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花火、消えてもまだそこにある

自宅の最寄駅から歩いて十分の場所に、倉式珈琲店というカフェがある。みつおは最近、勉強するときにここを利用している。昨日も仕事が少し早めに終わったので、二時間ほど読書した。頼んだのは、ベーコントーストと水出しアイスコーヒーのセット(990円)。

合間にスマホで インスタを開き、タイムラインの投稿を眺めていると、こんな短歌の一行と出会った。

花火、消えてもまだそこにある

木下龍也 鈴木晴香著『荻窪メリーゴーランド』

惹かれるフレーズだなぁ、作者はどんな意図で書いたんだろうと想いを馳せる。そのあと、花火という言葉をトリガーに、心が十七歳の頃へとタイムトラベルした。

ヘッセが『春の嵐』という小説の中で
「青春時代は人生の中で最も苦しい時である」と書いている。

みつおにとっても、クラスメイトをはじめ周りの人間関係に恵まれていたにも関わらず、学生時代は、とても生き辛く、苦しかった。
あれは、どういう現象だったんだろう。周囲には思いやりがあって優しい人が沢山いたが、あまり話すこともできず、孤独を感じていた。

そんなときのこと。当時住んでいた実家は、庭が小さな山と隣接していてその向こうには県立高校があった。

ある日、家に居たら、おそらく体育祭だと思うが、学生たちの楽しそうな声が届いてくる。その歓声がなんだか無性に羨ましかった。そして夜になり、今なお光景を憶えている出来事が起こる。

後夜祭というやつであろうか、夜になるとその高校から花火が打ち上げられた。眩しく輝いていて、学生の大歓声と共に、胸に焼きついた。

山の向こうの、青春を彩っているのであろう花火を家から眺め、居ても立っても居られない衝動に駆られ、確かチラシの裏だったと思うが、言葉を書き殴った。

『俺も、いつか友とか恋人とか大切な人と花火を観たい。絶対に観る!!』

書いていて少々恥ずかしいが、当時、十七歳のみつおは、決意した。そのくらい、当時感じていた孤独感は強かった。

あれから二十三年の歳月が経った。ありがたいことに、共に美術館や温泉へドライブ旅をしたり、鰻や焼肉を食べに行ったりする友が居てくれる。そのことに、心から感謝をしている。
苦しさを味わった時間があるからこそ、今ある光の美しさがわかる。その価値を尊く思える。人は独りでは生きていけない。大切な存在を大事にしたいと思う六月二十五日の早朝であった。




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