移動時間

生まれてから、死ぬまで移動に何時間費やしてきたんだろ。
調べてみると、パッと見た感じ時間は分からなかったけど、
「嫌い」「無駄」「生産性が低い」などめちゃくちゃ鼻摘み扱いされている。

ここから、移動時間が好きって話を書こうと思ったのにさっそく出鼻を挫かれた。

小さい頃の移動は大半が親の車だった。どこに行くにも車で、いつも後部座席で転がり続けたり、車の独特のカバーの匂いと自分ん家の匂いと芳香剤が混ざり合って余計に吐きそうになったり、結局吐いたり、足でライトをつけては消して遊んでたら何千回も怒られたり、立体駐車場の無機質な骨組み丸出し天井を何万回も見つめた。
それでも、たまに乗る助手席は前がよく見えて気分爽快だったし、車の中でかかるFMラジオもカセットもCDを聞き自分が選んだわけでもないのに昔のセンスのいい曲を覚え鼻高々な気持ちだった。

小学生の頃はバス通学と徒歩通学だったけど、そのどっちも楽しかった。バス通学の時は、ほぼ始発から乗るので席にも絶対座れるし、運転手さんとも仲良くなってよく話すようになったし、なにより一桁の歳にしてはバスは長旅みたいに感じていつもドキドキしてた。
徒歩の時は、一番近いルートから別ルートで帰るのが流行る時期があり、みんなと住宅街を探索して、道が分からなくなるギリギリに挑戦したりした。ただ、一人でそれをやった日には確実に迷子になり阿鼻叫喚の末、住宅街を走り抜けて逆方向に出てしまい、20分で着く道に2時間かかることもザラにあった。

中高生になると、移動はほぼ自転車だけになる。片道1時間までならとりあえず自転車で行ってみる。バスや電車の本数が少なかったり、降りたところからも目的地まで遠いので結局自転車で行く。今思えばとりあえず元気があった。もはや、「俺は自転車でどこでも行ける!」という元気を鼻に掛けていた節まである。そんな中たまに、実家の車に乗るとよく聞くCDがGO!GO!7188や絢香から東方神起になり、最終的に関ジャニ∞へとかわり母親の流行の変遷が知れて、それはそれで面白かった。

上京して、ついに電車移動デビュー。ずっと憧れてきたのが、電車移動を有意義に使える人になること。だから、いつも文庫本を鞄に忍ばせている。鼻息荒く座ってすぐ読むものの、眠くなってすぐ閉じたり、目的地を調べる名目だったり、これから会う人へのLINEの返信でほとんどスマホを触ったりしてしまう。それでも、そのどちらでもない何となくボッーと外を眺めたり、天気のいい日のポカポカ陽気を浴びてるだけの時間も好き。何より、座ってるだけで移動してることが凄い。電車に座ってるだけで、移動という動作をしている状態なのでボッーとしてても罪悪感がない。家の中でボッーとしてるときの時間を無駄にした感がめっちゃ減る。

何が言いたいかと言うと、総じて移動時間は移動という動作をしてるので、考え事をしても、ボッーと風景を眺めても、何にもしてない訳じゃないから心地よくいられるのだ。

みなさんもぜひそう思って、移動時間を鼻摘み扱いしないでください。

(※注 花粉の飛び散る時期だけは鼻水が止まらないので、移動中に対して鼻を摘ませていただきます。)





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