2-16. 冷たい水
深い水に、落ちる。
どぼんという音を最後に周りの空気は遮断され、青黒い深淵にそのままどこまでも沈んでゆく。体のまわりにまとわりついていた泡だけがしずかに水面へと上って行く。
自分の人生に絶望した時、私は深い水の中に沈む自分を想像する。もがき苦しみながら、気管に入る水にむせながら、私は何を思うのだろう? 叶わなかった夢、愛してくれなかった人、失った若さ。そんなことを後悔するのだろうか? それとも、すべてを手放し、諦念とともに死を受け入れるのだろうか?
私は泳ぎが得意な方ではない。立てない深さの水の中では、一時間もしないうちに溺れてしまうだろう。苦しくてたまらない時、私の中にいつも湧き上がってくるのは息のできない恐怖と耳を圧迫する水圧のイメージだった。覆い被さる波、まとわりつくうねり、冷たく、暗く、重い、水。
「僕にはもう、成人した子供がいるんだ。人生のステージで、子育てはもう終わっていて、それをもう一度やりたいとは思わない。君の年で子供が欲しいと言うのはもちろんわかる。でもその相手は、僕じゃない」
あの日、ジョージの真剣な眼差しに、私の方から怖くなって話を切り上げた。コカトゥアイランドでの、せっかくの楽しい時間と美しい天気を、悲しいものにしたくはなかった。
そのあとも私たちは何事もなく過ごしていた。ジョージの方から再びその話を持ち出すことはなかった。おそらく、その話を持ち出すのであれば私の方からなのだろうということは、何となくわかった。それはそれでずるい、と私は思っていた。けれどそれを質す勇気もなく、彼との関係を続けている自分もずるいのかもしれなかった。
自分がこれからどうすべきか、理性ではわかりすぎるほどわかっていた。
——ここにずっといるべきじゃない。出て行かなくちゃ。
見ている将来が異なる相手に対して自分の時間や気持ちを費やすのは、人生の無駄とまでは言わないまでも、ワーキングホリデーという限られた期間で進んでやるべきことではない。どんなに心地よくとも、波間にいつまでもたゆたってはいられない。どこかで諦めて陸に上がらなくてはいけないのだ。
——どこか別の街に行こう。
それはもともと考えていたことではあった。そもそもビザの規定上、同じ職場で半年以上働くことはできない。10月からは別の職場に移る必要があったし、残り期間が少なければ少ないほど職を見つけるのに影響する心配もあった。
——仕方がない。そもそも好きになるべき人じゃなかったんだ。
ここまで深い関係になる前に、どこかで線を引くべきだったのだろう。けれどどこで?
キスされた瞬間、ホステルを追い出されたとき、それともベッドに連れて行かれる前に? 思い返してみても、その時そんな話を持ち出せたとは思えなかった。
そして何よりも、私は自分が何がしたいのかもわかってはいなかった。
「子供が欲しい」と思ったことはなかった。人間の子供は特に可愛いとも思えなかったし(正直に言って犬やウォンバットの方がよほど愛らしく思えた)、レストランや飛行機で泣きわめく赤ん坊には辟易した。幼児にはどう接していいかわからなかったし、その素直さや直截さや程度を知らない暴力がむしろ怖かった。
だから、「子供が欲しいから結婚する」「子供を持つにふさわしい人を伴侶として選ぶ」という考え方は私には全く理解できないものだった。
その一方で、「誰かを好きになって、その人と子供をもうける」という生き方は私には理にかなっているように思えた。私は誰かを好きになりたかった。誰かに好きになってもらいたかった。将来の約束も社会的地位も打算もなしで、ただ単に、人として。
だからジョージにキスされた時、拒まなかったのだ。それは自然なことのように思えた。その流れに身を任せてしまいたいと思った。ジョージが私を包んでくれたものは、私がそれまでに経験したことのない優しさと、癒しと、気遣いと実直さだった。
でも今は、その流れから起き上がり、陸に上って身体をタオルで拭いて、新たな場所へ歩いて行くタイミングのように思えた。
——私はまだ、どこへだって行ける。なんだってできる。これはこれでいい思い出として、次に行くべき時なんだ。
メルボルンかな、という考えが頭をよぎった。
Photo by Jong Marshes on Unsplash
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