病気って嫌だなと何度目かに思ったこと
ケアマネージャーとして有料の老人ホームに勤務していた時も何度か思ったことであるが、
今お世話している支援者として関わっている私たちが見ている高齢者はこれが全てではない、もっと元気で若い頃は違う人生を送っていたということ、むしろ頑張っていた時間の方が長いのに… .
一人ひとりの生活者が個人個人で慎ましく積み上げた豊かな生活というものがあるのに、支援者として会う時はどうしても病気や障害がある状態を見てしまう。
医療でも障害でも業界的にはインテークと呼ばれる最初の聞き取りがあり、本人が積み上げた価値観を知る機会はある。また支援をしていく中で見えてくるその方の人生と言うものもある。
そんなものに出会うたびに、今目の前で何かで困っていて思い通りに心身がならない現状に対して、この人がこんなはずじゃなかった、そんな声が聞こえるようだった。
だから、少しシリアスな話ができる。同僚とは長生きしたいけど、長生きしていいのかな?というのが心の中の課題だった。
そこには自分で責任が取れなくなる。希望通りの生活が送れなくなる。誰かに頼らないと生きていけない未来が先々にあることを知っているが故の自信の喪失にも似た気持ちなのかもしれない。
先日話した方も昔は営業マンで頑張っており、入札の時にも絶対に負けないと根回しをし、入札が取れたときの嬉しかった気持ちを話していた。まさに日々努力し、成果が実り良かったと思える瞬間が、人生の中で何回もあった輝いてた時代の話だ。
私は今困っている目の前の人をほっとけない側の立場にある。そしてその困り感を解決と言うよりも少し軽くする立場にある。
でも、頑張っていた頃、少し元気だった頃の話を聞くと、いつも気持ちが止まって、この人の人生はこれだけじゃないんだ、もっと大事にしなきゃ、そんな気持ちになると同時に自分自身と照らし合わせて、いつか自分もこんなふうに切ない気持ちの中で誰かに支援をしてもらわなければいけない未来を考える。
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