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ぐんぐん芽吹く夏の若葉のように

昨年の夏ぶりに強い日差しを浴びて、肌を汗が伝うような日曜日だった。スプリングコートをやっとクリーニングに出しに行ったら少し並んでいて、じりじり太陽に焼かれただけなのだが、それでもたっぷり太陽の下で遊んだ時の気怠さが夜になってやってきた。

毎週なにか更新しよう、と思っているこのnoteも、平日の負荷がかかりすぎるとなかなか手が回らず、例にもれずこの3週間も新規提案とイベント本番が重なって生活が回らない日々だった。転職活動も一旦ストップさせたものの、夜遅くまで仕事して朝起きられない、という社会人としてダメダメなループにはまってしまい、生活を立て直さねば…という気持ちだけが膨らんでいる。

やっと山場を越えて、土曜日はだらだらしつつ転職活動の勢いをブーストかけないと、と思っていながらスマホゲーム(エラーちゃんの作者がゲームデザインを担当していたのだ!)をしていたら、突然LINEがなった。メッセージではなく、着信の方で。
久しぶりに聞く、高校の友人の声だった。
なんだか、いまのシェアハウスに引っ越してきてからぽっかりと空いた土日に急に友達から連絡が来て、その場で「今から会おうよ」みたいになることが増えた。一部の友人の間ではフットワークが軽い、と言われているらしいが、それは多分あなたとの相性がいいんでしょうね、と思う。

「どしたの?元気~?」久しぶりの友達から急に電話がかかってきたとき、なんとなく「つい一昨日も連絡したよね」みたいなテンションを装ってしまう。それは急に連絡するドキドキさを緩和してあげたいというわたしの気弱な一面と、久しぶりだからといってめちゃくちゃテンションが上がるわけでもなく、でも共有してきた時間の延長線にいまいるよな、と思っているからだと思う。
「なんか~、もうメンタルが下がってて~」久しぶりに聞いた友人の声は、久しぶりに聞いた『本当にダメな時の声』だったように思った。高校時代、私は受験で自分自身を追い込みすぎてメンタルがやられていたが、彼女は彼女で人知れずメンタル不調になっていたのを思い出す。
反射的に「傍にいた方がいいかも」と思って、「2時間くらい待ってもらうことになっちゃうけど、18時半からなら会えるよ。シーシャでも行く?」といった。

水道橋で待ち合わせをして、「いま鶏肉ブームなの」という友人のリクエストを受けてから揚げを出す店に行って腹ごしらえをした。
彼女は元来愚痴っぽい人ではないし、「私がわるいのかも」と考える性質なのだと思う。あまり人を悪く言うことはないけれど、彼女の性格とあまりマッチしていない校風の大学に通っていたころも、彼女とあまり親和性が高くなさそうな今の会社に入ってからも、腹の中にいつもドロドロとしたものを抱えているように見えた。
わたしはそれをガンガン言語化してしまうタイプなのだが、彼女はいつも困ったように眉を下げていた。
でもその彼女が、毎日ストレスで吐いているのだという。おかしな人におかしなことを言われて、受け流しつつ澱が溜まっているようだった。わたしは、彼女にそんな思いをさせている奴らに心底腹が立ったし、彼女に自分を責めないでほしかった。

悲しいかな、古今東西を問わず仕事の不満というものは盛り上がるものだ。
定期的に彼女から「会おうよ」といわれて会うたびに、話題に事欠いてなんとなく手持ち無沙汰になってしまっていた。いつ切り上げようかな、となんとなく思ってしまうのだ。
でも今回は、から揚げ屋を出て、シーシャをオーダーし、シーシャの煙が薄くなりシーシャ屋のお姉さんから「すみませんラストオーダーです」と言われるまでしゃべり倒していた。
何年かぶりに、歯車がかみ合った気がした。

わたしたちは中高一貫校の友人で、なんだかんだ10年以上の付き合いである。高校の時は熱を上げていたバンドの話できゃあきゃあしていたが、大学に入るとそれぞれの価値観や周囲の人間も様変わりして、何となく共通の話題がなくなっていた。「私たちの関係も潮時なのかな…」と思ったりしたこともあった。
ぐんぐん伸びる若葉のように、会うたびにみんな少しずつ変わっている。変化の過程で会話がかみ合わなくなることもある。でも、確実にわたしたちの根っこには、かつて共有した、あの時期があるのだ。
きっとこの先、結婚する・しない、子どもがいる・いない、どこに住むのか、何をしているのか、みたいなことで重ならなくなることもあるだろう。でもいつか、また、横に並んでおしゃべり出来るときはめぐってくんだな、と思った。

ちなみに、「わたしは『普通ではないのかも』」という話をしたら、「それは反抗期が終わったってことじゃない?おめでとう!長い思春期だったね」と言われて笑ってしまった。

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