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ファッションと美容師らしい在り方

ファッション業界に30年以上美容師として働かせて頂いた
今の正直な僕の「ファッションの在り方」について

特にファッションが大好きな方
美容師として生きていこうと決意している方
これから美容師になりたいなと思っている方

に読んで頂けると幸いです


ファッションについて思うこと

そもそもの話なんですけど
僕が美容師になったきっかけは「父と母が美容師だった」という事が大部分を占めていたので「有名美容師にいつかなってやる!!」と
立派な志がずっとあった訳ではなく
ちっちゃい時はとにかく忍者になりたくて手裏剣作ってたし
少し大きくなったらバスケが好きすぎてNBA選手目指して夜練してたし
それが無理だって気づき始めた頃からは部屋の模様替えをしたり色んな建物を見るのが大好きだったので建築家になりたいなぁとかって漠然と思っていました

美容師ってオシャレそうだし、ファッションの事に幼い頃から興味があったのかと言われるとそうでもありません
「オシャレが大好きで誰よりもオシャレでいよう!」って意識は無かったし
むしろ毎日遊ぶことばかりでいわゆる「オシャレな若者」とは縁遠かったのかもしれません

ちょうど多感な10代から20代にかけてDCブランド全盛期から渋カジへとファッションが移り変わり始めてて、リーバイスの501、レッドウィングのブーツ、ヘンリーネックってメンズファッションだったらこんな感じ

なんか、皆が着てて制服みたいで嫌だったから
ひねくれ者の僕は敢えてアメカジに手を付けず独自の路線でファッションを楽しみます

初めてイタリアの革靴を履いた時ソワソワしました
初めて高そうなシャツに袖を通した時ワクワクしました
当時はいわゆる「不良」以外はやってなかった金髪にしてみました

「いつもと違う自分になれるワクワク感」

有名ブランド名も殆ど知らなかったし、流行はむしろ遠ざけて
「この格好したらどんな風に変身できるんだろう?」とか
「この髪型はどんな印象に見えるんだろう?」などを考えては実践し
いつもと違う自分をみてニヤニヤしていました

この「印象の変化を楽しむこと」が僕のファッションの原点でした

オシャレマウント

「オシャレ」って言われると嬉しいけど
「ダサい」って言われると嫌です
たぶん「ダサい」って言われて喜ぶ人はいないと思いますが
僕自身、若い頃にけっこうファッションは独自路線でいってましたので「ダサい」って言われて怒っていました

「この良さが解らないお前がダサいんだ」って
「俺の方が本当にファッションを知っているんだ」ってマウント取ろうとします

これって本当はどっちがオシャレなんでしょうか?
そもそもオシャレかダサいかの境界線はどこにあるのでしょうか?
オシャレとかダサいとか喧嘩する為にファッションは存在するのでしょうか?

例えば「自分がオシャレだと思ってるからオシャレだ!」
と、これを貫き通せるのであればもちろん周りの意見なんて関係ありません
それは完全に完璧にオシャレな人だと思います

ただ、「自分はオシャレだと思っているのに周りが認めてくれない!」
はどうでしょうか?
これは「自分が良いと思っているもの(こと)を周りが理解してくれない」
という事で「自分を誰にどのように見せたいのか?」を知る事で改善出来ます

そして「どうせ自分はダサいから…」はどうでしょう?
オシャレマウント取られ過ぎてトラウマになったのかもしれません
これも「自分を誰にどのように見せたいのか」を明確にしてしまえばきっと上手くいくはずです
諦めたらそこで試合終了です

さらに「ファッションなんて興味ないし」ってたまに聞きます

うそつけ

本当に興味が無かったらトイレットペーパーで体中グルグル巻きで外に出ても何も感じないし、髪型なんてちょんまげでも良いわけだし、どうせ面倒臭いんだったら寝袋に穴開けて手足だけ出してずっとそのままで良いじゃん!
そんなことないでしょっ!
流石にそれはーって洋服着ちゃうでしょ
洋服も何となく色とかバランスとか見ちゃうでしょ
それは既に「ファッションに興味がある」んです
「自分を周りの人達に変態じゃないって見せたい」からなんです

ちょっとムキになりましたが僕が思うファッションは「流行」とか「誰かがダサいって言った」とかは関係ありません
自分自身が納得していかに自分らしさを自分の思うように表現出来るかがファッションの在り方だし、その事を楽しむ感情が「オシャレ」だと思います

美容師なりの憑依方法

長々とファッションに対する事について書きましたが

①自分自身が納得してワクワクすること
②自分を誰に対してどのように見せたいのか?を意識すること

これを意識すれば大体の場合は「オシャレ」だと言われます
もちろんこれはヘアスタイルにも言えることで、ぼくたち美容師はこの②に対するサポートをすることが重要だと思います

①のワクワクする髪型にするという事に対して②を僕達の経験値と想像力でアドバイスをしていく

なので「韓国風にしたくってー」って言われた時に
「はい、韓国風ですね。こちらになります」としないこと
誰に対して韓国風に見せたいんだ?
何故韓国風に彼女は行きついたんだ?
彼女が言っている韓国風とは一体どのようなものなのだろうか??

と、お客様にそのまま聞いてしまうと気持ち悪いので
まるで彼女自身に憑依するかのように頭を働かせます
これが経験値と想像力が必要なところ
普段、遊んでいる事すら経験ですから色んな事が役に立ちます
映画やドラマを観ることや、色んな人達とフラットに(これ重要)話す事
旅に出てみたり、イベントに参加したり、スポーツを楽しんでみたり

もちろん全ての経験は出来ませんが
例えばバスケをしていると髪型選びは重要になってきます
前髪が邪魔で視界が狭くなることはパフォーマンスダウンに繋がるからです
じゃあ、いっそ坊主にしてみるかってやってみると
意外と汗が顔に流れやすくなるのでこれも慣れが必要になってきます
バレーボールだと髪ですらネットについてはいけません
格闘技だと髪は頭を守ってくれるヘルメット代わりにもなってくれます

これらを相手の立場に立って想像する事
これを僕は「憑依する」って言ってますがこの場合はスポーツの話なので「利便性」が最優先されます

そこに「誰に対してどう見られたいのか?」と考えるとより複雑になります

人望が厚く仕事熱心な企業相手の営業マン
とにかくお客様の事を第一に考え
人の痛みを自分の事のように思えるA君

A君は自分の大好きな髪型を美容室で選びます
自分がワクワクするからきっとこれで仕事も上手くいくはず!!ってオーダーしたのが

「真っ赤なモヒカン」

彼はワクワクしながら既存のお客様のもとに向かいます
「新規一転しました!いいっしょ!!」

「???? 君、ふざけてるの?」

「いえ!今回○○さんの為に素晴らしい企画を持ってきました!どうかご考慮下さい!」

「なになに??ヤケクソでこれ考えてきたの?こっちだって忙しいんだよねぇ」

「いえ!気合十分でやってます!!」

「ふーん、まあ、とりあえず置いといて」

って、なりませんか?
ちょっと極端、いやかなり極端な例ですが「誰に対して」を省いてしまうとこのような事が起こりえます
「大好きな人に対して」「お世話になった人に対して」「職場の先輩に対して」「家族に対して」
色々と考えはありますがそこに「誰に対して」が無くなった時に大切なお客様は否定されるかもしれません
そして、その時に一番傷つくのはお客様です
「良かれと思ってやった事が認められない」って結構キツいんです
洋服は着らなきゃいいけど、髪型は自分では変えられません
その責務が僕達美容師にはあるなと思っています

その髪型は誰の髪型?

ヘアメイクアーティスト

って僕達は言われます
アーティストって言われると僕はむず痒くなります
自分の作ったヘアスタイルを「作品」と言えないからです
もちろん多くのお客様が世界で有数のヘアメイクアーティストにヘアスタイルを作ってもらえれば良いんでしょうけど、それで「本当に自分が望む髪型」になるのでしょうか?

その髪型はお客様の髪型だから
僕は出来るだけ憑依してお客様になりきって考えます
なので、せいぜいヘアメイカーぐらい
アーティストなんて特別な生き物には僕は到底なれません
彼らは特別ですから

そしてこの話になると
「海外では皆自分に自信をもってお客様にヘアスタイルを提供しているわ」
って言われますがそれはそうでしょうか?
恐らく本当のトップスタイリストはお客様に寄り添ってますし
何よりも文化が全く違います

「おもてなし」という言葉が日本独特の物であるとすれば
そこには必ず「相手を想う」と言う事があるように
相手を想うには相手の立場に立つことも必ず必要になるので
まずは「自分がどうしたいのか?」よりも「相手がどうしたいのか?」を考えることが僕は本当の美容師の表現方法だと思っています

お客様の髪型はお客様の髪型
僕達は最高の技術と経験と想像力で
「お客様が誰かに対してより良く見られるように」
ヘアスタイルを作るお仕事をさせてもらっています

そして、そのより良くなる為の想像力に関しては
僕はアーティストだと思っています

長くてとりとめのない文章を
最後まで読んで頂きありがとうございます

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