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父のことがきらいかもしれない

自分の感情を不確実に表現するのはあまりすきではない。
でも、少なからず以前はすきだと自覚していたものがそうでなくなったとき、あいまいにしたくなった。
過去の自分のことを否定するみたいだからだと思う。

小学生のころは、若くて健康的な父を自慢に思っていた。
父の友人たちとバーベキューをしたり海に行ったり、たくさんの経験をさせてもらった。
高校では部活の荷物運びを車でしてくれたし、社会人になってからも雨の日に送り迎えをしてくれる。
良い父親だと思っていた。
学生時代、尊敬する人はと聞かれたら母と父と答えたいと思っていたくらいだ。

父に不信感を持ち始めたのはいつか、明確に変わったきっかけは覚えていない。
いくつか思い出せるエピソードのうち、一番古いのは小学生の頃だったと思う。
某遊園地にいったときのこと。近くに販売所があった関係で、道端には馬券が散らばっていた。
しかし当時の自分は、捨ててあるそれが負け馬券を意味するということまではわからなかった。
自分の誕生日と同じ数字列を見て、意気揚々と報告すると、父は一気に機嫌が悪くなった。
家族の誕生日連番で買った馬券の結果を、帰宅後に確認するのを楽しみにしていたからのようだ。
どのレースかもわからない。そもそも父がその日その番号を買っていたことさえ知らなかった自分に、非があったとは正直思えない。
それでも、帰りの電車でずっと仏頂面で無言だった父のことは、数十年経った今でも印象深く残っている。

生真面目で頑固な父が、世間的に扱いにくい人なのだろうと思うようになったのは、自分の世界が広がったからだと思う。
情報源はおもにツイッターだ。
この時点である程度かたよった意見であることは承知しているけれど、それでも知らなかったころには戻れない。
モラハラとか昭和的思想とか、家族の在り方とか。

父方の祖父はいかにも昭和の父親だった。祖父母宅に行ったとき、彼がトイレ以外で立ち上がったのを見たことがなく、祖母はいつだって台所に居た。母もともに掘りごたつに入ることは少なかった。
(*祖母と母もそれなりに確執があったがここでは割愛)
そういう祖父に育てられたから、考えが古臭いという自覚があると父はたまに語っていた。自覚があるだけマシなのだろうと思っていたが、無自覚な部分もあったらしい。

先日、父と喧嘩した。原因は甥、つまり父にとっての孫にあたる子への対応についてだ。
父と母は現在、双子乳児と小3男児、およびそのシンママである妹のサポートをしている。父は保育園までの送迎車を出し、夕飯から風呂、寝かしつけまで母が手伝いに行く日々だ。
小3甥は個人的にはADHDの傾向があると思っているが、診断等は受けていない。その子に対し、先日父が思い切り怒鳴りつけるのを聞いてしまった。
端から聞いていても大の大人がビビるくらいの怒鳴り方だった。
寝るために寝室に移動するのが遅いとか、そういう理由だった。
あまりにもあんまりだと思い、無意味な怒鳴りつけは暴力と変わらない、というようなことを話した。ほとんど聞いてもらえなかった。
とにかく動きを止めてもらうにはこうするしかない、みたいな言い訳だった。

ドン引きした。

もろもろ怖くて最後に泣いてしまったら、さすがに分が悪いと思ったらしく、気を付ける、ごめん、と言われ、その話は終了。
その後、妹や母に愚痴っぽく報告を入れたらしいと聞いた。

再びドン引きした。

専門家ではないし、そもそも子供が苦手な自分が甥にできることはあまりにも少ないが、それでも父を止めることくらいは、と思って話してみたのに、無駄だったようだ。
目の前で同じことが繰り返されれば止めるけれど、それ以上どうしたらいいのかはわからない。
妹も怒鳴り癖があるのでやめてほしいが、直接顔を合わせることが少ないのと、独身に何を言われても響かないだろうと思って何も言えないでいる。
唯一母にはいろいろ伝えているが、正直自分の手には余る。
繰り返すけれど自分は専門家でもないし、子供が苦手で代わりに育児をするなんて責任をとるつもりはないので。

父との喧嘩から数日経っている。
何気ない会話はするが、どうにももやもやは消えない。
気持ち悪いというか、気味が悪いというか。

明日の朝、雨が降っていたら、父はまた車を出すと言ってくるだろうか。

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