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おじいちゃんにモテる

自慢ではないが、私は年上の男性にモテる。

言い替える。
おじいちゃんにモテる。


「年上の男性」に違いはないが、哀しいかな、如何せん年上がすぎる。
私のいわゆるストライクゾーンが広ければただのハッピーな話なのだが、こと私においては真面目な恋愛対象、婚活対象とは現状ならないのがたいへんに残念なところである。

このことには薄々気がついてはいたのだが、確信したのは20代も半ばを過ぎた頃だった。
おじいちゃんにストーカーされた図書館で気が付いた。


ついてくる。どの棚に行ってもついてくる。

地元の図書館だ。
予定のない休日、いつものように本を物色していると、70歳くらいだろうか、少し隠れながら(隠れられていないのだが)こちらを見ている高齢の男性の姿が必ず目に入る。
小説の棚、CD、DVD、絵本コーナー、分厚い伝記が並ぶ棚、小難しそうな心理学の棚・・・
どこに行っても必ず見える範囲にいるあの高齢男性。
さあどこまでついてくるのかな、楽しくなってきた当時の私は、ここはちょっとクセのある女をアピールしてみようと、「心霊体験・スピリチュアル」なる棚に、いかにも興味津々といった様子を演出し、さも熱心にその棚の本を覗いてみた。
(※心霊体験やスピリチュアルを軽んじる思想で書いているのではありません。)

いや、見てる。
さながら「家政婦は見た」である。あの角度で見てる。「おじいちゃんは隠れ見た」。

これでもし、若い女の人と話がしたくて軽やかに声かけちゃうような朗らかでおだやかなおじいちゃんであれば、高齢化の進む日本社会においてご高齢の方ともうまく友好的な関係を築こうと愛想良く(ただしスペースは保ちつつ)対応したはずである。
しかし、このおじいちゃんはただなんかしっとりとした視線で見ているだけなのである。
そこそこ怖くなってきた私は即刻、受付カウンターの奥にいた立場のありそうな年上の男性(40〜50代くらいの、こちらも確かな年上の男性)に、事情を話した。
その男性がおじいちゃんの方を見(相変わらず隠れて見ている)、近づく様子を見せるとおじいちゃんはものすごい早足で図書館から出て行った。

今考えてみれば、この受付カウンターの男性は私情を挟まずきちんとした対応をしてくれたものだ。ありがたかった。
私のような、一見素朴で地味なタイプに分類されるだろう女性が、こういう話を訴えた時に少し嫌な男性に当たってしまうと、鼻で笑って遠回しに、勘違いじゃないですかね、といったニュアンスであしらわれることもある。

という少々の余談を挟みつつ、私はこの日、地元の図書館の一角、「心霊体験・スピリチュアル」の本の棚の脇で、自分自身を取り巻く特殊な事実に気が付いた。確信したのである。

「私は、おじいちゃんにモテる」と。


確信を得た私の図。




このモテエピソード(笑)は少し怖い話だが、他にもある。


高校生の頃。
少しのあいだアルバイトをしていた某ファストフード店では常連のおじいちゃん(当時の私から見ればおじいちゃんだが、年齢はおそらく60そこそこであった。)に気に入られていた。おじいちゃんは私がいれば毎回私のレジに来ていた。
「休憩時間に食べな」とお菓子をもらうこともしばしば。手渡しの時にはしっかり指を握られたものだった。


23、4歳の頃。
駅で電車を待っていると、ジャケット姿でハットを被った老紳士になんの前触れもなく声をかけられる。
「風がつめたくなってきたねぇ」
「!?・・そうですね、もう11月ですからね」
「地元の子なの、どこか行くの?」
「そうですよ、ちょっと友達に会いに」
「寒いから気をつけてね、何か飲むかい」(自販機の前で)
ホットココアをおごってくれた。
むやみに触れてきたり会話を深追いされることはなかった。さすが老紳士である。


27歳くらいの頃(図書館の一角で確信を得た後のことだ)。
例の確信を得た同じ図書館の駐車場で60代半ば〜後半くらいの男性に、「ねえ、カノジョー」と、現代ではにわかに信じがたい声のかけ方をされる。
図書館が入ったその施設の質問をされているうちに、徐々に会話があやしい方向へ。
最終的に「これからうちに来てお話をしないか」と言われる。
「そういうことでしたら、他、当たってください。」とあしらい逃げる。これは悪質だった。


28歳か9歳か、もうほとんど30になっていたか、そのくらいの頃。
電車のボックス席の斜め向かいに座っていた70歳くらいの男性に突然世間話を振られる。
ひととおり世間話をした後、降りる駅で解散。これは単に社交的な人だっただけという可能性も。


つい何年か前。
自然のある大きな公園で紅葉を撮影してみようと遊んでいると自称・プロアマカメラマンのおじいちゃん(70歳前後)に声をかけられる。
「どうですか、うまく撮れてますか」
「いやー、どうでしょうね」
おじいちゃんの所属しているカメラマンの同好会に誘われる。
「若い女の子だとモデルさんとしても活躍できるよ」
3●歳で「若い女の子」と言われた衝撃もそこそこに、
「これからも一緒にここで撮ろうよ」。
それが爽やかな言葉でなく、なんとなくこの世代独特のねっとりとしたニュアンスを感じとり、経験上警戒心旺盛の私は、地元の人間じゃないから、という適当な理由で逃げる。


私はなぜこの世代のセンサーに引っかかりやすいのか。分析はできているつもりだ。
まず見た目だ。派手ではなく、かといって無頓着でもない。
私はファッションに関しては流行りのシルエットももちろん好きだが、どちらかといえばシンプルなものや定番の形を選んでいることが多く、上の世代が理解できないような、意味不明な服を着ていることはほとんどない。
顔のつくり自体派手ではないし、普段のメイクも濃くはない。
身長が小さく、小さい分威圧感はなく主張が少ない。
たぶん標準体型・・・いや、ややぽっちゃりか。
そして、知らない人間だけど普通そうな人に対してはとりあえずの愛想だけはなんとなくいい方だと思われる。


総合的に見て、これらがおじいちゃん達にとって「安全そう」なのである。
「自分たちを邪険に扱うことがなさそうな安全感」を醸し出しているのだろうと思う。

もちろん、派手な女性が好みのおじいちゃんもいる。
しかしながらそういう方は決まって、「おしゃれ」か「お金持ち」で「高飛車」である。こういうおしゃれな方のセンサーには私は引っかからない。(ご老人でなくてもおそらく引っかからない。)


どうだろう(何が)

ここまで一通り披露してきたが、何を隠そう、これを書くことによりなにを生み出そうと思ったのかは書いているうちにもうすっかり忘れた。
今心に残っているのは、どうでもいいことをカミングアウトしたあとの妙な爽快感である。

自分がこの概ね普通のおじいちゃん方に好まれやすいとわかっている以上、この特殊な事実を詐欺などに利用することなく、清く正しく朗らかな生活ができるようにと自らのことながら願うばかりだ。



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