裏切りの男アントニオ猪木②舌出し失神事件編

 1981年、新日本プロレスはあるプロジェクトに動き出した。
IWGP構想―。
これは世界のレスラーを集め、ブロックに分け予選トーナメントを行なって最強を決めるもので、優勝戦はニューヨークMSGで行なう計画も発表された。
団体創立以来、ジョニー・パワーズから奪取し、幾多の名勝負を繰り広げてきたNWFのベルトを封印し、新日本自身のブランドとして初めてのベルトでもあった。
それに対して一人のレスラーが新日本に参戦を表明する。
アブドーラ・ザ・ブッチャーである。
黒い呪術師といわれたライバル団体・全日本プロレスの看板外国人レスラーが突如新日マットに足を踏み入れた。
乱入した川崎の会場には熱狂の渦が巻き起こった。
これを受け、全日本・ジャイアント馬場は「この世界にはルールがある」と激怒。対抗してタイガージェットシン、スタンハンセンらを引き抜き、両団体の『引き抜き合戦』が起こる事態となった。
このように猪木は業界の掟を破ってまでこのIWGPに力を入れていた。
あまりに壮大なプロジェクトのため、開催に至ったのは1983年で、世界中をサーキットとはいかず、日本国内での開催となったが、全国、津々浦々どの地方でも満員フルハウスとなる記録に残るシリーズで大きな話題を呼び、世間の注目を集めたIWGP。
猪木の力を満天下に見せつける絶好の機会だった。

 そして迎えた優勝決定戦。
1983年6月2日蔵前国技館。
順当に勝ち上がった猪木はハルク・ホーガンと相対した。
翌84年から始まるWWF全米侵略の立役者となる上り調子のホーガンが相手だったが、観客の誰しもが猪木の勝ちを疑わなかった。

しかし、結果は猪木の敗北。それも場外でホーガンの必殺アックスボンバーを喰らい立ち上がることが出来ずにリングアウト負け。目を閉じ、舌を出し、全く身動きの取れない凄惨な状況。
まさかの“ハプニング”により試合直後から各メディアが報道する事態となった。
また、この試合は多くの不可解な点が残されており、今なお語られる試合である。

そしてこの試合を巡ってひとつの説がある。
猪木自作自演説―。
ハプニングと見られたこの失神は猪木がわざとやったとする説。
では、なぜ猪木はそんなことをしたのだろうか。

 「プロレスに市民権を」「プロレスを社会面に載せる」
これが猪木がプロレスをやるモチベーション、目標であった。
力道山時代からプロレスは八百長やショーなどと揶揄され続けてきた。新聞やテレビでも他のスポーツのように扱われず、一部のスポーツ紙に取り上げられるだけだった。
だから猪木は10年もつ選手生命が1年で燃え尽きてしまうようなファイトを続け、
金曜8時のゴールデンタイムで視聴率20%を超えるまでの人気を集め、プロレスの凄さ、魅力を伝えてきた。
そして新設のタイトルを勝ち取ることで猪木人気に拍車をかけることが出来ただろう。
しかし、それでは従来のプロレスの枠組みから抜け出せない、これまで通り一部のスポーツ紙で扱われるだけだ。

それで猪木は確信犯的に“失神”したのだ。
この衝撃は大きく、報道番組をはじめ各メディアが報じ、一般紙の社会面でも取り上げれた。
猪木の勝利を信じていたのは観客だけでなく団体内でも同じだった。
新日本ナンバー2の坂口征二は柔道世界王者の肩書きを持ちつつ、猪木をエースとして神輿を担いできた中での裏切りに
翌日、「人間不信」と書かれた辞表を提出した。
敵を騙すならまずは味方からと、猪木は集大成の舞台でそれをやってのけた。

 そして、猪木が舌を出したことに大きな意味がある。
通常、人が気を失ったら舌は奥に引っ込むものだろう。
しかし猪木はわざと舌を出した。
それはプロレスをバカにする者たちをプロレスに目を向けさせ、プロレスの凄さ、迫力を見せつけて「ざまぁみろ」という猪木の反骨心の表れである。
あれは世間に対する猪木の“アッカンベー”なのだ。
この試合は世間だけでなく観客、レスラー、全ての者を裏切って、猪木が世間に勝った最高のベストバウトである。

予定調和を嫌い、裏切りによってプロレスの魅力を伝えてきた猪木。その大胆な行動に多くの人は釘付けとなった。
そのカリスマ性によって日本プロレスは大きく発展した。

ありがとう、アントニオ猪木。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?