見出し画像

留学回顧録②


前回に続いて第二弾。
スペインにたどり着くまで。

セビリアまでの行き方として、

成田空港→フランクフルト→マドリード(1泊)→AVE(スペイン版新幹線)→セビリア

この行き方で行きました。当時はマドリードまでの直行便が割と始まったばかりでそんなに便数もなかったと思います。(なんせ2017年のことなので…)

成田空港をルンルンで出発。機内食イェーイって感じでしたが、長い。フランクフルトまで長い。どこを飛んでるか見ても永遠とロシア。ロシアデカすぎだろと思ったのを覚えてます。

出発前に当時の彼氏(現旦那)から餞別を貰っていて、中身が手紙と本、写真立てだったんです。懐かしい。貰った本が「アルケミスト」という、主人公が旅をして成長しながら宝物を見つけに行く話でした。

飛行機の中でまず貰った手紙を読んで号泣。その後にこの本を読んで、「これから夢を叶えに行くんだな」という気持ちになったのを覚えてます。たった半年とはいえ、約10,000kmの遠距離。不安が無かったわけではありませんでしたが、それよりもワクワクが勝ってました。

話が逸れましたが、そんなこんなでトランジットのフランクフルトに到着。最近ドイツに行きたい欲があったのですが、考えてみれば"行った事"はあったんですよね。空港から出てませんが。

トランジットも余裕たっぷりという訳でも無かったので、とりあえず乗り換えのゲートには向かおうと思ったのですが、どこのゲートかわからない。電光掲示板もギリギリまで表示されない。ちょっとパニック。

とりあえずゲートに並んでいる素敵なマダム(私なりに優しそうな人を選んだ笑)に、片言の英語で話しかける。返ってきたのはドイツ語。まーーったく何言ってるのかわからない。「Ok...Thank you」とだけ言いました(笑)

携帯を使おうとしても、ポケットWi-Fiを持っていなかったので(当時そんなに無かったと思うんだよなぁ)、とりあえず空港のWi-Fiに接続。これがまぁ使えない!!

まじかよ…と思いつつ、ラウンジの入り口にいたCAさんにチケットを見せながら片言英語でゲートを聞く。なんとか教えてもらいました。

本当に焦りました。英語が話せる訳でもないし、それでも人間はいざとなればなんとかしようと頭がフル回転するんだなと思った記憶があります。

ようやく乗り換えにも成功し、マドリードのバラバス空港に着いたのは夜。空港からホテルまでの地図を見ながら辿り着き、チェックインをしようとスペイン語で伝える。

が!通じない!!
留学初日で挫けそうになりました。
その場は片言英語でまた切り抜けました。

その日はシャワー浴びて速攻寝た。
人生で1番疲れてたと思う(笑)

いざゆけ!セビリア!

翌朝、まだ明るくなる前にホテルを出発。チェックアウトをして駅に行こうとすると、ホテルの受付のお兄さんに話しかけられる。

「ちょっと待って!どこ行くの?まだ暗くて危ないからタクシー呼ぶよ!」

とタクシーを呼んでくれました。優しかった、、Gracias連発してた。
そしてタクシーに乗ったものの、私は中々危険なことをしてしまいました。

助手席に乗ったのです。
今思えば日本のタクシーでも助手席に座る事って中々ないのに、何故か座ってしまったんです。運転手のおじさんも「え?」みたいな顔を確かにしてた。

この話を友達にしたら、
「危ないからダメだよ!逃げれるように後ろに乗らなきゃ!」と言われ、そこで初めて気づくという。

※調べてみたら、都市部では後部座席に乗る事が多いそう。

そのおじさんは親切だったので良かったのですが、完全に平和ボケしてるな…と思い知った出来事でした。

こうしてなんとかPuerta de Atocha駅に到着。AVEは綺麗で、モアナと伝説の海が流れてました。

約2時間半でセビリアに到達。
駅ではホストファザーが出迎えてくれました。

ハグとキスで挨拶された時は、本当に海外に来たんだ!と思いました。

1人でスペインまで行ったことで、怖いもの知らずというか、どこにでも行けるもんだなと自信になりました。

次回はセビリアでの生活を書きます。
長くなってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました◡̈

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?