村田沙耶香「殺人出産」

村田沙耶香を読んだことがなかった。
読みたいな〜読みたいな〜と思いつつ、読んだことがない作家の本を定価で買うのにちょっと気が引けて躊躇していたのである。
けれども今日、割と急ぎめで駅に向かっていたら意外と巻きで到着したことに調子に乗って、立ち寄ったブックオフで村田沙耶香「殺人出産」を購入して、用事の道中で読んだ。

殺人出産には表題以外に3つの短編が入っている。
10人産んだら1人殺して良い世界の物語と、3人1組の恋愛関係がスタンダードになった世界の物語と、夫婦関係にセックスを持ち込みたくないが子を持ちたい夫婦の物語、そして死期を自ら決められる世界の物語。
どれも、現代を生きる私達からすると遠い未来の話のようにも、パラレルワールドの話のようにも思える設定だった。それは時としてわたしをおぞましい気持ちにさせながら、その世界の住人は当たり前のような顔をして生活を繰り広げている。

これは、スペキュラティブデザインなんだな、と思った。
思えば、スペキュラティブデザイン関連の本を読んだときに参考書籍として村田沙耶香があがっていたことから村田沙耶香に興味を持ったのではなかったか。
スペキュラティブデザインとは、平たく言うと問を立てるアート、だとわたしは解釈している。
たとえば、長谷川愛というアーティストの「(Im)possible baby」という作品では、同性愛者カップルの遺伝子から娘が生まれたら…という問がたてられる。作品やドキュメンタリーを通して問われるのは「この二人からはどんな子供が生まれるか」ということだけではなく、「技術上ではできる可能性が高い同性愛者カップルの子供がわたしの目の前に存在したら、わたしは彼女たちのことをどのように受け入れるのか」「もしも同性愛者カップルが子供を持てるようになったらどのような議論が起きるのか」など、「ある可能性」を主軸においた、議論のトリガーとなるのがスペキュラティブデザインだと思う。多分。

私は、このスペキュラティブデザインというアート分野が好きだ。新しい世界について目を向けるきっかけをくれて面白いから。いま、どれだけネガティブな意見が吹き荒れて、技術的に可能でもルールが、世の中が、許してくれなさそうに見えても、人間は少しずつ変化に順応していくものだとも思える。

それを文庫本に閉じ込めたのが村田沙耶香なんだなと思った。こういう事ができるから小説というのは面白い。もったいないから少しずつ読もうかな…。

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