、今は「世間が居心地悪い人」でなくてもインターネットにいます。

同様に、今「ゲームは悪」と思っている人にとって、ゲームはいわゆる「現実逃避」のポジションであり、今はそうではないのですが、今「ゲーム依存症」という言葉を使う時、「自宅こもって出てこない人」をイメージされているということです。

ブランド系の本に書いてあるのですが、人は商品を「どんな人が使ってるか」で判断していたりします。広告とかに注目すると分かりやすいのですが、例えばユニクロはイケてるイメージにするためにイケてる外国人に着せて広告しています。

このイメージというのは厄介で、理性的に「もうe-スポーツの時代っぽいな」と思っても、感覚的に納得できないのですよね。

このあたりの世間に抱かれているイメージってめちゃめちゃ大切で、「サッカーに依存するのは健康!ゲームに依存するのは不健康!e-スポーツ?サッカーと一緒にするな!」というのが、ロジックとかではなく、現実に抱かれているイメージで持続的なので無視できないのです。

気持ちよくなるメカニズム自体は、勉強教えるのがうまい先生とかと全く同じなのですが、その「イメージ」が足を引っ張ってるということです。

ゲームと医療

ゲームと医療がどういうふうに結びついているのかという点なのですが、『Re-Mission』という「白血病の少年を支援するPCゲーム」があります。2007年で、けっこう昔からゲームの力を使っていこうという取り組みはされてきています。

以下がその記事です。

上に貼った記事を引用すると・・・。

Re-Missionは,がんと闘う子供達のために開発された3Dシューティングで,その開発には多くの医療施設や専門医,そして患者らが協力しており,要望があれば誰にでも無料配布されている。プレイヤーは,がんと闘うナノロボット,Roxxiを操作して体内を進み,がん細胞を攻撃したり,感染症と闘ったりするのだ。

医療現場の抱えていた課題として、患者が抗がん剤を飲みたくないということがあったのですよね。

理由は色々あります。吐き気や倦怠感という副作用は耐え難いものがあります。そんな治療にうんざりして、少し良くなったと思って「今日は飲まないでいい」と思ってしまう。誰でもそうなると思います。

30%の子どもが20%以上の薬を飲まないそうです。すると、白血病の再発率が3倍になります。書いていて泣きそうなのですが、そんなことを数字で言われても、辛いものは辛いのです。

「死」というのは、進化論的に考えても、ある種究極的にモチベーションが高まる状況なのではないかと思うのですが、それでも飲みそこねてしまうのです。このあたり、ロジックではないのですよね。

じゃあこの「薬の大切さ」をどうやって患者に伝えるかというと、「ゲーム」です。

『Re-Mission』は、ゲームの中でバーチャルの患者が抗がん剤を飲まないと、体内で戦うプレイヤーの武器は弱体化し、また飲まないと次は敵であるがん細胞が強くなっていきます。こうして、抗がん剤を摂取しない度に難易度が上がっていくというゲームです。

これをプレイすることで、「抗がん剤が効く」というのを、ロジックではなく気持ちの部分で納得するということです。

このゲームを導入した結果はすさまじく、『Re-Mission』を2時間プレイした患者は、3か月間、薬をもっとちゃんと飲むようになりました。

ゲームのポジティブな影響は他にも色々あります。その中でも、患者に医療への理解を促し、よりポジティブに、「この薬が効くんだ!」と思ってもらえることは、毎日回復するのかが心配で仕方のない状況の患者にとって、本当に求められているものだと思うのです。

「薬の効果を知ってもらう」という、ある種教育分野なのですが、こうして「知っておくべきこと」だけど、「向き合うのが辛いこと」なものってたくさんあると思うのですよね。

その「向き合うのが辛いコンテンツ」を「ゲーム」という、「教育分野との相性が抜群に良いメディア」で包むことで、知るという障壁を超えることができます。

「インフォームド・コンセント」という、医者が患者にちゃんと説明するというのも大事なのですが、ロジックというのは、辛いんです。

ゲームは、患者の医療との向き合い方をもっとポジティブにしてくれるよね、ということです。

というので

医療という領域で、「ゲーム依存症」という言葉に向き合いつつ、医療にはこんな役に立つんだよ、というのを一部だけ紹介してみました。

このあたり、医療への役立ち加減はすさまじいものがあり、うまくいっている事例は数えきれないです。むしろうまくいかなかった事例はないかと探すぐらいです。

「ゲーム脳」という、あまりにも根拠が不十分で悔しい言葉もあるのですが、そのあたりとも向き合うべきだと思っています。

「スマホ脳」の本あたりもよく読むべきかな・・・。

では!


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