大森靖子は私にとっての桃色のウサギ

愛してる.comのイントロの脳みそに響いて心を揺さぶる感覚,その感覚を初めて味わったのはあの春で,私はあの春を経験しなければ私は違う私になってしまっていたと思う。


大森靖子に初めて出会った時のことは鮮明に覚えていて,初めて聞いたのは絶対彼女だった。最初はyoutubeのサムネがかわいくて聴いてみただけ。14歳の私は何者かになりたくて,(それは有名になりたいとかじゃなくて,みんなとは違う感性が欲しかったし,自分を肯定できるだけの特別が欲しかった)そんな私の心のもやもやを言語化してくれたのが大森靖子で,救いだった。自分が何者かわからなかった私は,自分が女の子であるということさえも肯定できずに,ほんとは水色の水着なんか着たくなくて,ピンク色の水着を着たいこととか,トイレでビューラーで前髪を直す一軍なんかよりも前髪にこだわっていることとか,周りに伝えられずにいた。でもそのことに自分自身気づていなかった。だから大森靖子の絶対彼女を初めて聞いた時,やっとそのことに気づけてドキドキした。

大森靖子のことはだれにも負けないくらい好きだ。でもライブには行ったことがないし,まだ聞いたことのない曲だってある。でも,行くべき時に行こうと決心するはずだし,必要にな時にまだ聴いたことない曲に出会うはずだから,運命の流れに身を任すだけなんだ~。そうやって今まで多くの曲に出会ってきたし。

私が好きなのは大森靖子の考え方や,紡ぐ言葉なんだと思う。twitterで大森靖子のことが好きな人を見るたびにうれしくなるし複雑になる。だって大森靖子の歌は一人で聞いていたし,一人で歌っていたから,自分なりの詩の解釈が私だけのものになっていしまっていて,その考えが他人に共有されるようでなんか恥ずかしくて,でも同じ考え方の人がいてうれしくて,複雑。実際,音楽なんてみんなのものだけど,好きな理由や好きな部分は個人のものだしたぶん聴こえ方も違う。(色の見え方が人によって微妙に違うように)まあ,世界なんて私の眼を通してしか見れなくて,私の脳みそで補正されたものを世界と定義してしまったから,他人の世界と私の世界は別物で,ということは私達はそれぞれ別の世界で生きているということなんだな♪自分という存在があるゆえの世界で,その世界があるということは私が存在するということで,私が存在するということは…と永遠に続く。これはデカルトの我思うゆえに我ありに通じると思う。だから哲学の授業でデカルトのこと知った時悔しかったなー。だって私の考えていたことすっごい分かりやすい言葉になってたんだもん,しかも大昔に。

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このような文章を紡ぐというのはもどかしいな,みなどうやってやっているのだ?だって脳みそに浮かんで消える事象が速すぎて,タイピングが追い付かないよー。( ;∀;)タイピングが遅いだけ?

と,ゆーことで(どういうこと?)大森靖子の炎上などはどーでもいいのだ!
大森靖子がこの先もこの世界に新しい言葉とメロディを生み出してくれさえすれば私の命はつなぎとめられるし,救われるからそれだけお願い☆(^^♪

♬)絶対彼女/大森靖子



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