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初心者必聴!洋楽名盤10選 80年代編

みなさんこんにちわ。

今日も今日とて洋楽名盤普及委員会をやっていこうと思います。今回はデジタルシンセイザーの登場とMTVの放映開始を機に、デジタルとの迎合がはかられた80年代です。近年ヴェイパーウェイブムーブメントの隆盛で再評価がなされるようになった時代であり、メジャーとインディーとの間で生じた摩擦がオルタナティブロックという概念を生んだ時代でもある。そしてロックと並ぶ大衆音楽が生んだ発明、ヒップホップもこの時代から本格的に頭角を現す。

1.Michael Jackson 「Thriller」

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ポピュラーミュージック史上最大の革命

本当に説明不要の存在。死後10年近くたった今でも音楽面のみならず、あらゆるカルチャーに影響を与えたスーパースター、マイケルジャクソン。そして地球で最も売れたアルバムであり、2012年時点で6500万枚のセールスを記録した不滅の金字塔こそ今作「Thriller」である。

ところでマイケルジャクソンの最高傑作という話になると、これがまぁ結構揉めることがある。特にクインシージョーンズ人脈をフル活用し、若干21歳にしてブラックミュージック界における若きリーダーとしての地位を築きあげた前作「Off The Wall」こそ最高傑作だという意見は絶えない。他にも楽曲のバラエティ性や社会的なメッセージが込められるようになった「Bad」、テディライリーを迎えエッジの利いたニュージャックスウィングを取り入れた「Dangerous」など色々な意見が挙がるだろう。

だが最高傑作という意味では、やはり自分は「Thriller」を挙げたい。なぜならこのアルバムはマイケルジャクソンがブラックミュージックを飛び越え、ポピュラーミュージックの頂点への挑戦であり、そして見事その座を掴み取った証であるからだ。

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引き続きクインシージョーンズがプロデューサーで起用され、前作で築き上げたマイケル流ブラックミュージックの基礎的なフォーマットは残され、そのうえで白人音楽的要素の強いポップミュージックを導入した。またシンセイザーによる過度の装飾といったものも無く、程よくマットな質感である。ここら辺の聴きやすさに対する配慮がナチュラルにできているあたりも、「Thriller」が万人受けした要素なのかもしれない。

このスリラーサウンドを支えたのが、70年代末から80年代のシティソウルシーンを支えた面々で結成されたTOTOである。TOTOは同年「TOTO IV」という傑作アルバムをリリースし、マイケルの「Thriller」と熾烈なチャート争いを繰り広げることになる。その他にこちらも同年「Tug Of War」という傑作をリリースし、スティービーワンダーとのデュエット曲が話題となったポールマッカートニー、70年代後半に彗星のごとく登場し、世界最強のギターヒーローの座をほしいままにしていたエディヴァンヘイレンらが参加した。いずれにしろ皆キャリアにおいて絶好調という状態であり、まさに最高のタイミングで最高の面々が集まって作られたのだ。

音楽面においてもこれだけ凄いのに、それ以上に視覚面でのさらなる影響を与えたのも凄まじい。「Thriller」のショートフィルム仕立てのMV、「Billie Jean」の感想で披露されるムーンウォークなど、音楽を聴くだけでは収まらない可能性をマイケルジャクソンは提示した。そしてMTVが黒人アーティストとしては初めてのMV放映として、「Billie Jean」を流したことことでマイケルジャクソンは遂に人種の壁をも突き破ったのである。

<ネクストステップ>
マイケルジャクソンは基本的にかなり聴きやすい部類のアーティストなのでどれを聴いても問題ないが、「Off The Wall」、「Bad」、「Dangerous」の3枚は特に必聴盤だと思ってもらって構わない。またこのセッションに参加したTOTOの「TOTO IV」も名曲揃いなのでおすすめ。


2.Talking Heads 「Remain in Light」

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冷静と情熱の間

ロキシーミュージック脱退後、新たな音楽表現の形を模索していたブライアンイーノは、デヴィッドボウイの作品のプロデュースなどをこなしながら、大量消費・大量生産される音楽シーンへの疑問を投げかけていた。それが最初に形となったのが78年発表の「AMBIENT 1 : Music For Airports」であり、ここで彼は環境に属する音楽、すなわちアンビエントミュージックを提唱したのだ。

イーノの次なる興味を示したのがニューヨークのアンダーグラウンドシーンだった。そこで彼と巡り合ったのが前年「Psycho Killer」で鮮烈なデビューを果たしたトーキングヘッズである。ニューウェイブ、パンクムーブメントの渦中に揺れるニューヨークのアンダーグラウンドシーンにおいて、どこか知性の漂うその風格と音楽性は異彩を放っていた。

このバンドのインテリ的な風格を漂わせていたのは、バンドのフロントマンである奇才デヴィッドバーンの存在によるところが大きい。周到な音楽理論に基づいたリズムとグルーヴの追求を求めたバーンと、ノンミュージシャンと謳われ非=音楽を追求したイーノが手を組んだことで、バンドの方向は全ての音楽の原始であるアフリカへと向かうことになる。

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「More Songs」、「Fear Of Music」と作品をリリースすることで、アフロビート、アフリカンファンクへの挑戦は進んでいった。このあふれ出る野心は1980年発表の今作「Remain in Light」において、アフリカ音楽の再発見という自らに課したスローガンを達成する形でついに結実することとなる。

このアルバムのレコーディング直前、バーンがスランプに陥ったことにより、それまでのバーン一人による曲作りから、ジャムセッション形式で一曲が練られることとなった。結果としてそれが楽曲に独特の張り詰めた緊張感をもたらし、アフリカ音楽特有のワンコード進行の構造と複雑なポリリズムによる力強さが演出された。

80年代という時代はアフリカとポピュラーミュージックの接近がはかられた時代だ。ピーターガブリエルやポールサイモンが自らの音楽に要素的に取り入れようとしたり、USA FOR AMERICAやBAND AIDといったチャリティ的な一面もあったりした。しかしトーキングヘッズの試みはそれらの動きとは違い、彼らはアフリカ音楽そのものをロック的解釈で実行したのである。ニューヨークという大都会が吹き込む冷たい風の中で、アフリカ音楽ととの徹底された同化を狙ったことが、冷静と情熱の間ともいえる唯一無二の作風となったのだ。

<ネクストステップ>
トーキングヘッズは「Fear Of Music」、「Speaking In Tongues」などのアルバムがおすすめ。またジョナサンデミ監督によるライブ映画「Stop Making Sense」はライブ映画の金字塔なのでぜひ見るべし。その他ピーターガブリエルの「So」、ポールサイモンの「Graceland」などの同時期のワールドミュージックを取り入れた作品も聴いてみよう。


3.The Police「Synchronicity」

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終わりの美学

ポピュラーミュージックの長い歴史において時々見られるのだが、とてつもない完成度を誇る作品を作った後、燃え尽きてしまったかのように終止符を打つバンドがよくいる。例えば日本で言うとゆらゆら帝国とフリッパーズギター、両者ともに「空洞です」と「ヘッド博士の世界塔」という邦楽史に残る金字塔をリリースした後に解散した。洋楽の世界においてもその手のバンドは多いが、その代表格ともいえるのがポリスなのは間違いないだろう。

ポリスは1976年に当時カーヴドエアというプログレッシブロックバンドのドラマーだったスチュアートコープランドが、元教師でアマチュアバンドでベース兼ボーカルをしていたスティングと共に結成したのが始まりだ。そこに元アニマルズでセッションギタリストとして数々の仕事をこなしていたアンディサマーズが加入し盤石の体制となる。

ニューウェイブ、パンクの流れを踏襲した上でレゲエの要素も足した独自の音楽性、元々が実力派のメンバーで固められたことによる確かな演奏技術、そして圧倒的なぐらい高い曲のクオリティが話題を呼び、2枚目のアルバム「Reggatta de Blanc」とシングル「Message in a Bottle」のメガヒットで世界的人気のバンドの仲間入りを果たす。いつしか彼らの斬新な音楽性は、このアルバムから文字られ「ホワイトレゲエ」と呼ばれるようになる。

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その後も「Don't Stand So Close To You」、「Every Little Thing She Does Is Magic」などのヒット曲を立て続けに発表するも、メンバー間の関係性は険悪なものになっていった。フロントマンとしてバンドを牽引したいスティングとバンドの創設者としての意地があるコープランドの仲は最悪なものとなり、いつバンドが崩壊してもおかしくない状態でリリースされたのが名盤「Synchronicity」なのだ。

バンドという利害関係だけで繋がった緊張感が楽曲にダイレクトに反映されており、一瞬の隙すら許さない高い完成度の楽曲たちが連なっている。アルバム前半は彼らが通貨してきた音楽的多様性が存分に発揮されており、ある意味収集のつかないカオスとも言うべきトリッキーな楽曲群が並ぶ。そしてアルバム後半になると数多くのヒットを残してきた彼らのポップス職人としての一面が光る。

その中でもクオリティが群を抜いているのが名曲「Every Breath You Take」だ。そのラブソングらしい佇まいとは程遠いストーカーをテーマにしたリリックという一筋縄でいかない展開を見せ、落ち着いた演奏はそんな管理社会を上手く表現している見事な職人技だ。3年後にニューアルバムの制作に入るも、バンドの関係は遂に限界を迎えあっけなく空中分解。結果としてこのアルバムが最後のアルバムとなり、皮肉にもポリスは完璧すぎる最後を迎えたのであった。

<ネクストステップ>
ポリスは実働期間が短かいことに加えてアルバムも5枚だけなので全キャリア抑えるのは比較的容易だと思われる。その中でもピックアップするとすれば「Reggata De Blanc」、「Ghost In The Machine」は個人的におすすめ。またボーカルのスティングはソロでも大成功を収めており、名曲「Englishman In New York」が収録された「...Nothing Like The Sun」を聴いてみるのもいいだろう。


4.U2 「The Joshua Tree」

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遥かなる未来の先

ロックという音楽が誕生して長い歴史があるが、80年代はロックにおいてメジャーとインディーズの分断が明確に起き始めた最初のフェーズに当たる。それまでシーンの主役を担ってきたであろう才能ある若者たちはポップスと迎合するか、インディーズでより深化を図ろうとしていった。U2はそんな分断の中でロックというツールでメジャーシーンで息を吐いていたバンドだ。

音楽大国のアメリカ、ロックの国イギリスでもなく、小さな島国アイルランドで結成されたのがU2だ。アイルランドという国は昔から隣国イギリスの影響から、プロテスタントとカトリックの宗教対立に揺れ動く国であり、彼らがデビューする8年前には血の日曜日事件が起きている。

このような宗教対立を巡る争いは彼らに大きな影響を与え、特にカトリックの父とプロテスタントの母の間に生まれたボーカルのボノのパーソナリティへと繋がることとなる。先述の血の日曜日事件やポーランドの連帯をテーマにしたメッセージ性の強い楽曲と、熱いライブパフォーマンスが話題となり3作目の「WAR(闘)」で初めての全英チャート一位を獲得することになる。

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チャリティーイベントへの参加などを通しよりワールドワイドな問題提起を意識するようになった彼らは、キング牧師に捧げられた楽曲「Pride」のヒットを機に、活動の舞台をアメリカへ移したことでよりルーツミュージックへの接近を図ることになる。

アメリカ南西部の砂漠地帯に生えるユッカの樹をタイトルにしたU2の5枚目のアルバムは、彼らの人気をワールドワイドなものにするだけでなく、80年代の音楽シーンを代表するバンドとしての地位を確立させた一枚となった。ブライアンイーノとダニエルラノワによる空間的なサウンドメイキングは、ジエッジの緻密なギターワークと共鳴し、誰もが一度は聴いたことあるU2サウンドの完成と同時に多くのフォロワーに影響を与えた。

そしてボノの巧みな比喩表現を用いた社会へのメッセージはより鋭利な攻撃力を放っており、宗教的世界観の色濃い名バラード「With Or Without You」、彼自身の経験に基づいた多種多様な人種が生きることが出来る約束の地への探求を描いた「Where The Streets Have No Name」などの名曲が連なっている。ルーツ音楽と自身のアイデンティティの追求を深めた彼らは、90年代に入るとダンスミュージックを取り入れ世界最強のライブバンドへと成長するのであった。

<ネクストステップ>
キャリア初期の傑作「WAR(闘)」、「The Unforgettable Fire」、90年代にデジタル技術を取り入れた「Acthung Baby」、原点回帰ともいえる00年代の「All That You Can't Leave Behind」といった傑作を聴くのがおすすめ。


5.Guns N' Roses 「Appetite For Destruction」

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あまりにも眩い煌めき

1970年代にロックの主流を担っていた音楽ジャンルと言えば、ハードロック、プログレッシブロック、グラムロックという認識は大方間違ってないだろう。これらの音楽ジャンルは80年代を迎えるとオールドウェイブと揶揄されるようになる。特にプログレに関して言えば、その難解な音楽性が災いしてか80年代になると完全に下火になり、ジェネシスやイエスといったバンドはポップ化することで適応した。グラムはパンク、ニューウェイブと相性が良かったせいか、その後のニューロマンティックのプロトタイプとして機能した。

一方この中でもオールドウェイブ感が強めだったハードロックは、レッドツェッペリンを中心としたイギリス主体のムーブメントから、70年代末のエアロスミスとヴァンヘイレンの登場によってマーケットの主軸は完全にアメリカに移りしぶとくも生きていた。特にヴァンヘイレンのブレイクによって、看板ギタリストによる超絶プレイと金切声の利いたシャウトが特徴のバンドスタイルは、ヘヴィメタルという一つのフォーマットとして受け入れられることになる。

ボンジョヴィやスキッドロウ、スラッシュメタルのメタリカ、欧州圏のデフレパードにAC/DC、ベテランのエアロスミスやホワイトスネイクと多くのバンドがヒットを放ち、MTVの猛プッシュによりアメリカでは巨大なマーケットが形成された。その中でも最も活況を呈したのがモトリークルー、クワイエットライオットなどのロサンゼルスのクラブから成りあがってきたLAメタルと呼ばれるバンド群である。そしてこのシーンから登場し、最も成功を収めたバンドがガンズアンドローゼズなのだ。

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ハリウッドローズ、LAガンズというバンドの元メンバーで結成されたこのバンドは、ロックンロールの神髄を持ち合わせたキャッチーな楽曲、酒と女とクスリというこれぞまさにロックンローラーといった風貌や振る舞いが、まさに世界のロックキッズの渇望していたロールモデルを体現したようなバンドだった。

1987年にリリースされた今作はそんな彼らのデビュー作で、全米ビルボード初登場は182位と意外と低く、ジャケットも人権団体からの抗議を受けて変更と最初からスキャンダラスなものだった。しかしMTVで「Welcome To The Jungle」が放映されると一気にスターダムへの道は開かれ、リリースされてから50週間後には1位を獲得。世界中でガンズ旋風が巻き起こり、キッズたちはアクセルローズとスラッシュを中心とした、程よいルーズさとシンプルイズベストなロックンロールに熱狂した。

ガンズとメタリカを筆頭としたヘヴィメタルシーンはその後も活況を呈し、多くの若者がギターを手に取るが、悲しいことに時の流れはあまりに早く残酷なものだった。ガンズが2作目「Use Your Illusion 」2部作をリリースした年に、ニルヴァーナを筆頭としたグランジ、オルタナティブロックが躍進。ガンズは時代に残された遺物として、カートコバーンから名指しで批判されるという事件は、時代の移り変わりを象徴するあまりにも残酷な出来事だった。

<ネクストステップ>
ガンズはこのアルバムの4年後にリリースされた「Use Your Illusion 」2部作を聴くのがおすすめだ。また同時期に活躍したヘヴィメタル、ハードロックの名盤としてメタリカの「Metallica」、エアロスミスの「Parmanent Vacation」、デフレパードの「Hysteria」などを聴いてみるのもおすすめ。


6.N.W.A. 「Straight Outta Compton」

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ヤバい奴らによるヤバい音楽

今ではロックを追いやってポップスと並んでメインストリームの主軸を担うヒップホップであるが、その歴史は70年代まで遡ることになる。ヒップホップとは音楽ジャンルそのものではなく、ニューヨークでも屈指に治安の悪い地域ブロンクスで行われていたパーティから派生したラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJプレイの四大要素によって構成されたサブカルチャーそのものを指す。

ニューヨークで誕生したこの新たなムーブメント、特にラップというアフリカングリオをルーツとした新たな表現スタイルは一躍脚光を浴び、80年代前後にシュガーヒルギャングの「Rapper's Delight」のヒットや、白人のバンドのブロンディが「Rapture」で取り入れたことで話題を集める。日本でもいとうせいこうや佐野元春、吉幾三といった面々が80年代中盤という比較的早い段階でラップを取り入れている。

80年代中盤になるとRun D.M.C.がエアロスミスとのコラボで大ヒットを記録したことで、ファッションも含めたヒップホップの土台が形成され、ここからゴールデンエイジヒップホップと呼ばれる時代が幕を開ける。ジャズなどの音楽性を取り入れたエリックB&ラキム、ニュースクールとして台頭したデ・ラ・ソウル、、無機質なトラックと過激な政治的歌詞で頭角を現したパブリックエネミーと東河岸を中心にヒップホップは大きな盛り上がりを見せる。

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一方ロサンゼルスを中心とした西海岸ではトーンロック、MCハマーなどのようなポップラップに属するラッパーたちが基盤を作り上げていた。しかしクラブDJをやっていやドクタードレー、DJイエラの下に、ドラッグを売りさばいていたイージーE、ラップに勤しんでいたMCレン、アイスキューブ、アラビアンプリンスが集まり、アメリカで最も犯罪率が高い都市コンプトンでN.W.A.が結成されたことで歴史は大きな転換を見せる。

主張する黒人たちというグループ名の通り、彼らのラップは貧民街で生きる黒人たちのリアルな生活を生々しくも描いたものだった。ギャング抗争、警察の蛮行、薬物といった闇がコンプトンでは当たり前のように隣り合わせの状況であり、性的表現や人種差別への怒りをPファンクをサンプリングした重たいビートに乗せたそのスタイルは、ギャングスタラップとして認識されるようになった。

しかしN.W.A.のその過激すぎるスタイルに当初は肯定的な意見は少なく、FBIからの警告なども含めて大きな社会問題へと発展していく。1991年にドレーの脱退でグループの歴史に終止符を打つものの、ドレーはシュグナイトと共にでスロウレコードを設立。ここから2パックやスヌープドッグなどが商業的な成功を収めたことで、ギャングスタラップの成功はおろか、後のヒップホップ東西抗争へと繋がっていくので、N.W.A.が残した歴史的意義はとても大きい。



7.The Smiths 「The Queen Is Dead」

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弱者のためのメランコリア

英国病とも言われる経済停滞の改革に乗り出したマーガレットサッチャーを首班とする保守党政権の経済政策は、インフレ抑制に一定の成果を見せるものの、不況の長期化と失業率の上昇を招き、金融業中心の産業の推進・効率化は貧富の格差拡大させた。そしてこの頃のメインストリームではアフリカの貧困に警鐘を唱え、バンドエイドなどの社会貢献的意義の強い音楽活動を、シンセサイザーでデフォルメした音楽に乗せて行うアーティストが多くいた。

社会に弾き飛ばされ、ましてや心の拠り所ともいえる音楽にすら煙たがられたイギリスの若者の逃げる先にいたのがスミスというバンドだった。スミスというバンド名は、日本でいう鈴木と同じくらいイギリスではありふれた苗字なのだが、これは普通の人たちが顔を見せるときだというバンドの意思が反映されたものだった。

そこにはメインストリーム特有の派手なビジュアルやシンセサイザーのきらびやかさはなく、いたって普通なシャツにジーンズという出で立ち、ジョニーマーによる繊細で美しいギターワーク主体の楽曲、ユーモアと社会批判にまみれたモリッシーの詞は瞬く間に多くの共感を得ることになる。その熱狂ぶりは凄まじく、デビュー初年度でたった3枚のシングルとライブの口コミのみでNME誌の最優秀新人を獲得、以後は解散する1987年まで最優秀アーティストの座を獲得するという驚異の人気を誇った。

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初期の代表曲「This Charming Man」を収録したデビュー作、モリッシーの政治色が強くなった攻撃性の強い「Meat Is Murder」といった傑作やコンピレーションアルバムをリリース。一方で過酷なツアーをこなしつつ、メジャーレーベルからの引き抜きなどを含めた契約を巡る紛争とゴシップにバンドは疲弊していた。そんな巡りめく状況の中でUKロック史に残る名作「The Queen Is Dead」はリリースされた。

アランドロンの横たわる姿があしらわれたジャケットが印象的な本作は、けたたましいドラムロールと痛烈な英国王室批判で始まる。序盤から「I Know It's Over」、「Never Had No One Ever」という美しい奈落に落とすような楽曲が続くかと思えば、「Cemetry Gates」、「The Boy with the Thorn in His Side」ではジョニーマーの爽やかなギターにモリッシーの自由な歌唱が乗っかるという天国が広がる。

アルバムは「There Is a Light That Never Goes Out」で最大の山場を迎える。このアルバムの中でも堅実な構造の楽曲ではあるが、常に弱者の味方であり続けたスミスらしさが最も体現された曲であり、「二階建てバスが僕らに突っ込んだって、君の傍で死ねるならこんな素敵な死に方はないさ」という歌詞は彼らの美学を象徴するものである。このアルバムをリリースした翌年、バンドはたった5年という短い活動期間に幕を下ろすも、今も多くのフォロワーが彼らが見出した"決して消えない"光を追い求めている。


<ネクストステップ>
スミスはオリジナルアルバムが4枚と少ないものの、コンピレーションアルバムの方にも名曲が隠れていたりすることもあるので、個人的にはベスト盤の「The Sound Of the Smiths」を聴いてみて、気に入った曲が入ってる作品を聴く方法が意外とおすすめ。また同時期に活躍したキュアーの「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」、アズテックカメラの「High Land, Hard Rain」、プリファブスプラウトの「Steve McQueen」といったUKロックの傑作も触れてみよう。


8.The Stone Roses 「The Stone Roses」

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花開くグルーヴ

オアシスのリアムギャラガーが昔「俺たちみたいな若者はサッカー選手になるか、ロックンローラーになるかの二択しかなかった」みたいなことを言ってた気がする。なぜ気がすると曖昧な感じにしたのかというと、この発言のソースを色々探してみたけど結構いろんな形で発言が都合よく変化していたんだよね。とはいえリアムも含め80年代の青年期を迎えた、いわゆるX世代に当たるイギリスの若者のリアルが集約された言葉だとは思う。

1976年にセックスピストルズがマンチェスターでライブをやったことが、マンチェスターという街がただの工業都市から、英国を代表する音楽都市へと成長した最初のきっかけであることは間違いない。このライブの観客だった若者によって結成されたニューオーダーとスミスらによって、80年代のインディーロックはアメリカ以上の成熟を見せ、まさに誰もが思い描くUKロックのフォーマットを作り上げた。

これらのインディーロックのバンドのライブはスタジアム規模というよりは、小さな箱でステージともかなり近い距離感のものが多かったのだが、ここにレイブ文化が混ざり合い、アーティストとオーディエンスの垣根は融解し、これからはオーディエンスが主役の時代と言われるまでになった。このマンチェスターと狂ったという意味の英語のマッドを組み合わせた、マッドチェスターという造語を代表するバンドこそストーンローゼズなのだ。

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ストーンローゼズというバンドは存在そのものがあまりにも画期的であり、どこか掴みどころがないようなバンドである。前述のようにダンスミュージックとして身構えて聴いてもん?ってなるだろうし、ガレージロックかと思えばそれ以上にどこかアシッドな匂いがするし、イアンブラウンのボーカルも下手くそだけどかといって不快感どころか心地よさも感じる。彼らの音楽は一言では語れない不思議な魅力があるのだ。

そして満を持して発表されたデビューアルバムである本作は、最早魔法としか言いようのない奇跡のような作品となった。ジョンスクワイアの怪しげで高濃度なギターと憧れられたいと切実に歌うイアンブラウンのボーカルから始まる「I Wanna Be Adored」で最高のスタートを切ると、「Waterfall」の美しい世界観に酔いしれ、幻覚ともいえるように瞬時に場面が切り替わる様はまさに「Don't Stop」、そして「I Am The Resurrection」で感動のフィナーレを迎えると、トドメの一発と言わんばかりの「Fools Gold」でグルーヴの海になぶり殺されるのだ。

この奇跡のような傑作が話題にならないわけがなく、彼らはこのアルバムを携えて一気にスターダムへ駆けあがる。その後もペンキぶちまけ事件やスパイクアイランドでの野外ライブなど伝説を残し、マッドチェスターの中心として役割を全うした。今ではセカンドサマーオブラブとも言われるこの奇跡、このバンド群の一組に過ぎなかったブラーと、ストーンローゼズのライブを観たことでバンド結成を踏み切るオアシスの二組が新たな時代を作るという巨大な歴史がそこに存在する。

<ネクストステップ>
ストーンローゼズはキャリアにおいて2枚しかアルバムを残しておらず、次作「Second Coming」はデビュー作とは全く質感の違うハードな一枚となっている。同じくマッドチェスタームーブメントを支えたニューオーダーの「Technique」、プライマルスクリームの「Screamadelica」、ハッピーマンデーズの「Pills 'N' Thrills And Ballyyches」などを聴くのがおすすめ。


9.Sonic Youth 「Daydream Nation」

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NY発ノイズの系譜

Altenativeという英単語を辞書で引いてみると以下のような意味が出てくる。二者択一の。代わりの。慣習的方法をとらない。新しい。こういった意味合いがあることから、70年代後半に隆盛を極めた産業ロックに反発して、産業ロックとは一線を画した、時代の流れにとらわれない自分たちの音楽を奏でるバンドたちの音楽は、いつしかオルタナティブロックと呼ばれるようになった。

とはいえこのオルタナティブロックという言葉、特定の音楽ジャンルを指した用語でないので非常に大雑把な概念である。とはいえこのような自分たちの信じる音楽を奏でる精神性に感化された若者は多く、それがカレッジラジオによって広い範囲でリスナーの耳に届くことによって、アンダーグランドシーンはいつしか強大な進歩を遂げていた。

これはアートの街ニューヨークでも例外ではなかった。いつもアートと隣り合わせのこの街は不思議なことにノイズと強烈な親和性が高く、思えばあの天才アンディウォーホルと共鳴したのはノイズロックの始祖ヴェルヴェットアンダーグランドである。そして70年代後半になるとテレヴィジョンがいて、ブライアンイーノによって否定の概念がノイズミュージックに乗せられた。そのような歴史のバトンを受け取ることになった、80年代のトップランナーこそソニックユースというバンドである。

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「エレキギターを聴くということはノイズを聴くこと」という持論を持つサーストンムーアによって80年代初頭に結成されたこのバンドは、その一聴しただけでは掴みづらい独自の音楽性で、じわじわとアンダーグラウンド界隈でカルト的人気を誇るようになる。今作「Daydream Nation」はアンダーグランドの帝王としてのバンドの地位を確固たるものにした大名盤だ。

サーストンムーアによる変則チューニングによる、だるんだるんでノイズ全開のはしたないギターサウンドと、疾走感ある楽曲と上手く絡み合うことで驚異の化学反応を見せる。アルバム全体が不協和音に包まれており、しかも収録時間1時間10分というフルレングスぶりながらも、一連の流れとしては全く違和感がなく、ただ身を委ねてノイズの沼に溺れるというのがこのアルバムの醍醐味と言えよう。

こうしてアンダーグラウンドでふつふつと巨大化していった、オルタナティブロックシーンはいつメジャーシーンを潰してもおかしくはないくらいに成長。本作のオープニングナンバーに「Teenage Riot」という曲を持ってきたように、怒れる若者の期待を一身に背負ったソニックユースはメジャーレーベルへと移籍。R.E.M.らとともにオルタナティブロックのメジャーシーンでの躍進に一役買うことになった。

<ネクストステップ>
ソニックユースは一癖も二癖も強いバンドなので、おすすめと聞かれると人によってさまざまな意見が出ると思う。個人的にはメジャー移籍後の「Goo」と「Dirty」を聴くことを薦める。その他にも同時期に活躍したR.E.M.の「Murmur」、ピクシーズの「Doolittele」、リプレイスメンツの「Let It Be」あたりを聴くのがおすすめ。


10.Prince 「Purple Rain」

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雨とビートと物語

1958年って実はかなり面白いことに、多くの素晴らしいアーティストがこの年に生まれている現象が起きている。ビートルズ主導のポピュラーミュージックの発展の過程を幼少期の時点で経験し、成長するにつれてシンセイザーの発展とソウルミュージックが社会性を担う所を目撃したりして、そして20歳になるころにはパンクムーブメントに直撃しているなど、音楽体験という意味では濃密な経験をしている世代であることが要因なのかはわからないが、本当にこの年に生まれたアーティストは多い。

日本だけで見ても玉置浩二、CHAGE & ASKA、小室哲哉というそうそうたるメンツがこの年に生まれている。これが海外に目を向けるともっと凄いことになる。まず筆頭株はマイケルジャクソンだ。58世代の中で最も早い段階でキャリアをスタートさせ、21歳にしてR&Bの新たなリーダーとしての地位を確立させていた。他にもクイーンオブポップことマドンナ、UKパンクの若き神童ポールウェラー、オルタナ界のボスことサーストンムーア、西海岸で初めてメジャーデビューしたラッパーであるアイスTなどがいる。

そしてこの世代でマイケルジャクソンと同じくらい忘れてはいけないカリスマがいる。それがプリンスだ。その類まれな音楽センスと溢れんばかりの創作意欲で多くの傑作を世に放ち、80年代を代表する天才として名をはせた男である。マイケルジャクソンが80年代に残したアルバムが2枚と寡作(ジャクソンズを含めると4枚になるが)なのに対し、プリンスは9枚とほぼ1年に1枚のペースでリリースした多作家なのも、この二人のライバル関係を際立たせる違いとも言えるだろう。

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シンセサイザーを主体としたファンクミュージック、ほとんど一人で作品を作り上げてしまうそのワンマンぶりもあって、順調にキャリアを重ねていったプリンスが乗り出した大掛かりなプロジェクトこそ映画「パープルレイン」である。この映画は彼の下積み時代をベースにした自伝的映画であり、それをプリンスの素晴らしい楽曲に乗せて展開される青春映画なのだ。

今作ではプリンスが80年代初頭から追い求めたニューウェイブファンクの完成形が見られただけでなく、ロック的な要素の強さ、そしてプリンスの歴代アルバムの中で最も大衆向けに作られた普遍のポップ性が垣間見える。ポップさが全開の「Let's Go Crazy」で始まり、無機質で分離されたビートが革新的な「When Doves Cry」、そしてラストを飾る名アンセム「Purple Rain」はプリンスを語るうえでは外せない楽曲たちだ。

プリンスといえばその神秘性が強いアーティストの代表格みたいなところがあって、その独創性あふれる詞やセクシュアリティみたいなものに注目が集まるうえに、本人が秘密主義者みたいなとこがあってかなり謎の多いアーティストである。映画「パープルレイン」はそんなプリンスが自身のアイデンティティを外側に初めて見せた作品(とはいえそれなりに脚色はされている)であり、それが結果としてキャリアの中で最も外向けな楽曲が多くなったと思われる。しかもプリンスの恐ろしさはこの作品のヒットだけでは飽き足らず、さらに作品面で深化することとなるのだから凄まじい才能である。

<ネクストステップ>
非常に多作なプリンス殿下、とりあえず80年代にリリースされた「1999」、「Around the World in a Day」、「Parade」、「Sign "O" the Times」、「Lovesexy」あたりを聴くのが良いと思われる。またプリンス人脈であるジャム&ルイスをプロデューサーに招いたジャネットジャクソンの「Rhythm Nation」もおすすめ。

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