見出し画像

僕の理学療法士像の言語化を試みたnote。

理学療法士(りがくりょうほうし)は、病気や怪我などによって運動機能が低下した人々に対して、運動療法や物理療法を用いてリハビリテーションを行う専門職のことです。
理学療法士は、病院、クリニック、リハビリテーション施設、介護施設などで働くことが多く、医師や看護師など他の医療専門職と連携して患者の治療を行います。

ChatGPT-4oより

だそうです。

「理学療法士って何?」と聞かれた時に、正直いつも返答に困っていたのですが、最近はAIが教えてくれるようになりました。よい時代になったものです。
理学療法士は、主に運動機能の面に特化したリハビリを行う人。
ざっくり省略するならそういう感じでしょうか。
ただ、こういう言葉を並べられても、結局リハビリって何すんの?筋トレとかストレッチとかすんの?と、フワフワしたイメージになる方が大多数だと思います。

僕は、理学療法士として働き始めてかれこれ12年ほどになりました。
整形外科のクリニックで9年、訪問リハビリ界隈で3年?4年?ぐらい。
それなりに長らく働いてきた中で、僕が思う理学療法士像というものが固まってきたので、言葉にして残しておこうと筆を取っています。

理学療法士は、評価する仕事である。

理学療法における「評価」とは、患者の身体機能や運動能力、痛みの程度、日常生活動作の遂行能力などを評価し、最適な治療プランを立てるためのプロセスを指します。

ChatGPT-4oより

リハビリをする仕事、と言われると、一般に想像されるのは筋トレ・ストレッチ・なんか脚を持ち上げて曲げている姿じゃないかと思います。

こういうやつ。

こういうことをすることも、もちろん無くは無いですが、本筋は間違いなく評価の部分です。評価が出来さえすれば治療はできなくてもいい、と言っても過言ではないぐらい。

評価とは、平たく言えば『何が悪いのか調べること』です。
調べるための手札をどれだけ持てるのか、
また調べ方がどれだけ正確で、どれだけ再現性があるか、が理学療法士の本分だと思っています。

例えば。いわゆる腰痛があります。
「レントゲン撮ったけど何も無いって言われて湿布だけ出された」なんて話は(悲しいかな)よく聞きますね。
レントゲンやMRIなどの検査を行っても原因が特定できない腰痛として、『非特異性腰痛』という言葉があります。かつては、全腰痛患者の8割強がこれに属すると言われていました(最近では、おそらく超音波などの検査機器の進歩によって、2割強まで減ってきたというデータもあるそうです)。
ともかく、こういう画像所見ではっきりわからない分野。理学療法士の得意分野です。

理学療法士は、画像所見ももちろん見るのですが、
ひたすら話を聞き、
止まっている姿勢を見て、
動いている動作を見て、
関節を動かした際の感触を捉えて、
筋肉が動く様子を確認して、
五感を使い、問題点を推測して、治療して、推測して、治療して、推測して…
ができる能力を持っています。
画像所見だけの状況よりも、だいぶ情報量が増やせるわけです。

幼少期の足首の捻挫が巡り巡って腰痛に繋がっていることもあれば、過去の一見無関係な病気やら、仕事上の負担やら、家庭環境やら、身体に不調を及ぼす要因は多岐にわたります。
これらを五感をフルに使って、なるべく根本に近い原因を突き止めるところまでを含めて"評価"です。
僕の体感では、初回の患者さんに対しては評価8割・治療1割・日常生活指導1割ぐらいの時間配分です。評価があいまいな状態で見切り発車で治療しても、意味が無いですからね。

評価できてしまえば、治療はかなりシンプル。
一般にイメージされる、筋トレ・ストレッチなどはここに含まれてきます。
一口に筋トレと言っても、何を・どの方向に・どのような速度で・何回動かすのか、などなど、目的に応じた微調整が必要です。
こういった調整ができるのも、評価できているからこそ。理学療法士の本領かもしれません。

理学療法士は、根本的な治療を目指せる。

理学療法士だから、というよりも、
医療・介護の領域だから、という部分が大きいでしょうか。
いわゆる自費診療領域では、セラピスト側・患者側双方にとって金銭面の問題が絡んできます。極論、「やってもらった後はいいけどすぐ戻っちゃう」状態で通わせ続けた方が、収益的には良いわけです。そんなセラピストはいないと信じたいですが……。
理学療法士の活動する場はだいたい保険診療なので、患者側にとっては金銭的負担が軽く、セラピスト側には保険界隈からの監視の目がある程度入るので、惰性で通わせ続けることはしづらい構造になっています。しづらい、止まりなのが悩ましいところ。
ともあれ、前述の評価と相まって、場当たり的な対処よりも、より根本的な問題の追求と解消を目標にしやすいのはメリットだと思います。

理学療法士は、最終的に人生に踏み込まねばならない(ことが多い)。

根本治療を目指すべく、あれやこれやの問題を掘り下げていると、いろんな壁にぶち当たります。

例えば、ぜんぜん自主トレやってくれない患者さん。
「このトレーニングだけやってくれれば良くなって卒業できるのに、なんで何もしないでずるずる来るんだ!」というやつ。
極力やりやすいように、トレーニング自体をシンプルに、どこでもいつでも出来るようなものを設定しても、やらない方は少なくありません。

若かりし頃は、そういう方の思考が全くわからなかったのですが、今ならわかります。
『自分のケアに時間を割くような余裕がない生活』があることを、今の僕は知っている。
それは、育児かもしれない。介護かもしれない。仕事。持病。家族関係。住環境。隣人トラブル。などなど。
自分に集中できない案件なんて、世の中にはいくらでも転がっています。

さて、そうなってくると、リハビリの効果を出すためには、『なぜ自分のケアを行えないのか』の問題まで踏み込んで解決しなければなりません。
それはつまり、相手の人生に踏み込むことでもあり、そこまで踏み込むってことは相応の責任を負わなければならない、ということでもあります。

出来るのか、そんなこと。
というのが、ここ最近の僕の葛藤。
いわゆるゴッドハンド的な能力を身に着けて、おりゃー!って根本まで治せたら不要な葛藤なのかもしれませんが、個人的には好みじゃない。
『先生』の立ち位置よりは、『伴走者』としての立ち位置を目指したいな、と思っている今日このごろです。


他にも思うことはいろいろあるのですが、ひとまずこの辺りで。

近々、別アカウントで理学療法士的な内容のnoteメンバーシップをやろうかと思っています。
ここまで読んでいただいた方は、僕か理学療法士かに興味を持ってくださっている方だと信じておりますので、ご興味ある方はよろしくお願いします。
開設したら、このnote内にも記載しますね。

ではでは。


※令和6年8月2日  追記

テキストや音声などで健康相談できるメンバーシップを始めました!
テキストのみプランは初月無料となっております。
よろしくね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?